その13 叡智の苔―バレク・バケシュ―
転生者バレク・バケシュの住む洞窟。
僕は長い旅の末にようやくここまでたどり着いた。
というか、本当に長かったな。
この国に来てからもう二ヶ月以上経つわけか。
でもそれも今日まで。ようやく僕は目的を果たす事が出来るのだ。
洞窟の中は真っ暗だった。
明かり取りの窓もないんだから当然か。
カルーラとキルリアが、僕の横をすり抜けて前に出た。
『ここで待ってて』
『明かりを点けて来ます』
二人は手慣れた様子で壁にかけられたランプに火を点けて行った。
洞窟の中は大体僕がすっぽり収まる大きさだ。
という事は縦横14~5mといった所か。
内部は石切り場のようにツルリとしていて、何の装飾も見られない。
『湿っぽい殺風景な場所だぜ』
ベネセ家の新当主マムスがポツリと呟いた。
洞窟の奥は石壁に塞がれていて、両開きの扉が埋め込まれている。
どうやらあの扉の奥にバレク・バケシュがいるみたいだ。
転生者バレク・バケシュ。
この様子からすると、おそらく彼もまともな人間には転生していないだろう。
僕は彼と会って何を話せばいいんだろうか?
同じ人外に転生しながら、僕はティトゥというパートナーを得て、特に不自由もなく気ままな生活を送っている。
それに比べ、バレク・バケシュはこんな湿気の多い洞窟の奥で身動きも出来ずにいる。
彼は僕を妬むだろうか?
いや、そもそも、こんな所で身動きもできずにいて、人間はまともな精神状態でいられるだろうか?
もし、この世界で唯一の転生者の心が壊れていたら、僕はどうしてやるのが正しいんだろうか?
僕は不安と恐怖でたまらなく逃げ出したくなってしまった。
『ハヤテ?』
僕の弱気が伝わったのだろう。ティトゥが僕の主脚にそっと手を触れた。
もし僕の体が動いたら、きっと彼女の手を握り返していたに違いない。
カルーラとキルリアは、ノックもせずに無造作に奥の扉を開けると、火種となるランプを手にしたまま部屋に入って行った。
その明かりでチラリと見えた部屋の中には、テーブルやイス、いくつかの家具が見えた。
やがて部屋に明かりが灯されると――
『こ・・・コイツはスゲエ!』
『キレイですわ!』
簡単な家具が備え付けられた部屋の奥。
そこには天井から床までビッシリと、緑色の美しい模様が描かれていたのだ。
小さな岩を中心とした、壁一面に広がる繊細な幾何学模様。
いや、違う。描かれている訳じゃない。これは――
『苔か?! マジか! 苔がまるで模様みたいに生えているのかよ!』
『そんな・・・信じられませんわ』
そう。そこに生えているのは苔。
苔が細かな模様を描いて生えていたのだ。
そして僕は――いや、現代人であれば、この特徴的な幾何学模様にどこか見覚えがあると感じるはずだ。
誰しも一度は目にした事のある”電子回路基盤”。
そう。苔の描く模様は、回路基板にプリントされた電子回路を思わせるものだったのだ。
僕達がポカンとする中、キルリア少年が壁の一部、小さな岩の方へと向き直った。
その岩にも、背後の壁と同様にビッシリと苔の模様が描かれている。
僕の目はその岩の中央に釘付けになった。
岩にはめ込まれた、6㎝、11㎝の長方形。
僕はアレを――いや、大抵の現代人ならそれを目にしない日は無いだろう。
「オーケイ・バレク。叡智の苔様、ハヤテ様をお連れしました」
キルリアの呼びかけに「ホコッ」っという電子音が鳴った。
黒い長方形が発光すると、そこに待ち受けアイコンが表示された。
「ありがとう。エルバレク。ようこそハヤテ」
女性の声で音声アシスタントが流れた。
『お、おい、何だ、コイツらの言葉は?! 聞いた事の無い言葉だぞ!』
『ハヤテ、相手の女性は何って言ったんですの?』
慌てふためくティトゥとマムスだったが、僕はそれどころではなかった。
この黒い長方形、そして今の声に聞き覚えがあったからだ。
僕は震える声で呟いた。
「今の声はひょっとしてバラク?! まさか、それってスマホなのか?! バレク・バケシュの正体はスマートフォンだったのか?!」
僕の言葉に黒い長方形ことスマホは答えた。
「私はバラクと申します。あなたの生活のサポートをさせていただきます」
バラクはスマホの音声認識アシスタントだ。
Windows10のCortanaや、iOSのSiriのようなものと言えば伝わるだろうか?
正式名称は確かボイス・ライフアシスト・コミュニケータ。VLACで通称バラク。
僕の使っていたスマホのOSにもプリインストールされていたソフトだ。
高度なAIアシスタントで、自然言語処理を用いてユーザーの様々な質問に音声と文字で答えてくれる。
多分、このスマホを見つけた人が、バラクをバレク――この国の言葉で”苔”を意味する――と聞き間違えたんだろう。
この光景を見た後だとさもありなん、といった所だ。
「バラク、お前は転生者なのか? それともただの基本ソフトウェアなのか?」
「転生者ではありません。私はこのスマートフォンの音声認識アシスタントです」
マジか・・・。
あるいは僕のようにスマホに転生した転生者の可能性もあると考えたが、どうやら違うらしい。
バラクは女性の合成音声で僕の質問に答えた。
「この惑星リサールにおける、地球からの転生者は、過去五百年間通して唯一あなた一人だけです」
「何? 待ってくれ、何を言っているんだ?」
惑星リサール? 地球からの転生者? これはただのスマホじゃないのか? なぜそんな事を知っているんだ?
僕は突然の情報に付いて行けずに混乱していた。
そんな僕にバラクは容赦なく追い打ちを掛けて来た。
「マナを介した直接リンクを行えば分かります。許可をお願いします」
このバラクの言葉に、カルーラとキルリアの姉弟がハッと目を見開いた。
『これって私達が受けた洗礼?』
『でもどうして? ハヤテ様はもうニホンゴが使えるのに』
洗礼? 日本語?
カルーラが以前言っていた、「この言葉はバレク・バケシュ様から頂いたギフト」という言葉。
そのギフトを与える行為が洗礼なのだろうか?
でも、バラクは「直接リンク」と言っていた。
洗礼とは別なんだろうか?
『ハヤテ! ハヤテ! 返事をして頂戴!』
ふと気が付くとティトゥが僕の主脚を叩いていた。
僕の様子がおかしいのを感じて、ずっと全力で叩いていたのだろう。彼女の手のひらは赤く腫れていた。
『ティトゥ?』
『! ようやく答えてくれましたわね! さっきから何を言っているんですの?!』
彼女の言葉に答えようとして、僕はまだ何も説明出来ない事に気が付いた。
自分にだって何が起きているのか分かっていないのだ。
他人に説明するなんて不可能だろう。
くそっ。何をうろたえているんだ僕は。
何のために、こうしてティトゥを巻き込んでまで、こんな遠い国にはるばるやって来たんだ。
バラクが教えてくれるというなら、願っても無い話じゃないか。
直接リンク? むしろ直接教えてくれるなら話が早いくらいだ。
『スコシ マッテ』
『・・・分かりましたわ』
今はまだ話せる事はないと分かってくれたのだろうか。
ティトゥは意外なほど大人しく引き下がった。
『お、おい。お前のドラゴンは何を話しているんだ』
『見ていればそのうちに分かりますわ』
マムスがティトゥに問いかけたが、彼女はすげなく切り捨てた。
仕方なくマムスはカルーラ達に向き直ったが、カルーラ達にとっても予想外の事態らしく、戸惑いの表情を浮かべるばかりで答えられない。
マムスは仕方なく顔をしかめると黙り込んだ。
僕は覚悟を決めるとスマホに告げた。
「バラク。直接リンクを許可する。やってくれ」
待ち受けアイコンが激しく動くと、岩に生えた苔が激しく点滅した。
点滅はやがて岩から壁の苔に伝わり、壁全体が光のイルミネーションに彩られた。
『こ・・・コイツは一体。何が起きているんだ?』
この幻想的な光景に僕達は言葉を失くしてしまった。
「これは!」
『ハヤテ?!』
頭の中を無理やりかき分けられる感覚。
これが洗礼?!
いつしか僕の視界はきらめく光に覆われていた。
いや、違う。
それは膨大な知識の奔流なのだ。
そこで僕はこの惑星、リサールを襲った惨劇を知ったのだった。
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