その10 大臣イグノス・ヒゴの最後
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マムス・ベネセが最前線となる砦から王都に戻ったのは、まだ日の残る夕方の事だった。
当主の訃報に浮足立っていた王都の守備隊は、マムスの帰還によってその力を取り戻した。
マムスは王城に入ると、すぐさま事態の把握と全体の指揮に当たった。
そのため彼が兄、エマヌエルの遺体と対面したのは、深夜も回って日付が変わった後の事であった。
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翌日早朝。大臣イグノス・ヒゴは出頭命令を受けて登城していた。
守備隊員が忙しく走り回る中、彼は王城の奥に案内された。
「失礼します。大臣閣下をお連れしました」
案内の兵はノックも無しにドアを開け放った。
今は非常事態故にノックは無用と、マムスに命じられているからだ。
「入れ」
部屋の中から冷たい声がかけられた。
マムスは憔悴しているように見えた。
無理も無い。砦から王都まで早駆けで戻って以降、ずっと徹夜で部隊の指揮を執っていたのだ。
精神的にも肉体的にも、疲労が体に重く蓄積しているのだろう。
顔を上げて大臣を見つめる彼の目に、静かな怒りが灯った。
大臣はマムスの殺意のこもった視線を受けて、緊張にゴクリと喉を鳴らした。
「・・・おい。少しの間誰もこの部屋に入れるな」
「はっ!」
案内の兵は踵を返すと部屋を出て行った。
こうして部屋の中はマムスと大臣の二人だけとなった。
「と、砦から戻られていたのですね。エマヌエル様には大変お気の毒な事を――」
「テメエはどこにいた?」
大臣は「は?」とマヌケな返事を返した。
それから慌てて弁明を始めた。
「一昨日の夜のことでしたら、私は自分の屋敷で待機しておりました。昨日王城に出向かなかったのは町がまだ危険だったためです。どこに不穏分子が潜んでいるか分からない中、護衛の守備隊もない状態で動く事も出来ず・・・そ、それに私にもしもの事があれば、王城で指揮を執る者がいなくなってしまいます。混乱を収める者が・・・あの、な、何をなさるのですか・・・?」
マムスはゆっくりと立ち上がると腰の剣を抜き放った。
「テメエよくも俺がいない間に好き勝手やってくれやがったな。王都に火を付けたばかりか、兄貴まで殺すなんて上等じゃねえか」
「ひっ! お、お待ちを! 何か勘違いされているご様子!」
大臣は膝から力が抜けてペタリと地面に尻餅を付きながらも、懸命に後ずさった。
「何が勘違いだ。テメエが帝国とツルんでる事くらい前からお見通しなんだよ」
「とんでもない。わ、私は国のためを思ってやった事。帝国とツルむなどと、決してそのような事はありません!」
大臣は恐怖にもつれる舌で必死に弁解を続けた。
彼の名誉のために言うならば、確かに今の言葉に嘘は無い。
交渉のために何度もミュッリュニエミ帝国を訪れた大臣は、かの国で皇帝を中心とした中央集権国家の持つ力を知った。
やがて彼は、この国の制度である、六大部族持ち回りの国王代行制度に限界を感じるようになった。
三年ごとに国王代行が入れ替わる現行のシステムでは、即応性にも長期的な展望にも欠ける上、権力が分散しがちになってしまう。
今まではそれでも問題が無かったが、このままではやがて、停滞の中、国力を落とす事になるだろう。
国のリソースはもっと集中して運用されるべきなのだ。
聡明な大臣は、この国の寄り合い所帯政治の限界を強く感じていた。
国として力を上げるには帝国の方法に倣うしかない。
そのためには六大部族を従えてトップに立つ部族が必要だ。
彼はその候補として戦車派の筆頭、ベネセ家を選んだ。
帆装派はあまりに商人寄りな上、保守的な性格が強すぎたからである。
ベネセ家当主エマヌエルは、大臣ヒゴのこの誘いに乗った。
彼は大臣のように帝国の制度に憧れがあったわけではない。
だが、結果として彼の目指すものも、大臣と同じところにあったのである。
長年、帝国と国境線で争っていた彼は、帝国に対抗するためにはこの国が纏まる必要があると考えるようになっていた。
今のように三年ごとに国王代行が入れ替わっていては、帝国に対して長期的な戦略が取れない。
国の力を結集して、これ以上帝国の力が伸びない今のうちに叩くべきだ。エマヌエルはそう考えていたのだ。
二人の意見は一致した。
ただし、大臣が恒久的な中央集権国家を目指していたのとは異なり、エマヌエルは外敵を攻め滅ぼすための一時的な措置だと考えていた。
そのため一時は自分に権力が集中しても、帝国を攻め滅ぼした後は元の国王代行制に戻してもいいと考えていた。
要は非常事態宣言のような形を取るつもりだったのだ。
そして二人の愛国者の最大にして根本的な違い。
それは大臣が帝国を”お手本にすべき隣人”と考えていたのと異なり、エマヌエルは帝国を”攻め滅ぼす敵”と考えていた所にある。
二人の考えは同じようであり、実は呉越同舟と言っても良い危険な関係だったのだ。
ゴツン。
大臣の後頭部が壁にぶつかった。
これ以上は下がれない。
なぜこんな事に。
大臣は目の前の景色が涙で歪むのを感じた。
こうして大臣イグノス・ヒゴは処刑された。
罪状は外患誘致罪。
帝国の工作員を招き入れて王都を混乱させた罪となる。
マムスによる粛清は大臣の親族や部下にも及び、多数の者がこの罪に連座することになる。
この時のマムスの短絡的な行動は、多くの人的な損失を招き、今後この国の政務を停滞させる原因となるのだが、それは後日の話。
マムスは大臣の死体を部下に命じて片付けさせ、自身は別の部屋で事態の処理を執り行っていた。
先ずは王都の民を落ち着かせる事。
それからベネセ家当主の葬儀と引継ぎ。
こうなってしまえば彼は王都から離れるわけにはいかない。
砦の指揮官も別に誰か選ばなければならないだろう。
彼の前には問題が山積みだった。
そんなマムスの下に守備隊から緊急の連絡が飛び込んで来た。
「巨大な化け物が飛来! 先程から王都の上空を旋回しています!」
「何っ?! くそっ! 次から次へと! 今度は化け物かよ!」
マムスは愛用の槍を掴むと部屋の外に駆け出した。
外に出たマムスは直ぐに周囲の異音に気が付いた。
ヴーン、ヴーンと低い羽音のような音が上空から響いている。
守備隊の者達はすっかり浮足立って右往左往している。
彼らの見苦しさにマムスの額に青筋が浮かんだ。
「何をやっている! 現状を報告しろ!」
「! これはマムス様! はっ! 申し訳ございません!」
守備隊の班長らしき男が、すかさずマムスに駆け寄った。
しかし、彼が報告をするよりも先に、事態の方が動いてしまった。
「班長あれを! ヤツが降りて来ます!」
「なにっ?!」
守備隊の青年が指差す先。
そこには青い空を背景に、陽光を反射する巨大な翼があった。
「何だ・・・アレは」
マムスが呆然と立ち尽くす中、巨大な翼を持つ謎の物体は、みるみるうちにこちらに近付いて来た。
次回「マムス・ベネセ」