その9 最悪の訃報
◇◇◇◇◇◇◇◇
ヴルペルブカ砦。
ここの守備を任された大将、マムス・ベネセは苛立ちを抑えきれずにいた。
「クソが! バルムのヤツらはやる気がねえのかよ!」
この同盟軍の片割れであるバルム家。
彼らの動きがこの数日、目に見えて悪くなっているのである。
いくらマムスがここの指揮官とは言え、同盟相手の軍を直接自分の指揮下に入れる事は出来ない。
形の上では指揮下にあるが、実際は要請して動いてもらっているのだ。
開戦当初はその方法でも十分に軍として機能した。
そもそもベネセ領とバルム領は領地自体が隣り合っている事もあり、帝国との有事の際には共同戦線を張る事も珍しくなかった。
元々同盟相手というよりも戦友といった間柄なのだ。
しかし、今のマムスはその戦友の考えている事が分からなくなっていた。
砦の奥に作られた指揮官室。
バルム家の寄り子の部隊の副官が、しどろもどろになりながらマムスに答えていた。
「そちらのお言葉はごもっともなれど、今は部隊に当主が不在でありまして・・・」
「だ・か・ら! どうして不在なのかって聞いてるんだよ!」
既に何人も聞き取りを行っているが、全く要領を得ない返事しか返ってこない。
そもそもこの部隊のように責任者が不在の部隊がほとんどだったのだ。
開戦中の最前線の砦ではありない事態と言えた。
とはいえ、これ以上この副官を責め立てても埒が明かない。なにせ、この男も当主から事情を知らされていないのだ。
彼に言えることはただ一つ。突然領地から早馬が来て、報告を聞いた当主は慌てて領地に引き返した。それだけである。
マムスは机を蹴飛ばして男を怒鳴り付けた。
「当主が戻って来たら俺のところに出頭するように言っておけ! 分かったな?!」
「は、はいっ!!」
男は裏返った声で返事をすると、這う這うの体で部屋から転がり出た。
マムスは収まらない怒りを持て余し、部屋の中をグルグルと歩き回った。
「これで6人目じゃねえか! 一体バルム領で何が起きてやがる!」
バルム領で何が起きているか?
言うまでも無く、バブルの崩壊が起きていたのだ。
領地の破産目前。
かつてない領地存続の危機に、バルムの貴族家はその対応に大わらわとなっていた。
兵を率いてこの戦いに参戦していた当主達は、領地の代官からの報告に一様に青ざめた。
彼らは取る者もとりあえず、馬を飛ばして自身の領地に駆け戻った。
最も、事態はそれで何とかなる状況をとっくに超えている。
そもそも彼らが頼るべき寄り親、バルム家自体が破産寸前の状況にあるのだ。
状況を知れば知る程、彼らは絶望に沈む事となった。
ノックの音と共に、副官が申し訳なさそうに入って来た。
「あの、マムス様。一部の部隊から物資の援助願いが来ております」
「――またバルムのヤツらか?!」
「・・・はい」
ビキッ!
マムスの額に青筋が立った。
「・・・それで、内容は?」
「麦と塩、それと弓のツルと矢となります」
要は消耗品が不足しているという事だ。つまりはいつも通りである。
マムスは食いしばった歯から絞り出すようにして返事を返した。
「・・・くれてやれ」
「はっ!」
触らぬ神に祟りなし。副官は逃げるように部屋を後にした。
バルム家の部隊からの消耗品の援助要請。
それが数日前から少しずつ増えていた。
領地の経済が凍り付いた影響が、既に物資の流通に現れ始めているのだ。
マムスは無理やり怒りを飲み込んだ。
腹立たしいのは違いないが、消耗品が不足していては戦力にならない。
そうでなくても同盟軍は連合軍に対して寡兵である。
ここで下手にケチって戦力を低下させるようなマネは出来なかった。
「それにしても限度というものがあるだろうが! バルム本家は一体何をやっているんだ!」
バルム本家はバブル崩壊の対応に追われている。
今も寄り子から殺到する救援要請に頭を悩ませているはずである。
最も、領地から遠く離れたここヴルペルブカ砦で、他家のマムスが知るはずもない事だが。
ハヤテとジャネタの落としたバブル崩壊という爆弾は、バルム家の経済を直撃し、同盟軍の戦力を内側から蝕みつつあった。
そんなマムスの下に早馬による報せが飛び込んだのは、まだ夜も明けきらぬ早朝の事だった。
急な知らせに飛び起きたマムスは、使者の言葉に自分の耳を疑った。
「兄貴が・・・死んだ? おい、一体どういう事だ」
それは彼の兄、ベネセ家当主エマヌエル・ベネセの訃報だった。
「昨夜、王都ザトモヴァーで同時に不審火が起こりました。ご当主様は城の衛兵に事に当たらせる一方、ご自身も部下を率いて聖域へとおもむかれたのです」
「聖域? あんな所に何が?」
マムスは怪訝な表情を浮かべた。
政治に疎い彼は、他の者達と同様に聖域を王家の陵墓だとばかり思っていたのだ。
「それは私にも分かりません。あの、報告を続けてもよろしいでしょうか?」
「――ん。ああ。続けろ」
「はっ。ご当主様は一連の不審火は帝国の工作員によるものだとお考えになったようです」
「帝国の?! クソッ! ヤツらの仕業か!」
マムスは怒りにカッと頭に血が上った。
彼とエマヌエルは、大臣ヒゴが客として招いた帝国人達が、帝国情報軍の息がかかった工作員だと睨んでいた。
そのためマムスはずっと彼らに睨みを利かせていたのだが、それもこの出兵で不可能となっていた。
自分の目が離れたばかりにヤツらの蠢動を許してしまった。マムスは口惜しさに奥歯をギリリと鳴らした。
「ご当主様は町の騒ぎは彼らによる陽動。相手の本命は聖域への侵入にあるとおっしゃられました」
「・・・続けろ」
「はっ。ご当主様のご賢察通り、ほどなくして帝国人が現れました。ただしその人数はご当主様の予想を超えていたようです。守備隊だけでは不利になり、ご当主様は自らも剣を抜き放ち、護衛の騎士と共に彼らに向かわれました。そしてその乱戦の最中――」
「! ヤツらに切られたのか?!」
使者は顔を歪めて頷いた。
マムスは目の前の景色が真っ赤に染まる程の怒りを感じた。
「倒れた所を背中から。直ぐに治療のため部屋に運び込まれましたが、半時(約一時間)程後にお亡くなりになられました」
マムスは大股で壁際に向かうと自分の槍を手に取った。
「ふざけんなああああああ!」
ガスン!
マムスが投擲した槍は家具を破壊し、壁に突き立った。
部屋の外で立哨していた兵が、騒ぎを聞き付け、何事が起きたのかと部屋に飛び込んで来る。
「閣下! 一体何が?!」
「帝国のヤツら! 絶対に許しちゃおけねえ! オイ! それでヤツらはどうした?!」
目を血走らせて槍を構えるマムスに怯える兵達。
マムスは家具の残骸を蹴散らし、使者に槍の切っ先を付きつけた。
「我々が全員始末しました」
「ウソじゃねえだろうな?! テメエの首を賭けてそう言い切れるか?!」
「(コクリ) それに王都は昨夜から守備隊によって完全に閉鎖されています。猫の子一匹逃がしません」
使者の覚悟に触れて、マムスの怒りがやや鎮まった。
悔しい思いをしているのは彼だけではない。王都にいながら主を守れなかった彼らとて同様なのだ。
そんな守備隊員の静かな怒りがマムスの心を冷ましたのだ。
マムスは槍を下げると、怯える兵に命じた。
「今から王都に向かう! 馬を用意しろ!」
慌てて部屋を飛び出す兵達。
使者は立ち上がるとマムスに告げた。
「では私が先導を」
その時、マムスは初めて使者の恰好に気が付いた。
靴は泥だらけ、装備には赤黒い返り血の跡が残っている。
この男は昨夜、帝国非合法部隊と戦った後、休む間もなく今度は馬を飛ばしてこの砦まで報告に来たのだ。
命がけの戦いの後、一睡もせずに馬を走らせたのだ。本当はこうして立っている事すら辛いだろう。
だが、それでも先導を引き受けようというのだ。
守備隊の忠誠心に、マムスは誇らしさで矜持が満たされる思いがした。
「必要無い。それよりも休め」
「しかし――」
「これは命令だ。そもそも俺は自分の馬でこの砦まで来たんだ。お前に案内されずとも王都までの道のりくらい分かるわ」
マムスはそう言うと、人好きのする男らしい笑みを浮かべた。
「心配するな。後は全て俺に任せておけ」
「マムス様・・・」
マムスの頼もしい言葉に張り詰めた気持ちが弛んだのだろう。使者は膝から力が抜け、フラリと姿勢を崩した。
彼は慌てて壁に手を付いて体を支えた。
マムスは一度頷くと踵を返し、部屋を出て行った。
マムスは僅かな手勢のみを引き連れ、強行軍で馬を走らせた。
彼が王都にたどり着いたのは、まだ日の残る夕方の事であった。
次回「大臣イグノス・ヒゴの最後」