その8 王都からの使者
塩切手バブルの崩壊。
その被害状況は日を追うごとに明らかになっていった。
『バルム領はもうおしまいだね。手の打ちようがないよ』
いつもの僕のテントの中。ジャネタお婆ちゃんは分厚い資料を片手にヤレヤレとため息を吐いた。
何だろう。こうなるのが分かっていて散々市場を煽っておいて、この言い草はどうなんだろうね。
少しは良心が痛まないのかな?
『商売はやるかやられるか。ハヤテ様のおっしゃっていた”ゼロサムゲーム”ですよ』
ジャネタお婆ちゃんの言葉にティトゥが白い目で僕を見た。
いやいや、僕が悪いみたいな目で見ないでくれない?
僕はちょっと口を滑らせただけだから。
確かに今では、”やっちゃったかも?”と思ってなくもないけど、実際に行動に移したのはジャネタお婆ちゃんだからね。
この国に初めて登場した先物取引”塩切手”。
だが塩切手は悪質な”仕手筋”ジャネタお婆ちゃんによって、最悪な結末を迎える事になってしまった。
仕手筋とは大量の資金を突っ込み、意図的に株価を吊り上げる人達の事を言う。
彼らが仕掛けた銘柄は大きく急騰するため、一般投資家も巻き込み、大きな被害が出るそうだ。
正に今回のジャネタお婆ちゃんの事だ。
彼女はこの国最初の仕手筋として、永遠に市場の歴史に悪名を刻まれるに違いない。
今のジャネタお婆ちゃんを見ていると、むしろ誇らしく思いそうだけど。
そもそも今回の成功は、この情勢下だからこそ成立したのかもしれない。
江戸時代に堂島米会所が成功したのは、江戸時代より前から大坂が経済の中心で、お米という当時のお金代わりの品の取引だった事も大きいんじゃないかな?
普通に考えれば、貴族の力が圧倒的に強い封建社会においては、どんなに先物取引で成功しても、支配者の一声でチャラにされてしまうだけだろうし。
極端な話、王城は塩切手の取引きを違法として、全額払い戻しを命じる事だって出来る訳だ。
実際にやったら大変な混乱が起きるだろうけど、六大部族の領地が一つ干上がる事を思えば、大抵の事がやれちゃうんじゃないだろうか?
しかし現在、王城にそれだけの力は無い。
六大部族の半分以上を敵に回しているんだから当然だ。
ジャネタお婆ちゃんのやった事に明確な違法性が無い以上、権力に物を言わせたごり押しは出来ない。出来る立場にない。
歯噛みしながら見ているしか出来ないだろう。
そんなこんなで塩切手の取引が落ち着いた事もあって、ようやく僕らにもゆっくりする時間が出来た。
いやまあ、現場は今でも大変なんだろうけど、僕らはあくまでも裏方だから。
ジャネタお婆ちゃんは、性懲りもなく僕から商売のネタを引き出そうと目論んでいるみたいだけど、ティトゥが警戒して彼女を僕に近寄らせない。
さすがにティトゥも今回の一件で懲りたらしい。
『これは私とハヤテの英雄譚には残さない事にしますわ』
ため息混じりにそんな事を呟いている。
てか、君、さてはまた性懲りもなく僕の話を盛ろうとしてたね?
『だから、今回の件は入れないと言っていますわ』
どうやら相場を煽って荒稼ぎした一件は、ティトゥの琴線に触れなかったらしい。
彼女の美意識に反するんだろう。多分。
まあ、今回の主役はジャネタお婆ちゃんだしね。僕らは巻き込まれただけだし。
『何だかハヤテ様が人のせいにして、逃げようとしています』
『今のは私にも分かった』
無駄に鋭いメイド少女カーチャが僕をジト目で見ている。
そしてうんうんと頷くカルーラ。
ちょ、ちょっと君達。いわれのない中傷はやめて欲しいんだけど。
『ハヤテ様が逃げる逃げないは別として、これでバルム家は戦どころじゃなくなったのは間違いありません。ベネセ家だけで連合軍を相手には出来ないでしょうし、遠からず王都は解放されるでしょうな』
『! それ本当?!』
ジャネタお婆ちゃんの言葉にカルーラの表情がパッと明るくなった。
彼女は王城の叡智の苔の事をずっと気にしていたからね。
戦いが終わると聞いて安心したんだろう。
そういや、元々僕らは叡智の苔に会うためにこの国に来ていたんだっけ。
なんだか随分と遠回りしちゃったもんだな。
叡智の苔。僕と同じ転生者。
ようやく彼に(彼女に?)会う事が出来るのか。
・・・・・・
『ハヤテ?』
僕が考え込んだ気配を察してティトゥが声を掛けて来た。
そうだね。いつになるか分からない先の事で悩んでいても仕方が無い。
この国の内乱がいつまで続くのか分からないけど、僕達にやれるのは、早く落ち着くように祈る事くらいだ。
『ハヤテ様さえ良いアイデアを出して下されば、今度はベネセ領の経済を焦土にしてみせますが?』
ジャネタお婆ちゃんが何だか物騒な事を言ってる気もするけど無視だ無視。
僕達に出来る事は平和を祈る事だけ。OK?
『ハヤテ様が言っても説得力に欠ける気がします』
『ハゲシク・ドウイ』
『! それってどういう意味の言葉なんですの?!』
相変わらず僕を擦って来るカーチャ。
覚えたての言葉でカーチャに乗っかるカルーラ。
カルーラの日本語に反応するティトゥ。
こんなに周りが賑やかな中で考え込むなんて出来ないよね。
僕は気持ちを切り替えて、あまりくよくよと思い悩まない事にした。
そんな僕のテントにティトゥ達が駆け込んで来たのはその日の夕方の事だった。
どうしたの? 君達。カルーラのお屋敷に帰ったはずじゃなかったの?
『ハヤテ様! 明日、王城まで飛んで下さいませんか?!』
そう言うのはカルーラの弟、キルリア少年だ。
日頃は姉のかまいたがりにうんざりして、一緒の行動を控えているみたいだけど、どうやら今はそれどころではないらしい。
というか、みんな一体どうしたわけ?
『王城から使者が来ていたんですわ』
どうやら、屋敷に帰ったら王城から使者が来ていたらしい。
その使者から話を聞いて、みんな僕の所に駆け込んで来たという訳だ。
「詳しい話を聞かせてくれないかな?」
「いいわよ飛行機さん」
カルーラから聞かされた話は、ほおっては置けない内容だった。
王城からの使者。
それはこの国の大臣イグノス・ヒゴからのものだった。
使者が言うには叡智の苔がカルーラ達小叡智を呼んでいるという。
『新たなネドマの出現を予知されたのかもしれません』
『!』
この報せを受けて、カルーラ達は居ても立っても居られなくなった。
ネドマの出現場所とその時期を叡智の苔から聞いて王城に知らせるのが、小叡智である彼女達の使命であり役割だからだ。
『でも、ベネセ家に制圧された王城に向かうのは危険なのでは・・・』
『その事でしたらご心配なく』
使者が言うには、ネドマに関しては国の大事。既にベネセ家当主エマヌエルとも話が付いているとの事。
叡智の苔とのやり取りさえやってくれれば、その後、王城から出ても決して止めはしない、と約束してくれたんだそうだ。
『ベネセ様も大臣の心を尽くした説得に、国を思う気持ちは自分とて変わらない、とおっしゃって下さいました』
『でも・・・』
悩んだ末、彼女達は『ハヤテ様が一緒に行くのなら』という条件で受け入れる事にした。
『ハヤテ様。お願いします』
『ハヤテ様』
――ハッキリ言って僕にはこの話、全く信用出来なかった。
こんな時期に都合よくネドマが発生するなんて事があるだろうか?
キルリア達を罠にかける気満々としか思えない。
とはいえ、二人を罠にかけて彼らに何の得があるかと言われれば、それも分からない。
せいぜい連合軍に対する人質としてしか使い道は無いんじゃないだろうか?
それでも僕は――
ティトゥが心配そうに僕を見上げた。
『ハヤテ』
『・・・ヨロシクッテヨ』
『!』
ホッと胸をなでおろすカルーラとキルリア。
確かに罠の恐れはある。けど、真剣な表情の二人を前に、僕には断る事は出来なかったのだ。
僕の胸に苦い思いが満ちた。
僕はこの時の判断を後悔する羽目になるんじゃないだろうか?
そんなイヤな予感が頭をよぎったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ハヤテの予想通り、この使者は大臣ヒゴの罠だった。
ベネセ家当主エマヌエルと決裂した彼は、独自に小叡智の二人を捕らえ、帝国軍に差し出そうと画策したのだ。
ネドマ云々のくだりは、大臣がでっちあげた、もっともらしい作り話だったのである。
とはいえ、実は本当にこの時期、叡智の苔はネドマの発生を警告していた。
噓から出たまこととはいえ、皮肉な物である。
だが、大臣ヒゴのこの卑劣な策が実を結ぶ事は無かった。
この夜、帝国非合法部隊は独自に動き、王都中に火を放った。
混乱とそれに続く戦いの中で、結局彼らはエマヌエルの指揮する守備隊によって全員討ち取られてしまったのだ。
さらにその戦闘でエマヌエルも命を落としてしまう事になる。
次回「最悪の訃報」