その1 カズダ堀り
ここはオアシスの町ステージから北西に小一時間ほど飛んだ場所にある町。
名前はええと・・・何だっけ? チェクチェクなんとか。
そうそう、チェクレチュニカ。
この何だか微妙に呼び辛い町は、この国を東西に貫く中央街道に位置する町で、ここいら一帯の経済と流通の中心地となっている。
つまりはローカルハブ。いわゆるハブ都市というやつだ。
僕は町の上を旋回すると、町の中でもひと際大きな建物――水運商ギルドの支店の中庭に降り立った。
ここでは水運商ギルドが町の、ひいてはこの領地の経済を牛耳っている
なんでも、町の代官ですらこの建物の中には手が出せないらしい。
なんというアンタッチャブル。
立派な建物は伊達じゃないね。
ティトゥがイスの背もたれを倒すと、待ちかねたように初老のお婆ちゃんが飛び出した。
『誰もいないのかい! 全く使えないね!』
この落ち着きのない子供のような老婆はジャネタお婆ちゃん。
水運商ギルドきっての実力派商人で、マイラスを一人前に鍛え上げたお師匠さんなんだそうだ。
ジャネタお婆ちゃんの怒鳴り声を聞きつけて、ここの若手職員が慌てて庭に駆け出して来た。
『すみません! 資料を纏めていたもので!』
『一文にもならない言い訳をすんじゃないよ! いいからサッサとおよこし!』
ジャネタお婆ちゃんはそう言うと、若手職員から資料の束をひったくった。
手持ち無沙汰になったティトゥはボンヤリと髪の毛先をいじっている。
僕達が砂漠で見つけた太古の巨大な塩湖。
ジャネタお婆ちゃんと組んでこの国の貴族達を相手に始めた塩の販売は、どうにかひとまず落ち着いて、今は現場のマイラスの発掘作業待ちとなっている。
それでも発掘現場に水を運ぶ仕事は残っていたのだが、そちらも先日井戸が完成した事でお役御免となった。
僕が教えたうろ覚えの井戸掘りの方法。
それをこの国の職人が彼らなりに再現して、無事に井戸を掘る事に成功したのだ。
『原理を説明されてハッとさせられましたよ。目から鱗とはこの事だ。なぜ今まで私らはこの方法に気付かなかったんでしょうな』
『井戸掘りは危険を伴う重労働。それが当たり前だと思っとりました。言われてみれば確かに、人間様が穴に入って掘らなきゃいけないって理由はありませんわな』
井戸掘りの職人さん達はわざわざ僕の所まで来て頭を下げてくれた。
この世界での井戸掘りは、水脈に突き当たるまで人間が縦穴を掘り進める方法だったらしい。
それだと大きな穴を必要とする分だけ余分に労力もかかるし、土壁が崩れたら作業員が生き埋めになってしまう危険もある。
実際、そういった事故が後を絶たないらしい。
僕が教えたやり方は”上総掘り”という方法だ。
竹ヒゴに吊るした掘鉄管を、竹ヒゴの弾力を使って地面を突くようにして掘削。粘土を溶かしたネバミズで掘削面が崩れるのを防ぎながら掘り進める、といった方法である。
現代のように井戸掘りが機械化されるまで、日本で昔から行われていた伝統的な井戸掘り方法である。確か。
まあ、いつものように色々とうろ覚えの知識なんだけどね。
そんな僕の説明でも、プロである彼らは話だけでピンと来たのだろう。
試行錯誤を繰り返して、見事に発掘現場に井戸を掘りあてたのである。
『これは絶対に流行りますよカズダ堀り!』
『今後はカズダ堀りが井戸掘りの中心になるでしょうな!』
そう言って顔をほころばせる職人さん達。
というか、これは上総掘りであってカズダ堀りじゃないんだけど。
・・・いや、まあ上総掘りを元にした彼ら独自の技術だから、カズダ堀りでも別に問題は無いのか。いや、あるのか?
上総と言われても、こちらの世界の人には何のことだか分からない。(※”下総”、”上総”は現在の千葉県房総半島の昔の呼び名)
だから耳慣れた”カズダ”と聞き間違えたんだろう。
この職人さん達の勘違いにはカルーラも微妙な表情だ。
カズダといえばカルーラの実家の名前だからね。
そんな彼女を、ティトゥのメイド少女カーチャが気の毒そうに見ていた。
カーチャはカーチャで、今、オアシスの町で大流行のポットインポット・クーラーに自分の名前が付けられて、複雑な気分でいるからね。
『カズダ様までハヤテ様の犠牲者に・・・』
「いや、人聞きの悪い事を言わないでくれるかな」
誰が誰の犠牲者だって? 知らない人が聞いたら誤解するじゃないか。
こんな安全な戦闘機、何処を探したって僕以外にはいないからね。
それはさておき。
そんなこんなで、採掘現場に水が確保された現在、僕による水の運搬も終了している。
後は採掘と運搬が軌道に乗れば万事OK。
一連の塩の販売事業は、完全に僕達の手を離れる事となる。
『これで肩の荷が下りましたわ』
ホッとするティトゥ。
ティトゥもジャネタお婆ちゃんの運転手役ご苦労様。
まあ実際は君は乗ってただけで、僕を操縦してたわけじゃないんだけどね。
そんなわけで僕達は晴れてお役御免、後は全て水運商ギルドにお任せ――
となるはずだった。
しかし、現実はこうして今も僕達はジャネタお婆ちゃんの手伝いを続けている。
それは一体何故かと言うと・・・
ジャネタお婆ちゃんの視線が資料の数字を追って何度か上下した。
次第に彼女の表情は緩んでいき、口元には悪そうな笑みが浮かんだ。
『ほうほう。いいじゃないか。いい塩梅にチョウチンが付いているようだね』
『は? チョウチン? チョウチンとは何でしょうか?』
ジャネタお婆ちゃんは無言で資料を何枚か抜き取ると、残りを彼に突き返した。
『お前さんは知らなくてもいいんだよ。ホラ、こっちはアタシがやるから、残りはあんた達でやっときな。今が大事な時だからね。手を抜くんじゃないよ』
ジャネタお婆ちゃんは、そう言って若手職員を屋敷に追い返すと、僕の方へと振り返った。
その顔には満面の笑みが張り付いている。
揉み手をせんばかりのジャネタお婆ちゃんの姿に、ティトゥはイヤそうにした。
『もう。またですの? ハヤテはもう全部話して、これ以上お話する事は無いと言ってましたわよ?』
『いやいや、ハヤテ様の深遠なる叡智を私ごときが計り知る事など永遠に出来はいたしません。今日もどうかこの蒙昧なる迷い子にドラゴン様の知恵をいくらかなれどお恵み頂けませんでしょうか?』
ティトゥは完全に呆れ顔だ。
さっき僕が言いかけた、僕達が未だにジャネタお婆ちゃんに協力している理由。
それは、僕がうっかりこぼした世間話にジャネタお婆ちゃんが食い付いた事から始まっている。
最初は軽い気持ちでした説明だった。
ところが、さすがは海千山千の一流商人。
彼女は僕の断片的な知識から目ざとく商売のヒントを嗅ぎ取ると、かつての部下を言いくるめて、このチェクレチュニカを本拠地に新しい商売を始めたのだ。
というか、あなたの本当の職場はハラスの港町じゃなかったんですかね?
そっちはずっと部下に任せっぱなしになってるけど、戻らなくて大丈夫な訳?
ジャネタお婆ちゃんが始めた新しい商売。
この内容はかなり酷すぎて、今ではティトゥはドン引きしている。
まあ、ティトゥの気持ちも良く分かる。
けど、君は知らないだけで、ジャネタお婆ちゃんの思惑通りに進んだらまだまだこんなものじゃ済まないからね。
あくまでも今は過程であって、転がっている所だから。
しかも何が酷いかって、ジャネタお婆ちゃんは僕から話を聞いて、今のままだと行きつく先が破滅だって知った上でやってるから。
爆発させる気満々の爆弾に、せっせと火薬を足している所だから。
満面の笑みを浮かべているジャネタお婆ちゃん。
その日を想像しただけで笑いが止まらないのだろう。
マイラスもよくもこんな酷い人を僕らに紹介したもんだよ。
この人、僕がこっちの世界で出会った一番の悪党だから。
『どのみち、ハヤテの話はカルーラ様に通訳してもらわなければ、詳しい所は分かりませんわ』
『そうでした。でしたら早くステージの町に戻りましょう』
ティトゥの言葉にいそいそと僕に乗り込むジャネタお婆ちゃん。
最初の頃と違って随分と慣れたものだ。
『準備よーしですわ!』
『マエ。ハナレ』
僕はエンジンをかけると疾走。
水運商ギルドの屋敷の庭を飛び立つと、砂漠のオアシスの町ステージへと機首を向けるのだった。
次回「塩切手」