プロローグ 連合vs同盟
お待たせしました。再開します。
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ヴルペルブカ砦。
チェルヌィフ王朝の王都ザトモヴァーから、ほぼ東90kmに位置する要塞である。
ちなみに日本だとこの距離は、大体、東京―箱根間に相当する。
ヴルペルブカ砦は王都を守るための要衝の地であり、ここを抜かれればほぼ王都まで一直線という最大の防衛ラインでもある。
今、この砦を守るのは2万の軍勢。
戦車派を代表するベネセ家とバルム家両部族による”同盟軍”である。
こうしている今も、その戦力は着々と増え続け、最終的には3万人に達すると見られている。
これに対するのは、帆装派の代表、サルート家を中心とする、サルート、ハレトニェート、ベルキレト、アクセムの”四部族連合軍”。
その総数、約7万人。
そう。この国最大の六大部族の全てが敵味方に分かれて戦うという、チェルヌィフ王朝始まって以来最大の内乱が、今、幕を開けたのだ。
兵数は連合側が圧倒的に有利。ただし、同盟側は長年ミュッリュニエミ帝国の侵攻からこの国を守って来たベネセ家とバルム家。
そんな彼らが堅牢な砦に立てこもって防衛しているとなれば、そう簡単に手は出せない。
しかし、一般には”攻撃三倍の法則”と言われ、攻める側は守る側の三倍の兵力が必要とされる。
そういう意味では、連合軍は防衛側の戦力が十分に整っていない現在こそ、攻めるべきとも言える。
ただし、砦を守るのは猛将マムス・ベネセ。
ベネセ家当主の弟で、若い頃からミュッリュニエミ帝国との戦いで勇名を馳せた、勇猛果敢な将である。
彼が守る砦に挑むには、相応の犠牲を覚悟する必要があるだろう。
対して、連合軍を率いるのはイムルフ・サルート。
父の死でサルート家を継いだばかりのまだ年若い当主である。
その彼を軍事面で支えるのが、イムルフの叔父のレフド・ハレトニェート。
ハレトニェート家の入り婿で、こちらも若い頃から帝国との戦いで勇名を馳せた将である。
ライバルでもあり、この国の防衛の要でもあるマムスとレフド。
二人は、帝国の”二虎”――ウルバン将軍とカルヴァーレ将軍――になぞらえて、王朝の”双獅子”とも呼ばれていた。
今、二匹の獅子が互いの喉笛を食い破ろうと、このヴルペルブカの地で睨み合っていた。
ベネセ家によるクーデターに端を発したこの一連の騒動。
不意を突かれた帆装派だったが、ここに来てようやく、少年領主イムルフを中心にベネセ家討伐の軍を起こすことに成功していた。
各地から兵は続々と集結し、現在約7万人。
昨年、ミュッリュニエミ帝国がペニソラ半島を攻めた際の総兵力を2万も上回ると聞けば、いかに圧倒的な戦力であるか分かるというものだろう。
これにはベネセ家当主エマヌエルの失策が大きく関わっている。
エマヌエルは、サルート家の挙兵を牽制するために、バルム家からの岩塩の販売を停止するという脅しをかけたのだ。
名目上は治安維持のためとされていたが、これが帆装派諸家の切り崩しを狙ったものであることは、誰も目にも明確だった。
人間が生きていく上で水に次ぐ必需品である塩を押さえられ、帆装派は大いに揺らいだ。
全てはエマヌエルの思惑通りに進むかに思われた。
しかし、ここから事態は誰もが想像しえない展開を迎える。
チェルヌィフ王朝の秘中の秘、叡智の苔。
彼の要請でこの国を訪れていた、転生者ハヤテと彼のパートナー、ティトゥ。
二人の竜 騎 士が、バルム家の岩塩に代わる塩の供給源を作り出したのだ。
竜 騎 士の二人は、小叡智カルーラ・カズダに頼まれて、砂漠に埋もれた黄金都市、リリエラを探索していた。
彼らは”竜の背”と呼ばれる砂漠の山脈に、その跡地を発見する。
そこで彼らはリリエラの真実を知った。
黄金都市リリエラとは、この地に眠る太古の塩湖、その塩湖から切り出した塩の輸出によって栄華を極めた都市だったのだ。
二人は帆装派最大のギルド、水運商ギルドのマイラスとジャネタを巻き込み、塩の販売を開始する。
ジャネタは精力的に帆装派貴族間を巡り、これによってエマヌエルの目論見は瓦解した。
これで今回の塩不足はどうにかなったが、このままベネセ家の専横を許していては、今後もまた同様な圧力がかけられるに違いない。
危機感を募らせた貴族諸家は、少年当主イムルフの呼びかけに賛同。
こうして彼の下には7万もの兵力が集う事になった。
つまり、エマヌエルの取った行動は単なる失敗にとどまらず、貴族達の恨みと危機感を煽る結果となってしまったのである。
とはいえ、さすがに彼を責めるのは酷というものだ。
竜 騎 士のやる事がデタラメ過ぎたのだ。こんな非常識な結果を予想しろと言う方が無理があるだろう。
さて。想定外の連合軍の大軍。これに対し、ベネセ、バルム両家の同盟は急遽国境線から兵を引き上げ、ヴルペルブカ砦で防衛線を敷いた。
この大胆な戦略は連合軍の諸侯達を大いに驚かせた。
帝国嫌いのエマヌエルが、ためらいもなく国境の防衛に穴を空けるとは思わなかったからである。
彼らは大臣イグノス・ヒゴがエマヌエルの協力者である事も、大臣が帝国と密接に関わっている事も知らなかったのだ。
こうして7万の連合軍と2万の同盟軍がヴルペルブカ砦で激突する事になった。
機先を制したのは同盟側だった。
連合軍の陣容が整う前に、マムスは自ら兵を率いて砦を出て攻め込んだのだ。
確かにレフドは優秀な将だ。しかし、連合軍の動きの悪さは彼の想定を大きく超えていた。
寄り合い所帯の連合軍は、練度も士気もバラバラで、その動きは巨獣のごとく鈍重だったのだ。
マムス率いる同盟軍は、敵を散々に食い散らかしたが、さすがに時間が経つにつれ、その攻勢に陰りが生じ始めた。
それを見たレフドは、隊列が伸び切った所を逆に攻め立てた。
こうなると兵力の差はいかんともしがたい。
マムスは、一時はあわや敵軍の中に孤立する寸前まで追い詰められた。
司令官の危機を見て取った副官が、砦から予備兵力を率いて出なければ、あるいはマムスはこのまま捕虜になっていたかもしれない。
マムスは副官に守られながら辛うじて砦に逃げ込んだ。
こうして、初戦は両軍痛み分けに終わった。
しかし、互いに思わぬ大きな被害を出した事で、これ以降は砦の前で小競り合いを繰り返す事になる。
レフドが連合軍の思わぬ脆さを知り、慎重になったのと同時に、マムスも血気に逸る自分の危うさを自覚させられたからである。
同盟軍は砦を堅守しながら後方の兵力を集め、連合軍は砦の弱点を探りながら、陣地を構築して敵の反攻に備える。
戦いは長期戦の様相を呈する事となった。
後の歴史では”ヴルペルブカ砦の戦い”と呼ばれる事になる、連合軍と同盟軍の主力同士のぶつかり合い。
しかし、同時に、この地での戦いは”表の戦い”とも呼ばれている。
表があるなら、当然裏がある。
後に”裏の戦い”と呼ばれる事になる戦場以外での戦い。
その戦いには、遠くペニソラ半島の小国、ミロスラフ王国からやって来た竜 騎 士の二人が関わっている。
ある意味では”表の戦い”以上にこの動乱の趨勢を左右した”裏の戦い”。
今からは時間を少々巻き戻して、その話を始めよう。
次回「カズダ堀り」