その34 計算違い
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チェルヌィフ王朝の王都ザトモヴァー。
その王城の一室。国王代行の執務室で、ベネセ家当主エマヌエル・ベネセは貴族の小男に詰め寄られていた。
「一体どういう事ですかベネセ様! 話が違うじゃありませんか!」
小男はバルム家の次男。
彼は領地の岩塩商ギルドに泣きつかれて、エマヌエルに直談判するために王城へとやって来ていたのだ。
「取引を止めるというのはあくまでも脅しであって、実際には行わないと約束されたから彼らも従ったのですぞ!」
「状況が変わったのだ。相手に脅しが効かないのだから実力行使をする以外はない。そもそも実行しない脅しになどなんの力も無い」
「なっ・・・ 我々をだましたのですね!」
彼らが話しているのは、一月ほど前に王城から帆装派貴族達に出された通告。
それは、”これ以上サルート家に協力するなら、バルム家の岩塩の取引を停止する”という脅しも同然の内容だった。
エマヌエルはこれで帆装派が内部分裂するものと見ていた。
しかしあれから一ヶ月。エマヌエルの目論見は大きく外れていた。
当初こそ日和った態度を見せていた帆装派貴族達だったが、今も変わらずサルート家に協力し続けている者達がほとんどだったのだ。
考えられる理由は三つ。
ひとつは、追い詰められて自暴自棄になっている。
ひとつは、取引を止められても岩塩の備蓄が残っている間にベネセ家を追い落とせる――つまりは短期決戦に必ず勝利するという何らかの根拠がある。
ひとつは、そもそも岩塩の取引を止めることなど出来はしないと高を括っている。
ひとつ目の理由はあり得ない。
領地の経済規模も考えも違う当主達全員が、一斉に自棄になるなどあり得ないからである。
そもそもサルート家に協力さえしなければ、今まで通り取引を続けるというのだ。
こちらが宣戦布告の最後通牒をしたというのならともかく、こんな理由でそこまで彼らが追い込まれたとは考えられない。
ならばふたつ目の理由はどうだろうか?
そもそも戦いで確実に勝利できるなどと誰にも断言できる訳がない。
仮に数倍の兵力を集められたとしても、こちらには王都に立てこもって防衛するという手もある。
ちなみに実際にそうなれば、エマヌエルは迷わず和睦の使者を送るだろう。
大きな内乱はこの国を虎視眈々と狙う帝国を利するだけだからである。
しかし、それは本人だから言える事であって、第三者が自信を持って言える事ではない。
よってこれも難しいと言って良いだろう。
みっつ目の理由は、先のふたつよりはまだ可能性がありそうだ。
実際にこうしてバルム家の倅が血相を変えて駆け込んできているのだ。
岩塩商ギルドの事情を知る水運商ギルド辺りが入れ知恵をしたとすれば、あり得なくもなく思える。
もしそうだとすれば、彼らの判断は甘いと言わざるを得ない。
商人である岩塩商ギルドは本質的に商売の利益に縛られるが、エマヌエルはそうではない。
こちらを甘く見ている相手には、実際に痛い目に遭ってもらうしかない。
振り上げられた剣をなまくらだと思い込むのは勝手だ。
だが、こちらは切れない剣を振り上げた覚えはない。
彼らには自分に都合良く判断した代償を払ってもらうだけである。
この時、エマヌエルはもう一つの可能性にも思い当たっていた。
しかし、彼はすぐにその可能性を頭から振り払っていた。
それは”岩塩をバルム家以外から手に入れる”というものだったからである。
国内にはバルム家を超える採掘孔は存在しない。
仮に国外から輸入するにしても、ひと月ではまだ船は港に戻っていないだろう。
現時点で帆装派貴族に余裕がある理由としては弱い。
可能性としては隣の国である帝国からの輸入だが・・・
現時点で帝国がこちらを裏切るようなマネをするとも考え辛い。
この国の内乱を狙っている? 仮にそうだとすれば稚拙すぎる。
もし、サルート家の背後に帝国がいると明らかになれば、彼らの挙兵は一気に正当性を失うだろう。
これでは誰も付いて来ない。戦う前から勝敗が決しているようなものである。
「必要であればやる。やらないなどと約束をした覚えはない。岩塩商ギルドにはそう伝えておいて貰おう」
「くっ・・・ いずれ後悔しますぞ!」
バルム家の次男は捨て台詞を残すと乱暴な足取りで部屋を後にした。
部屋のドアが閉まると、エマヌエルは部下に指示を出した。
「いくつかの帆装派貴族に対する岩塩の取引停止を実行させろ。こちらが本気であると伝わりさえすればいい。その辺りのさじ加減は任せる」
「こちらのリストにある貴族家を考えています・・・しかし、バルム家の方は本当によろしいのでしょうか?」
「構わん。商人の都合で政治をするわけにはいかない」
リストにはサルート家と繋がりが特に強い貴族家と、今回のベネセ家の暴挙に強い反発の意を示している貴族家が書かれていた。
エマヌエルはざっとリストに目を通すと、祐筆に命じて命令文を書かせた。
この時点で彼はハヤテ達がリリエラで塩塊を発見した事を知らない。
その情報が王城までもたらされるのは二日後の事である。
すでにエマヌエルの命令は実行された後であった。
事情を知ったエマヌエルは、帆装派貴族の動きに納得すると共に後悔の臍を噛む事になるのだが、それは後日の話。
面倒な話は重なるものである。
バルム家の次男が去った後、今度はこの国の大臣イグノス・ヒゴが面会を求めて来た。
「小叡智の件はどうなったのですか?」
「どうなったとは?」
ヒゴ大臣は恰幅の良いどじょう髭を生やした中年男だ。
エマヌエルは事務的に彼の質問に答えた。
「以前にも説明した通り、新たな小叡智選出の準備は進めている。だが今は人手が足りず政務が滞っている。こちらの体制が整い次第とり行うのでそれまで待っていろ」
小叡智の姉弟――カルーラとキルリアは実家のカズダ家に戻っていると、部下から報告を受けている。
王城に戻るように命じるのは簡単だが、ベネセ家を警戒するカズダ家はおそらくこの命令を断るだろう。
そこでエマヌエルは、二人に代わる新たな小叡智を選ぼうとしていた。
・・・というのはあくまでも建前に過ぎない。実際はエマヌエルは時間稼ぎをしていたのだ。
その理由とは――
「それがおかしいのです! 本当に新たな小叡智などが必要なのですか?! 彼らに対して国内での行動の許可さえ与えて頂ければ、砂漠の実家から二人を確保して来てもらえるものを!」
そう。ヒゴ大臣の友人――帝国の工作員が小叡智の身柄を狙っているからである。
その瞬間、エマヌエルの目がすわった。
数々の戦場で敵兵の命を奪って来た男から放たれる殺気で、部屋の温度が1~2度下がったように感じられた。
ヒゴ大臣は「ひっ」と息をのむと、額から汗を噴き出した。
「彼ら? この俺に、帝国人が我が国の貴族の子女を攫うための許可を出せと?」
「し・・・しかし、先方は待ちくたびれているのですぞ。今朝も私に催促の連絡がありました。これ以上待たせれば彼らの信用を失うような事になりかねませんぞ」
ハンカチで汗を拭きながら、怯えながらも懸命に説得を続けるヒゴ大臣。
「信用とは何に対する信用だ? なぜ我が国が彼らの都合に合わせなければならない? 帝国人は小叡智との対話を希望していると聞いているが、こちらの準備が整うまで待てない理由でもあるのか?」
「・・・そんな理由がある訳がないではないですか。彼らだって忙しい中、こちらに合わせてこうして待ってくれているのです。なればこそ彼らの誠意に応えるためにも――」
「だったら待っていて貰えばいい。十分なもてなしはしているのだ。決して彼らに不自由はさせていないはずだが?」
ヒゴ大臣はそれでもどうにか帝国人の行動の許可を取ろうと頑張ったが、エマヌエルは首を縦には振らなかった。
「大臣。次の面会者が待っておいでですので・・・」
「――分かりました。今日の所はこれで帰ります。お時間を頂きありがとうございました」
「ああ。帝国の友人には、希望に添えずに申し訳ない。私がよろしく言っていたと伝えておいてくれ」
ヒゴ大臣はエマヌエルから一ミリも心のこもっていない謝罪の言葉を受け取って部屋を出て行った。
「国に巣くう奸賊め。一体お前はどこの国の大臣だ」
帝国との関係を気にするあまり、彼らにおもねる態度を取り続ける大臣に、エマヌエルはほとほと愛想が尽きていた。
あれで仕事に関しては有能な男である事と、帝国からの軍事介入を防ぐため、やむを得ず味方に引き入れているだけだ。
先程の部下がエマヌエルに報告した。
「大臣の屋敷に兵が集まっているという情報が入っております。それとベネセ領内の街道の通行手形の申請もありました」
「攫った小叡智を連れて我が領を通るつもりか? どこまで厚顔無恥な男だ」
証拠こそないものの、帝国軍が大臣に小叡智の身柄を要求しているのは明白だ。
そして大臣は帝国との関係が強化されるのであれば、小叡智を彼らに引き渡すのもやむなしと考えている。
ヒゴ大臣の屋敷に集められた兵は小叡智捕獲のための戦力、ないしは帝国まで小叡智を輸送するための護衛だろう。
馬鹿げた判断だ。
エマヌエルにとって大臣は唾棄すべき売国奴にしか思えなかった。
彼は帝国に小叡智どころかラクダ一頭くれてやるつもりは無かった。
「一応体裁くらいは整えておいた方がよろしいのでは?」
「何がだ? いや、そうだな。何もしていないでは大臣の顔も立たんか。小叡智選抜の通知は出せ。ただし現状では詳細は未定。決まり次第追って連絡する、とでもしておけ」
「はっ」
ヒゴ大臣が帝国に好意的なのは、実はある意味では好都合でもある。
期せずして帝国のストッパー役となっているからである。
”大臣にはまだ使い道がある”と帝国側が判断している間は、彼らもチェルヌィフ国内で派手な活動は出来ないだろう。
大臣からの信用を失うだけでなく、大臣の立場をも悪くしてしまう可能性があるからである。
今の地位を失ったイグノス・ヒゴ個人に、一体どれだけの価値があるというのか。
現時点で帝国が優秀な手ごまを失うようなマネをするとは考え辛かった。
エマヌエルの判断は間違っていない。
実際にこの時期、この国に潜伏している帝国軍非合法部隊は、その活動を封じられていたからだ。
ただ、彼のこの判断によって、国に小叡智が不在な期間が出来てしまった。
そのため、叡智の苔の側には叡智の苔の声を伝える者がいなかった。
叡智の苔が予知したネドマの発生は、誰にも知られないままとなってしまったのだ。
次回「エピローグ 塩の同盟」