その33 とある貴族の苦悩
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ここはビーラー家の屋敷。
ビーラー家の当主アレクニクは、答えの出せない難問に頭を痛めていた。
「・・・サルート家は裏切れない。だが、岩塩の取引を止められては、町の経済が破綻してしまう」
ビーラー家は、六大部族サルート家傘下の貴族家としては最大規模の部族となる。
アレクニクの妻がサルート本家の娘であることからも、両家の繋がりの強さがうかがわれる。
しかし今、長く続いた両家の絆に大きなくさびが打ち込まれていた。
それは一月ほど前に届いた王家からの書状。
そこにはこう書かれていた。
「サルート家当主イムルフ・サルートはいたずらに兵を集め、国内を混乱させようとしてる疑いがある。貴族諸家はくれぐれも軽挙妄動に踊らされる事の無きように」
自分達が武力で王城を押さえておきながら、いけしゃあしゃあとこのような書状を送り付けるベネセ家当主の面の皮の厚さには呆れるばかりである。
だが、そこには呆れるだけでは済まされない内容が記されていた。
サルート家に協力する者には、今後バルム家は一切の岩塩の取引を停止するというのだ。
バルム家の領地から採れる岩塩は、ほぼこの国の需要を賄っていると言っても過言ではない。
この決定はサルート家に協力する帆装派貴族諸家を震え上がらせた。
現在の所、実際にこの制裁を受けた家の話は伝わっていない。
しかし、王城が――ベネセ家が本気である事は間違いない。
そういった意味では、そろそろ何処かの家に通告があってもおかしくはない。
もしも、自身の領地が選ばれてしまったら。
帆装派貴族達は、どうする事も出来ないまま不安な日々を過ごしていた。
そんなアレクニクの執務室に、血相を変えた家令が飛び込んで来た。
いつにない家令の青ざめた顔に、最悪の事態を察して表情が凍るアレクニク。
「ご当主様! 大変です!」
「ま・・・ まさか王都からの使者か?!」
「は? 違います! 化け物が! 町に化け物が飛来しました!」
その時、屋敷の外からヴーンという低いうなり声が響いて来た。
屋敷の中庭に降り立ったのは巨大な緑色の怪物だった。
体毛は無く、体の表面はツルリとしてまるで金属のような光沢を放っている。
屋敷中の人間が固唾をのんで見守る中、怪物の背中の透明な覆いがスライドすると、ピンク色の髪をした若い美貌の娘が立ち上がった。
「私はミロスラフ王国の竜 騎 士! ナカジマ家当主、ティトゥ・ナカジマですわ! この・・・ええと・・・ボソッ(なんて名前だったかしら?)。こ、この屋敷の当主にお話があるという者を連れて参りました!」
「この屋敷の当主は私だ」
アレクニクは、震える手で槍を構える護衛の騎士達を下げると、彼らの前に出た。
この時、ナカジマ家当主を名乗る少女の後ろから、日に焼けた老婆が顔を出した。
「お久しぶりでございます、ビーラー様。覚えておいででしょうか? 水運商ギルドのジャネタでございます」
「ジャネタ?! どうしてお前がここに?!」
意外な人物と意外な形での再会に、アレクニクは頭の中が真っ白になってしまった。
ここはビーラー家の応接間。
ティトゥはハヤテの上から降りなかったので、ここにいるのはアレクニクと彼の17歳になる長男、それと水運商ギルドのジャネタの三人だけとなる。
メイドがお茶を出し終えて下がると、早速ジャネタが口を開いた。
「直接お屋敷に押しかけるような無礼をお許しください。なにせハヤテ様はせっかちなもので」
自分でハヤテに屋敷の庭に降りるように頼んでおきながら、サラリとハヤテのせいにするジャネタ。
ちなみに帆装派であるビーラー家は、当然、水運商ギルドとの繋がりが深い。
ジャネタは先代当主の頃からこの屋敷に出入りしていた。
「う・・・うむ。それで先程聞いたハヤテとやらがドラゴンという話はまことなのか」
「はい。ナカジマ様とハヤテ様は正真正銘ミロスラフ王国の竜 騎 士でございます。ハヤテというのはあの緑色のドラゴンの名前となります」
ジャネタの言葉に、アレクニクの息子が「ドラゴンなんておとぎ話の存在だと思っていた・・・」と呟いた。
信じ難い話ではあるが、実際にこの目でハヤテが飛ぶのを見ている以上、信じる他はない。
逆に言えば、あんな存在がドラゴンでないならば一体何だと言う話だ。
「王都ザトモヴァーにドラゴンが飛来したという噂は聞いていたが・・・ まさか本当の話だったとは」
新聞も無ければTVもネットもないこの世界では、最新情報というのは人伝で伝わる間にどうしても形を変えてしまう。
ましてや科学の進歩した現代の地球とは異なり、オカルトじみた迷信が人々の間にまことしやかに囁かれる中世の世界である。
アレクニク達がドラゴンの噂を眉唾ものだと考えていたとしても無理のない話だろう。
「重ねて申し訳ございませんが、本日は他に行く所もございます。竜 騎 士のお二人を待たせるわけにはいかないので、話を進めても構いませんか?」
「あ・・・ああ。分かった」
聞きようによってはジャネタの言葉は随分と不敬とも思えるが、水運商ギルドの経済力はそこらの貴族を軽く超える。
六大部族に繋がりの深いビーラー家の当主といえど、ジャネタを軽んじる事は出来なかった。
「先ずはこちらをお納めください」
「これは・・・ 聖国陶器か。随分と珍しい柄だな」
「だが、割れているじゃないか」
贈答用に飾り付けられた小さな箱に入っていたのは、陶器の小皿だった。
アレクニクの息子が一目見てつまらなさそうに言い捨てた。
彼が指摘したように、皿は割れたものを継いだ跡があった。
「はい。こちらはハヤテ様に教わった”金継ぎ”という技法で修復しております。なんでもドラゴンの間では、こういった品を”趣きがある”と言って好まれるのだそうです」
”金継ぎ”は、割れたり欠けたりした陶器を修復した跡に、金などの金属粉を塗って装飾する技法である。
修復された継ぎ目は”景色”と呼ばれ、昔からある種の芸術としてその”趣き”を楽しまれている。
もちろんハヤテは骨董品に造詣が深い訳では無い。
いつものように聞きかじりの知識を披露したのを、ジャネタが職人に再現させたのだ。
全ては東方陶器の欠片の価値を少しでも上げるためである。
「そうなのか? ドラゴンは変わっているのだな。俺には割れた皿にしか思えないが」
残念ながらこの世界では”趣き”は理解されないようだ。
単にこの少年の陶器に対する興味が薄いだけなのかもしれないが。
率直な感想を受けて、ジャネタは苦笑を浮かべた。
「実は私もそう思わないでもないのですが・・・ 今となっては割れていないものはほとんど現存していないので、やむを得ないと思って下さい」
「何? どういう意味だ? 陶器の皿ならうちにもあるが?」
「! ま・・・まさか! これは”東方陶器”?!」
「父上?」
ジャネタのヒントからアレクニクは正解にたどり着いたようである。
彼はギョッとするとまじまじと目の前の皿を見つめた。
「これを一体どこで手に入れたんだ?!」
「それをこれから話そうと思います」
ジャネタが差し出したのは、割れを修復した陶器の小皿。
「是非手に取ってご確認ください。そちらにお納めしたものですのでご遠慮なく」
「これを?! ”東方陶器”を譲ってくれるというのか?!」
「父上、東方陶器とは一体? 聖国の陶器とは違うのですか?」
アレクニクは息子に簡単に説明をした。
「つまり、聖国陶器の元になったオリジナルなんですね」
「そうだ。割れているのも当たり前だ。完全な形の物は王城の宝物庫にしか残っていないのだからな」
この小皿の希少価値を知ったからだろう。
少年の表情にはさっきまでの嘲りはどこにもなかった。
「こちらは竜 騎 士のお二人が、砂漠で廃墟となった町から見つけた物です」
「砂漠の? まるで黄金都市伝説だな」
「・・・・・・」
「どうした? 急に黙り込んで」
ジャネタは無言でこちらをじっと見ている。
怪訝な表情を浮かべるアレクニク。
この老婆は今から何か重大な話を打ち明けようとしている。
確信めいた予感に、少年の喉が緊張でゴクリと鳴った。
やがてジャネタは沈黙を破って言った。
「私達はその廃墟こそ、伝説の黄金都市リリエラだと考えています」
「「なっ!」」
次回「計算違い」