その32 貴族懐柔作戦
砂漠のオアシスに朝日が昇る。
家々から朝食の支度をする煙が立ち昇り始めた。
そんな早朝に親子ほど年の離れた一組の男女が僕のテントにやって来た。
水運商ギルドのマイラスと、彼の師匠のジャネタお婆ちゃんだ。
『ゴキゲンヨウ』
『ごきげんよう。あんたのご主人様はまだ来ないのかね?』
どうだろう? ティトゥは僕のご主人様なんだろうか?
じゃなくて。
どうだろう? さすがにまだ寝ているか、カルーラのお屋敷で朝食を食べているところなんじゃないかな?
『・・・だから言ったんですよ、早すぎるって。なのに師匠が急かすから』
『うるさいね! 一度宿屋に戻って出直すよ!』
どうやら二人は朝食もとらずに、朝イチで僕のテントまでやって来たみたいだ。
何やら言い争いをしながら去って行った。
宿屋に戻って朝食でも食べるつもりなんだろうね。
しばらくたって再び二人が戻って来た。
それから待つ事少し。いつものようにティトゥを乗せたカズダ家の馬車がやって来た。
『誰?』
『おはようございますカズダ様。こちらは私と同じ水運商ギルドのジャネタです』
『ジャネタと申します。カズダ様にはお初にお目にかかります』
カルーラ相手に早速営業トークを始める二人。
ティトゥが面倒くさそうに二人の言葉を遮った。
『それよりもこれがリリエラで見つけた陶器ですわ』
『おおっ! これが!』
メイド少女カーチャが持つ高価そうな箱に入っていたのは、マイラスとティトゥ達が集めたあの”東方陶器”の欠片だった。
ジャネタお婆ちゃんは素手で触らないようにハンカチを取り出すと、例の小鉢を丁寧に持ち上げた。
『確かにこれは東方陶器。まさか完全な形の品をこの目で見る日がくるなんて・・・』
感動するジャネタお婆ちゃん。
そしてどこか居心地が悪そうにするティトゥとカルーラ。
いや、君達二人共、一体どれだけ適当に扱っていたのさ。すごく気になるんだけど。
『ナカジマ様。少しご相談したい事があるのですが、よろしいでしょうか?』
『かまいませんわよ』
『私も聞く』
マイラスの言葉に若干食い気味に答えるティトゥとカルーラ。
一刻も早くこの場を離れたい様子だ。
そんな主人達にカーチャは困った顔をしている。
何なんだろうね君達は。
『先ずはこの国の現状から話さないといけません』
マイラスから聞かされた話は驚くべきものだった。
六大部族のバルム家が、「イムルフ少年達サルート家に協力する者達には、自領で採れる岩塩を売らない」と、言って来たというのだ。
正確にはバルム家が言って来た訳ではなく、王城からの通達だったそうだが、現在王城はクーデターの主犯であるベネセ家が占拠している。
そしてバルム家とベネセ家は同じ戦車派に属している同盟相手だ。
つまり事実上、ベネセ家からの脅迫と考えていいだろう。
『以前も説明しましたが、バルム家の領地にはこの国最大の岩塩の採掘坑があります。そのため現在、多くの者がサルート家から離反、ないしは中立の立場を取ろうとしています』
まあ気持ちは分かる。
日本だって40年程前までは、塩は”専売公社”といって特殊法人で取り扱っていたくらいだ。(※日本専売公社は1985年に解散。塩専売制度自体も1997年に廃止され、現在は自由市場となっている)
ちなみにティトゥの所のミロスラフ王国でも、塩は王家の専売品で、領主が勝手に税をかけたり流通を止める事を禁じているらしい。
それくらい塩というのは生活の根幹に関わる物なのだ。
その塩の供給を止めると脅されれば、日和ってしまう者達が出ても仕方が無いだろう。
『けど、リリエラには塩の塊がある』
『そうですわ。リリエラから塩を運んで売ればいいんですわ』
『そうです。そしてバルム家もベネセ家もそれを知らなかったのです』
知らなかったも何も、僕らだって三日前まで知らなかったからね。
あんな所に古代の塩湖の跡地があるなんて、この国の誰も予想してなかったんじゃないかな。
『我々がすべきは、採掘施設の建設と流通の確保です。そのための手配は私が引き受けます』
『それならカズダ家も手伝う』
『私とハヤテもお手伝いしますわ!』
『今の言葉、しかと聞いたよ』
ティトゥが後ろを振り返ると、いつの間にかジャネタお婆ちゃんが僕達の話を聞いていた。
『ナカジマ様とハヤテ様にはやってもらいたい事があるのさ。大陸広しと言えどもあんた達竜 騎 士にしか出来ない仕事だ』
『望むところですわ!』
ジャネタお婆ちゃんの殺し文句に、ティトゥがふんすと鼻息も荒く答えた。
流石はマイラスの師匠。ティトゥの弱点を的確に撃ち抜いて来たね。
『アタシを乗せて、貴族達の屋敷を回って貰いたい』
リリエラの砂の下には莫大な塩が眠っている。
とはいえ今のままでは、採掘するにも、塩を運ぶにも準備が足りない。
どれだけ急いだとしても、リリエラから塩が流通するのはもうしばらく先の話になる。
幸い、バルム家は脅しをかけているだけで、まだ岩塩の販売自体を止めているわけではない。
『というよりも、今すぐに止める事は難しいと思います』
岩塩はバルム領の最大の産業だ。
それを止めるのはバルム家の収入を断つ事に等しい。
ある意味バルム家にとっては帆装派の貴族達は最大のお得意様なのだ。
脅しとしては使えても、簡単には実行出来ないのだろう。
『それでも警告に従わない場合は、実際にいくつかの領地との取引は停止するでしょうが』
最小の犠牲で最大の効果を狙う訳か。なるほど、ありそうな話だ。
誰かが痛い目に遭わないと、理解出来ない人だっているだろうしね。
つまり、今はまだ取引自体は続いている訳だ。
そして市場にも通常通りに岩塩が流れている。
まだ岩塩に猶予のある今の時期なら、向こうに傾いた流れをこちらに取り戻す事が出来るかもしれない。
『そうです。相手がこちらの動きに気付いて岩塩の取引を止めたとしても、領地に貯えられた備蓄分もあるし、すぐに塩が不足する事は無いでしょう。そしてしばらく待っていればリリエラから塩が手に入ると知っていれば、彼らの動揺も最低限に抑えられるはずです』
そして実際にリリエラから塩が入るようになった時、貴族達の心はどう動くだろうか?
塩も確保されたので安心してベネセ家を許す? 冗談じゃない。
むしろ積極的に、ベネセ家打倒を目指すイムルフ少年に協力するようになるだろう。
ベネセ家の専横を野放しにしておけば、いつまた今回のように脅しをかけられるか分かったものではないからだ。
『このまま何も手を打たなければ、彼らは完全に相手側についてしまいます』
『そうなる前に彼らを説得して回りたいのさ』
なるほど。そのための説得をジャネタお婆ちゃんがするというわけか。
『そんなに上手くいくかしら?』
『ナカジマ様は心配性だね。これでもアタシは帆装派の貴族様達の間に少しは顔が利くのさ。ここは任せてくれないかね』
ジャネタお婆ちゃんはチラリとカーチャの持つ東方陶器の入った箱に目をやった。
『あれを頂ければ更に上手くやれる自信があるよ』
『いいですわよ』
うん。どう見ても君はあの陶器の価値を分かっていないみたいだからね。
ジャネタお婆ちゃんに有効利用してもらった方がいいだろう。
こうして僕達の”貴族懐柔作戦”はスタートした。
マイラスはリリエラから塩を運び出すためのルートの構築。
カルーラのカズダ家は、彼に協力して物資の手配やキャンプ地作りの手伝い。
そして僕はティトゥとジャネタお婆ちゃんを乗せて、帆装派の貴族のお屋敷巡りだ。
ティトゥは同行する意味が無いだろうって?
まあ実際そうなんだけど、彼女の設定では僕はパートナー以外は乗せて飛ばないって事になっているから。
今となっては大分ガバガバな設定の気もするけど、彼女の中ではどう整合性を取っているんだろうね。
一度聞いてみたいような、どうでもいいような・・・
次回「とある貴族の苦悩」