その31 戦車派のミス
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ここはオアシスの町ステージ。
日も傾き、町の家々から夕食の支度の匂いが漂い出す時間。
この町唯一の宿も食事の支度に追われている。
そんな宿の一室で宿泊客の男女が顔を突き合わせていた。
「師匠。今日はお疲れ様でした」
「・・・ああ。本当に疲れたよ。と言っても体は大して疲れちゃいないがね」
男――水運商ギルド職員マイラスの言葉に、老婆――同ギルド職員ジャネタが答えた。
「ドラゴンのイスは固いが、ほとんど揺れなかったからね。船に乗っているようなもんだったよ。あれに比べれば馬車での移動の方が地獄だね」
今日、ジャネタはハヤテに乗って南の港町ハラスから、リリエラの遺跡を経由して、このオアシスの町に到着した。
途中リリエラで調査をした時間を省いて、総飛行時間約四時間。
「まさか半日もかからず、このザトマ砂漠をほぼ横断してしまうなんてね・・・ 自分で経験していながら未だに信じられないよ」
広大なザトマ砂漠はこのチェルヌィフ王朝に住む者にとって、広大な陸の大海であり、時にはその名は死を意味する忌み語ですらある。
そんなザトマ砂漠を竜 騎 士はちょっと隣町に出かけるような気軽さで横断したのだ。
生粋のチェルヌィフ人であるジャネタが、未だに信じられずにいるのも無理のない話である。
「アンタもこんなものを見せられて良く平気でいられるね。これが若さってヤツかねえ。アタシら年寄りとは頭の固さが違うよ」
三十歳手前の歳なのに「若い」と言われて苦笑するマイラス。
老婆の中では、彼は未だに駆け出しのひよっこだった頃のイメージが抜けていないのだろう。
「それで師匠。川を使っての塩の輸送ですが――」
「その前に。アンタこの話をどうするつもりだい?」
部屋の空気が凍り付いた気がした。
息をするのもはばかられる緊張感の中、マイラスは疑問を口にした。
「どうするつもりとは?」
「とぼけんじゃないよ」
ピシャリと切り捨てられ、マイラスは小さく深呼吸した。
ここは腹を割って話す必要がある。
そう覚悟を決めたのだ。
「ギルド長には何も報告していません。また、そうするつもりもありません」
「・・・ほう」
ジャネタの眼光は鋭いままだ。
「彼ではダメ――いや、水運商ギルドは現体制ではいずれダメになるでしょう。血の入れ替えが必要です」
水運商ギルドは現体制になってから、ギルド長ドッズの専横が目に余るようになっていた。
彼は自分の派閥に属する者だけを要職に就け、ジャネタのように派閥から外れた者に対しては、その能力のいかんにかかわらず閑職に回した。
「・・・何もドッズに限らないだろう。前のギルド長だって、その前のギルド長だって似たような事はやっていたさ」
「その悪しき流れをここで断つべきだと俺は思います。いや、断たないとダメだ。派閥の序列ではなく、個人の実力で役職に就けるべきだ。今のギルドはそんな当たり前の事が行われていない。水運商ギルドは商人の原則に立ち戻るべきだ。そして俺が知る限りそれを実行出来るのは師匠、あなただけだ」
誰よりも実力がありながら、女というだけで長年ギルドの中で冷や飯を食わされ続けて来たジャネタ。
マイラスの知る限り、部下を育てる能力に長けて実力重視の彼女こそ、水運商ギルドの新たな派閥の長に相応しかった。
「まあ確かに。アタシとしてもドッズの野郎に言いたい事が山ほどあるのは間違いないね」
「だったら――」
「焦るんじゃないよ。まだアンタの返事を聞いていない。アンタは伝説の都市リリエラをどうするつもりなんだい」
マイラスはなぜジャネタがこの質問を繰り返すのか分からなかった。
結局彼は自分の計画を正直に話す以外には無かった。
「現体制へ反抗するための武器として使います」
「ほう。リリエラが生み出す現金を武器にしようというわけだね」
マイラスは頷いた。
「短期的には”東方陶器”を。長期的には”塩塊”を、現体制に対する切り崩しに使います」
「いいね。ドラゴンだとか伝説の都市だとかよりも、そういった話の方がよっぽど商人らしい。アタシの好みだよ」
「そのためにも師匠には少しでも高く売りつける――稼ぐための協力をお願いします」
昼間、ジャネタが見た範囲では、ヴィドラ川を使った輸送は十分に採算の取れるものであった。
しかし、ジャネタが聞きたいのはそういう話ではなかった。
どうやらマイラスは知っていてわざととぼけている訳では無いようだ。
ジャネタはそう判断すると、ポンと膝を打った。
「いや分かったよ。さてはアンタ最近本部に戻っていないね?」
自分の言葉にジャネタは納得している様子だった。
さっきまでの剣呑な空気はすっかりどこかに消え去っている。
逆にマイラスは疑問を深めていた。
確かに彼はずっとこのステージの町に留まっている。
自分がこのオアシスの町にいる間に、本部で何かあったのだろうか?
「アンタは塩塊を国外に輸出する事しか考えていないみたいだから、一体何故かと思っていたよ。なるほど、まだ知らなかったんだね」
「本部で何かあったんですか?」
ジャネタはニヤリと笑った。
「違うよ。何かあったのは六大部族の方さ。戦車派のバルム家が自領の岩塩を武器に他家に圧力をかけて来たんだよ」
バルム家は戦車派三部族の一角。
今回王都でクーデターを起こしたベネセ家とは共闘関係にある。
そして国内で消費される大半の岩塩の生産地でもある。
バルム家は領地で豊富に採掘される岩塩の販売停止をちらつかせる事で、ベネセ家に対抗するサルート家ら帆装派に圧力をかけて来たのだ。
「実際、帆装派諸家、ベルキレト家、アクセム家はすっかり縮み上がってるって話だよ。サルート家でも内部で反対意見が出始めているって話だ。まあ仕方のない話だがね」
今までならバルム家がこのような脅しをかければ、他の五大部族による粛清が待ち構えていただろう。
しかし、現在王城はバルム家の同盟相手ベネセ家が押さえている。
いや、おそらくベネセ家当主エマヌエルからの要請を受けてバルム家が動いたのだ。
国内を騒がせようとするサルート家に協力するのであれば、その者達に対しては即座に岩塩の販売を停止する。
いわばこれは帆装派とそれに味方する者達に対する、ベネセ家からの”兵糧攻め”なのだ。
「まさかそんな事になっていたなんて・・・」
「まだ内々に通告している状況だからね。知っているのは一部の者だけさ。ずっと本部にいなかったアンタが知らなくても無理はないよ」
ジャネタはギルド本部に務めるかつての部下から、いち早くこの件に関する情報を伝えられていたのだ。
しかし、これでようやくマイラスにもジャネタの聞きたい事が分かった。
戦車派が塩の販売停止をちらつかせている状況で、マイラスはせっかく見つかった塩塊を国外に輸出しようとしている。
ジャネタはマイラスの行動は水運商ギルドの利益に反しているとしか思えなかった。
しかし、最初から知らなかったのなら納得できる。
「最初から事情を知っていれば、輸出しようなんて言い出しませんでしたよ」
「だろうね。まあおかげでアタシはアンタの本心が聞けた訳だがね」
クツクツと笑うジャネタ。
マイラスは体裁が悪くなって頭を掻いた。
「しかしこうなるとバルム家はドジを踏んだね」
「はい。彼らもまさかこのタイミングで塩塊が発見されるなんて予想だにしないでしょうから」
普通に考えればバルム家の行動は状況を決定しかねない一手だ。
塩という戦略物資を押さえたバルム家。
行政の中心である王城を押さえ、バルム家を権力と武力で支えるベネセ家。
この戦車派最強タッグに、帆装派は手も足も出ない――はずであった。本来は。
「だが今、この国にはヤツらの想像もつかない常識外れの存在がいた」
「竜 騎 士のお二人ですね」
そう。
正に彼らはこの世界最大のトリックスター。
竜 騎 士の生み出す一手。それは勝負の大前提をひっくり返す奇手。六大部族どころかこの国の誰もが予想すら出来なかった魔法のような一手。
「さあて面白くなって来た。コイツはドッズとその部下なんかにゃ手に負えないね」
「師匠が出張るしかないですね」
「はんっ! 何言ってんだい! アンタも手伝うんだよ!」
この後、二人は夕食の時間も忘れて打ち合わせを重ねた。
夜もとっぷりと更け、日付が変わる頃になってから、ようやく彼らの話し合いは終わるのだった。
次回「貴族懐柔作戦」