その30 ジャネタ空を飛ぶ
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少しだけ時間は巻き戻る。
水運商ギルドのマイラスがギルド長の命令を受けて、オアシスの町ステージへと旅立った直後の話。
ここは水運商ギルド本部。血相を変えた事務員がギルド長の部屋に飛び込んで来た。
ギルド長は迷惑そうに書類から目を上げた。
現在のギルド長は極端に保守的な性格で知られている。
そんな彼にとって、部下がうろたえるような想定外の事態は迷惑でしかなかったのだ。
「大変ですギルド長! 王城からこのような通告が届けられました!」
ギルド長は無言で手を伸ばすと男の手から紙を受け取った。
「なっ! バルム家は本気で言っているのか?!」
ギルド長は驚きの声を上げ、再び文面に目を通した。
何度読み返しても間違いようはなかった。
それは水運商ギルドのみならず、水運商ギルドの所属する帆装派貴族に対する、バルム家からの脅しも同然の内容だったのである。
事態の深刻さを理解したギルド長の顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。
「サルート家新当主、イムルフ・サルートの決起軍へ協力を行う相手とは、バルム家は今後一切の岩塩の取引を行わない――これを王城が認めただと。そんな馬鹿な・・・」
名目としては治安維持のためだが、王城からこのような通告が来た理由は明白である。
現在も王城を占拠中のベネセ家とバルム家とは共闘関係にある――つまりはこの通告はベネセ家当主エマヌエル・ベネセからの恫喝なのだ。
狙いは反ベネセ派の切り崩しに間違いない。
バルム家の領地にはこの国最大の岩塩の採掘坑が存在している。
現在市場に流通している分でもしばらくはもつだろうが、本格的に取引が停止すれば――いや、噂が広まっただけでも、領内の経済に与える影響は計り知れないものになるだろう。
この書状は既に各地に届けられている。今頃帆装派貴族達は上を下への大騒ぎになっているはずである。
「ギルド長・・・」
「・・・こちらで対策が見つかるまでは緘口令を敷く。この事は一切他言無用だ。いいな」
部下は漠然とした不安を抱えながらも頷いた。
そして部下の不安は的中する事になる。
この後、ギルド長は何も明確な対策を取らないまま、漫然と時間を浪費していくのだ。
決断力も無く、判断力も低いギルド長は、この火急の事態に対応出来るだけの能力に欠けていた。
それどころかこの問題を抱え込んだあげく、心労のあまり病で倒れてしまう始末。
こうして水運商ギルド本部は機能不全に陥る事になるのだった。
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砂漠の南の港町ハラス。
そこで僕達は水運商ギルドマイラスの師匠、ジャネタお婆ちゃんに出会った。
ティトゥとマイラスは彼女に事情を話して協力をお願いした。
『その船の手配を師匠にお願いしたいのです』
『んな話、信じられねえって』
ジャネタお婆ちゃんはすっかり呆れ果てている様子だ。
どうやらティトゥ達の話があまりに突拍子もなさすぎて、理解が追いつかないみたいだ。
『ドラゴンだけでもたまげたっていうのに、伝説の都市リリエラ、更にはリリエラの繁栄を支えたのが太古の塩湖で、そいつがまるっと残っている、とか言われてもねえ・・・』
『けど事実ですわ』
ジャネタお婆ちゃんは小さくかぶりを振った。
『ナカジマ様のお言葉を信じていないとは申しません。しかし・・・ええい、マイラス! アンタこの年寄りになんて話を持ち込んでくれるんだい!』
遂にはマイラスにキレるジャネタお婆ちゃん。
結局「見て貰うのが一番早い」――というよりも実物を見てみないと手配も何もない、という話になって、後日、実際にリリエラの跡地まで僕が案内する事になった。
『それで、今夜の宿の手配はもう済んでいるのですか? まだでしたら当主の屋敷まで部下を走らせますが』
『そんな必要はありませんわ。これからステージまで帰ります』
『は? ステージ?』
どうやらジャネタお婆ちゃんは、ティトゥが何を言ったのか分からなかったみたいだ。
というよりも、貴族の付き合いを苦手とするティトゥが、この町に泊まって当主のもてなしを受けるわけがないよね。
見かねたマイラスが師匠に助け船を出した。
『ステージは砂漠の北東、カズダ家が治めるオアシスの町です』
『――んなこたあ知ってるよ! アタシをバカにしているのかい!』
マイラスは気の毒にジャネタお婆ちゃんに理不尽に怒鳴られながらも、哀れみのこもった目で彼女を見つめている。
どうやらマイラスは混乱する彼女に同情しているみたいだ。
その憐憫のまなざしが余程癇に障ったのか、余計に荒ぶるジャネタお婆ちゃん。
『それで、そちらの都合はいつがよろしいんですの?』
『アタシは別にいつだってかまいません。けど、今からステージまで戻るのでしたら――』
『なら明日のお昼前に迎えに来ますわ』
『はあっ?!』
ティトゥの言葉にポカンと大口を開くジャネタお婆ちゃん。
『いいですわよね? ハヤテ』
ん? それでいいんじゃない?
あ、でも、リリエラとハラスを往復した後、ステージまで戻るのは時間的にギリギリじゃないかな。
『でしたらステージの町で一泊して頂く事にはまいりませんの?』
『いやまあ、一泊で済むならむしろありがたいんですが・・・』
じゃあそれで決定で。
こうして僕達は明日、再びこの港町までジャネタお婆ちゃんを迎えに来る事になった。
すっかり疲れ果ててしまったジャネタお婆ちゃんを、マイラスが気の毒そうに見ていたのが印象的だった。
さて、翌日。
僕達は昨日の約束通り、ハラスの港町の外、街道沿いの空き地にジャネタお婆ちゃんを迎えに来ていた。
港に着陸するとまた騒ぎになるからね。
ちなみに今日はマイラスは乗せていない。ティトゥだけとなる。
胴体内補助席は一人しか座れないからだ。
『本当にステージから迎えに来たのかい?』
ジャネタお婆ちゃんは呆れ顔で僕達を出迎えてくれた。
それはさておき、後ろの男達が抱えている大きな荷物はなんだろうね。お土産かな?
『随分荷物が多いですわね』
『? 一泊二日とはいえ砂漠に入る以上、当然の準備でございます』
『? まあいいですわ。ハヤテの胴体にしまって頂戴。ハヤテ』
「了解」
僕は胴体横の出入口を開けた。
どうも二人の会話はどこかかみ合っていない気がする。
なんだか前提がおかしいような、そんな感じだ。
まあ、少々荷物が増えた所で僕は別にいいんだけどね。
ジャネタお婆ちゃんは部下にお尻を押されながらおっかなびっくり、僕の操縦席へと乗り込んだ。
『ず、随分と高いですね』
『空の上に比べればこんな高さはどうということはないですわ。後ろのイスに座って頂戴』
『このヒモは何なんでしょうか?』
『安全バンドですわ。こうやって締めますの』
てなやり取りもあって準備も終わり、後は飛び立つだけとなった。
『マエ ハナレ!』
エンジンをかけてプロペラが回り始めると、ジャネタお婆ちゃんの部下達は慌てて僕から離れた。
「試運転異常なし! 離陸準備よーし!」
『あの、何が始まるんですか? あたしゃまだ心の準備が・・・』
『喋ったら舌を噛みますわよ』
「離陸!」
僕はエンジンをブースト。ハ45誉の軽快なエンジン音が辺りに響き渡る。
一気に加速した機体は揚力を得ると――
フワリ
約四千kgの巨体を宙に浮かせた。
『ヒッ・・・ヒエッ』
独特の浮遊感にジャネタお婆ちゃんが小さな悲鳴を上げた。
僕はいつものように旋回しながら高度を上げていった。
現在高度2000m。僕は十分な高度を取ると水平飛行に移った。
『アンゼンバンド ハズス イイヨ』
『ほ・・・本当に大丈夫なんですか?』
『ヨロシクッテヨ』
ジャネタお婆ちゃんは震える手で安全バンドを外すと、恐る恐る外の景色を眺めた。
『・・・たまげた。本当に空を飛んでいるよ』
昨日今日と僕が飛んでいる所は見ているはずだけど、自分の目で大地を見下ろすのはまた違う感覚なのだろう。
ジャネタお婆ちゃんは呆けたように眼下の光景を見下ろしていた。
『あの芥子粒みたいなのが外洋船かね。なんとも驚いた。アタシは悪夢を見ているんじゃないかい?』
悪夢とは酷いな。
こうして空の上から景色を眺めていてもいいけど、ここであまり時間を取るとリリエラで時間が取れなくなるからね。
そろそろ切り上げて、北に向かおうかな。
『カワ ムカウ』
『ヴィドラ川を北上しますわ。構わないですわよね?』
『あ、ああ。分かったよ』
僕は翼を翻すと機首を北に向けるのだった。
『よもやセテベルナ山の頂をこんな間近で拝む日が来るなんてね』
『まさかカルチェカの町?! まさかもうこんなとこまで来たっていうのかい?!』
『ありゃあアルプーチの町かい。ははっ・・・ ドラゴンってのはもう何でもありだね』
ジャネタお婆ちゃんは、最初は眼下に何かを見つける度に驚いたり叫んだりしていたが、最後は乾いた笑いだけになってしまった。
ティトゥはジャネタお婆ちゃんが地名や町の名前を言う度に真面目にメモを取っていたが、お婆ちゃんが笑うだけで何も言わなくなったので手持ち無沙汰になったみたいだ。
今は退屈そうに空を眺めている。
そんなティトゥを見て、ジャネタお婆ちゃんは呆れ顔になった。
『アンタ・・・ 自分達がどれだけ異常な事をしているのか自覚はないのかい?』
元々図々しい性格なんだろうね。
ジャネタお婆ちゃんは今ではすっかり砕けた口調になっていた。
『そんな事は知りませんわ。異常だろうが何だろうが、ハヤテはドラゴンなのだから人間の常識なんて関係ありませんわ』
ティトゥの返事にジャネタお婆ちゃんは少しの間キョトンとしたが、やがて『ふふふ』と小さく笑った。
『違いない。全く。アタシはなんて馬鹿な事を言ったんだろうね』
ティトゥの言葉に何か吹っ切れたのだろうか。
これ以降、ジャネタお婆ちゃんはすっかり落ち着きを取り戻した。
それどころか眼下の景色を楽しむ余裕すら出来たみたいだ。
といっても、どこまで行っても砂と岩ばかりなんだけどね。
次回「戦車派のミス」