その29 師匠ジャネタ
『師匠。こちらのドラゴンがハヤテ様です』
『ド、ドラゴン?! アンタ達そいつがドラゴンだって言うのかい?!』
ハラスの港町で僕達が出会ったのは、口の悪い身なりの良いお婆ちゃん。
水運商ギルドのマイラスが師匠って呼んでいるって事は、水運商ギルドの職員なのかな?
師匠と弟子の感動の再会――にしてはいささかグダグダだったけど、お互いに状況が理解出来ていないんだから仕方が無いか。
『お知り合いですの?』
『あ、ハイ。あの者はうちのギルドのジャネタ。私が若い頃に色々と仕事を教わった者です。現在はデンプションの港町で商会の責任者をやっています。いえ、そのはずなんですが・・・』
『――あそこは追い出されちまったよ』
お婆ちゃん――ジャネタお婆ちゃんは日焼けした皺だらけの顔を歪めた。
『ドッズの所の子飼いが赴任して来てね。先月からこのハラスに転勤して来たんだよ』
『ヒソヒソ(ドッズは今のギルド長です)』
マイラスがこっそり説明してくれた。
なるほど。デンプションの港町とやらがどこの事かは知らないけど、ジャネタお婆ちゃんはつい最近までそこの責任者だったわけだ。
けど、ギルド長が人事権を乱用して自分の手下をそこのイスに据えた事で、職場を追われたジャネタお婆ちゃんはこのハラスの港町に飛ばされた――と。つまりは左遷だね。
『・・・ジャネタは誰よりも仕事は出来るのですが、女性というだけで水運商ギルドの役職には就けずにいるのです』
『まあ! 酷い話ですわ!』
マイラスの説明にティトゥが憤慨している。
同じ女性として思う所があるのだろう。
『はんっ! アンタだって最初はアタシが女だからって舐めた態度を取っていたじゃないか』
『それは・・・あの頃の話はもう勘弁して下さいよ・・・』
どうやらマイラスも若かりし頃はかなりイキっていたようだ。
大方、「なんで俺が女の下で働かないといけないんだ」みたいな態度を取っていたのだろう。
それを実力でへこまされちゃったんだな。きっと。
『師匠。それよりも話があります。どこかで我々だけで話せませんか?』
『――商売の話だね?』
この一言で商売の匂いを嗅ぎつけたようだ。
ジャネタお婆ちゃんの目に力が入った。
『はい。デンプションの港町に連絡を入れていたんですが、どうやらまだ届いていないようですね。でも、こうなると師匠がこの町に来ていたのも丁度良い』
『ふん。いいだろう。ドラゴンなんてどエライものまで持ち出したんだ。つまらない話だったらただじゃおかないよ。アンタ達! とっととコイツが入れる倉庫を用意しな! こんな場所で商売の話をするつもりかい!』
ジャネタお婆ちゃんはそう言うと部下の男達の尻を蹴り飛ばしている。
その光景を見て、ティトゥは呆れ顔を隠せない様子だ。
『お年を召しているのに、お元気な方ですわね』
『はい。ですが頼りになりますよ』
マイラスはニヤリと笑った。
僕はジャネタお婆ちゃんの部下の手で大きな倉庫に運び込まれた。
水運商ギルドの所有する倉庫の一つだそうだ。
ティトゥが倉庫の奥に積まれた樽を見て鼻に皺を寄せている。
『生臭いですわ』
『魚油ですね。ハラスの港町の産物です』
どうやらこのハラスは港町というよりも、どっちかと言えば漁師町に近いようだ。
立派な港は、外洋船が立ち寄る寄港地として作られたものなのだろう。
つまりは船の宿場町のようなものだ。
この土地自体にはあまり大した産業はないのだろう。
『当主は適当に言いくるめときな』
『そ、そんな無茶な』
『アンタも商人ならそのくらいおやり! 家令に袖の下を握らせておだてときゃいいんだよ! 皆まで言わせんじゃないよ!』
騒々しく部下を追い出しながらジャネタお婆ちゃんが入って来た。
『この町のヤツらは使えなくっていけない。こんな事ならデンプションからアタシの部下を連れて来とくんだったよ。子供が産まれたからって気兼ねするんじゃなかった』
ジャネタお婆ちゃんは何やらブツブツと呟いていたが、ティトゥの前に来ると優雅に腰を折った。
『先程はお見苦しい所をお見せして大変失礼いたしました。ご高名なナカジマ様のご尊顔を拝する喜び、光栄に存じます。私めは水運商ギルドのハラス支店長のジャネタと申します。お見知りおき頂ければ、これに勝る喜びはございません』
ご高名なナカジマ様って、全然知らなかったっぽいじゃん。
チェルヌィフの商人って、みんなシレっとこういう事言うよね。
口達者というか何というか。
『ナカジマ様。こちらのジャネタに例の話をしたいと思いますがよろしいでしょうか?』
マイラスの言葉にティトゥは少し考込んだ。
『この人はマイラスの師匠なのですわよね?』
『はい。この話、水運商ギルドでもジャネタ以外には実現不可能だと思います』
『どうかしら、ハヤテ』
僕に振りますか。う~ん、どうだろう。
元々マイラスはこの人に相談するつもりだったみたいだし、だったら別に話してもいいんじゃない?
『ヨロシクッテヨ』
僕の現地語にジャネタお婆ちゃんは驚いて目を見開いた。
『師匠。ハヤテ様は人間の言葉が分かるし、喋る事も出来る。あまり変な事を言わないで下さいよ』
『コイツは驚いた・・・ アンタ馬鹿デカイ図体のくせに随分と賢いんだね。おっと、今のは聞かなかった事にしておくれ』
まあ馬鹿デカイ図体なのは事実だし、別にいいけどね。
マイラスの話は最初からジャネタお婆ちゃんを驚かせた。
『はあっ?! 黄金都市リリエラ?! アンタあれは物語の中の伝説の都市だよ!』
『それをナカジマ様達が見つけて来たんですよ』
ジャネタお婆ちゃんは僕を見上げた。
『そりゃあ伝説のドラゴンが目の前にいるんだから、伝説の黄金都市だってあってもおかしくない。のかね? いやはや、今日は一体どういう日なんだい』
ジャネタお婆ちゃんは頬を両手で軽く叩いた。
『それで? アタシにその話をしたって事は、何か協力して欲しいって事だよね? けど残念ながら今のアタシはハラスの港町に流された身だからね。大して力になれるとは思わないでおくれよ』
『いえ。むしろこの町に来てくれていて助かりました』
『・・・そういえばさっきもそんな事を言っていたね。まあいい。話の続きを聞こうじゃないか』
マイラスからバトンタッチされたティトゥが、リリエラの廃墟を見つけるまでの経緯を簡単に説明した。
『はあっ?! この砂漠を端から端まで調べていたってのかい?! いくらドラゴンでもそれはムチャってもんだよ!』
『ハヤテなら可能ですわ』
ジャネタお婆ちゃんは驚きのあまり、言葉遣いが素に戻っている。
ティトゥはあまりそういうのを気にしないけどね。
調査が進み、廃墟の町を見つけた所で、彼女は難しい顔になった。
『砂漠の中央を南北に走る山脈・・・ ”竜の背”とか呼ばれている場所かい。まさかあんな所に町が存在していたなんてね』
ジャネタお婆ちゃんも竜の背の事は知っていたんだ。
カッコいい名前だからね。
とはいえ難しい顔をしていたのもココまで。
その廃墟の町で完全な形の東方陶器が見つかったと聞くと、イスを蹴って立ち上がった。
『アンタそれ本気で言ってんのかい?! 完全な形の東方陶器は王家の宝物庫にしか存在しないと言われているんだよ?! いくらなんでもそれは眉唾ものだ!』
『残念ながら大半は欠けた物で、完品は小物しかありませんでした。今この場には無いので見せるわけにはいきませんが』
『――それは、当然だよ。もし本物なら小物とはいえ厳重に保管するべきだ。持ち歩いていいもんじゃない』
神妙な顔つきで頷くジャネタお婆ちゃん。
そして微妙に居心地が悪そうなティトゥ。
さては君、例の東方陶器の小鉢を適当な所に置いているんじゃないよね?
ちょっと僕の目を見て、『そんなことはありません』と言ってみようか。
『なる程。つまりアンタ達はその東方陶器を売りさばくためにアタシの販路を使おうと思っていたんだね? それで、どのくらいの数が見つかったんだい?』
ティトゥとマイラスは顔を見合わせた。
『さあ? ほとんどが砂に埋もれているんですわ』
『本格的に町を発掘してみない事にはどれだけの数が眠っているかは分かりません』
『んなっ!』
二人の説明にギョッとするジャネタお婆ちゃん。
そんなお宝がまだまだ砂の中に埋もれていると聞いて、咄嗟に言葉が出ない様子だ。
『けどそんな事は別にいいんですわ』
『はあっ?!』
砂に埋もれたお宝の山を、ティトゥに”そんな事”呼ばわりされて絶句するジャネタお婆ちゃん。
『師匠。私達が師匠にお願いしたいのは”塩”の輸送なんです』
『船の手配をお願いしたいのですわ』
マイラスは順番に説明をした。
大岩の下に隠された巨大な塩塊。
おそらくはその塩塊が黄金都市リリエラの繁栄を支えていた事。
リリエラの南東には川が流れていて、それはこの港町にまで繋がっている事。
その川を使ってリリエラの塩を船で運べないか等々。
ジャネタお婆ちゃんは言葉も挟めず、呆気にとられたように二人の話を聞いていた。
やがて二人の説明が終わった。
倉庫が沈黙に包まれる中、ジャネタお婆ちゃんから大きなため息が漏れた。
『その船の手配を師匠にお願いしたいのです』
『んな話、信じられねえって』
ごもっとも。
次回「ジャネタ空を飛ぶ」