その20 マイラスの決断
どうやらカズダ家の屋敷でココナツブームが来ているらしい。
一体何の話かと思ったら、この間お土産に買って帰ったヤシの実が原因のようだ。
ヤシの実自体は途中で出会った隊商に売ってしまったのだが、ティトゥがカルーラにその話をした所、『ヤシの実は無いけどヤシの実から作ったココナツパウダーだったらある』と言われたそうだ。
ココナツパウダーはヤシの実の胚乳をすりおろし、粉末に加工した物だ。
日持ちもするのでこの辺りでも流通しているのだろう。
カルーラの指示でカズダ家の屋敷の料理人が、ココナツパウダー入りの焼き菓子を作ってくれた。
一口食べると口の中にほんのりと広がる甘い風味に、ティトゥの目がクワッ! と見開かれた。らしい。
『カーチャ! 龍甘露をここに!』
『はっ!』
みたいなやり取りの後(一部脚色)、”ココナツパウダー焼き菓子水あめ掛け”が誕生した。
水あめはどこから出たのかって? 僕の荷物の中に水あめの入った大きな壺があったんだよ。
全く。道中でもし割れでもしたらどうするつもりだったんだろうね。
君達の着替えがベトベトになっていた所だよ。
ココナツパウダー焼き菓子水あめ掛け・・・長いな、”ココあめ”で。ココあめの魅力は凄まじく、屋敷の女性陣はすっかりメロメロになってしまったそうだ。ティトゥも含めて。
幸い水あめは大量に持ち込んでいるので余裕があるが、ココナツパウダーは貴重品で、直ぐに在庫が切れてしまった。
『というわけで買いに行きますわよ!』
仁王立ちで宣言するティトゥ。
僕は別に構わないけど、調査の方はいいのかな?
伝説の黄金都市リリエラの調査は順調に進んでいる。
順調? なのか?
なにせなんら変わり映えのしない砂漠の上を飛ぶだけだからね。
便りの無いのは良い便り、と言うけど、変わり映えしないのが順調の証、なんだろうか?
初日に僕達は、”J9””J8””K8””L8””L9””L10””K10””J10”の各ブロックの調査を終えた。
翌日は休憩を挟んだものの、昨日、”I10””I9””I8””I7””J7””K7””L7”のブロックを終了。
本来であれば今日は”H9”からスタートする予定になっていた。
隊商の案内人から聞いた、知り合い案内人が見たという巨石はまだ見つかっていない。
情報だと「ステージからデンパシーに向かう隊商道からはぐれた場所」にあるらしい。
デンパシーがあるのは”K4”のブロック。この町から見てざっくり西に当たるにあるので、”I7”辺りが怪しいと僕は睨んでいたんだけど・・・
残念ながら、昨日の調査ではそれらしいものは何も見つからなかったのだ。
『さあ! 行きますわよ!』
『ハヤテ様お願いします』
『あの・・・本当に私も行かなくてはいけないんでしょうか?』
今日は買い出しという事で、ティトゥ以外の同行者もいるようだ。
ティトゥのメイド少女カーチャと、水運商ギルドのマイラスが一緒に行くらしい。
マイラスは気の毒に真っ青な顔をして震えている。
彼の常識では人間が空を飛ぶなどあり得ないのだろう。
実際に飛ぶのは僕なんだけどね。
『本当にもう飛んでいるんですか? フワフワしている気はしますが、全然地上と変わらないんですが。私をからかっているんじゃないですよね?』
『どうして私達があなたをからかわなきゃいけないんですの?』
マイラスに気を使ってゆっくりと上昇しているせいだろうか。どうやら彼は空を飛んでいる感覚が無い様子だ。
彼は胴体内補助席で神経質そうに視線を巡らせた。
『すみません。さっきからずっと空しか見えないので』
『ハヤテ様。下の景色が見えるようにしてあげてはどうでしょうか?』
『ヨロシクッテヨ』
もう飛んじゃってるし、安全バンドも外していいよ。
今日は曲芸飛行をするために飛んでる訳じゃないからね。
◇◇◇◇◇◇◇◇
苦労して体を拘束するバンドを外すと、俺はイスの上で上半身を起こした。
ドラゴンが体を傾けると大きな茶色い景色がせり上がって来た。
ザトマ砂漠だ。
ポツンと水たまりのように見えるのはオアシスだろう。
オアシスの周囲には積み木細工のような町並みが見える。
俺は今、空を飛んでいる。
マジか。
あまりに現実感の無い景色に、俺は何も考えられなくなった。
俺は魅入られたように眼下の景色を見下ろしていた。
ヤバい。
ドラゴンはヤバい。
頭が働くようになって最初に思い浮かんだ言葉がそれだった。
何がヤバいかは分からない。
今の俺はまだそこまで正常に思考が回らないからだ。
だがドラゴンが間違いなくヤバい存在である事だけはハッキリと分かった。
これほどの存在を水運商ギルドの連中は軽く見ていたのか?!
マヌケにもほどがあるだろう?!
俺は水運商ギルドの幹部連中の無能さに怒りすら覚えた。
この二週間程の間、俺は竜 騎 士の二人と会話をし、そのデタラメな力の一端に触れた。
俺が知っているのはあくまでも竜 騎 士の力の一部に過ぎない。
だが、それでも俺の常識を破壊するには十分な力だった。
今まで俺は彼らが理解出来なかった。
だが、空を飛んだ今なら分かる。
地上で生きなければならない俺達と竜 騎 士とでは、決定的に時間と距離の概念が違いすぎるのだ。
俺達がラクダに乗って一日かけて移動する距離も、大空から見下ろせば、ほんの僅かな長さでしかない。
竜 騎 士はこの景色の中で――大空の世界で生きているのだ。
俺達地上の世界の常識が通用しないのも当たり前だろう。
見ている景色が、住んでいる場所が、違うのだ。
俺は俺にこの町に来るように命じたギルド長の言葉を思い出していた。
「そいつはゴミだ。竜 騎 士だか何だか知らんが、所詮は半島の小国の成り上がりの木っ端貴族に過ぎん。あっちの国では英雄だか何だか知らんが、この国では王都の露店の方がまだ金になる。どうせ二束三文の商売にしかならんのは分かり切っているが、名前だけは知られているらしい。放っておくとどこかに取られかねない、と言い出す輩がいてな」
ゴミはお前だ!
ギルドの長ともあろう人間が、これほど規格外の存在を無視するなんて!
あんな連中には水運商ギルドを任せておけない。
無能なギルド長も、ギルド長に輪をかけて無能な縁故採用の取り巻き共も、もううんざりだ。
ヤツらはギルドに害をなすだけで何の利益ももたらさない寄生虫だ。
致命的な間違いをしでかす前にヤツらを今の地位から退けないと、水運ギルドは終わりだ。
俺は眼下の景色に目を奪われながらも、頭の中ではギルドの中で俺の考えに賛同してくれそうな信頼のおける人物をリストアップしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
空から見下ろす景色に最初は興奮していたマイラスだったが、流石に飽きて来たのかすっかり黙り込んでしまった。
まあ、オアシス以外に特に見る物もないからね。
機内の冷めた雰囲気を感じたのだろう。適当なタイミングでティトゥが僕に声を掛けて来た。
『ハヤテ。そろそろ海辺の村へ向かって頂戴』
そうだね。
僕は翼を翻すと南に機首を向けるのだった。
海辺の村はステージの町からほぼ真南に約二時間半ほど飛んだ先にある。
往復だけで五時間近くもかかるのだから、あまり気軽に訪れるような場所じゃないよね。
ティトゥは以前、ここでヤシの実を買ったのだが、ココナツパウダーは作っているのだろうか?
村の近くの広場に降りると、マイラスが率先して村人達との交渉に当たってくれた。
流石は大手ギルドの商人。頼りになるね。
ティトゥとカーチャは僕の翼を日よけにして休んでいる。
『ここに売って無くても、ヤシの実を買って帰って屋敷の料理人に作って貰えばいいんですわ』
それもそうか。
いや、それならわざわざ粉末にしなくても、ココナツミルクでいいんじゃない?
『ココナツミルクですの?』
『なんだか美味しそうな名前ですね』
ココナツミルクを粉末にしたのがココナツパウダーだったような・・・ あれっ? 逆だったっけ?
まあその辺はきっとお屋敷の料理長が知っているよ。
『ハヤテの知識は時々中途半端ですわね』
うぐっ。自覚があるだけに実にキビシイ一言です。
ここにスマホでもあればすぐに検索出来るのに。
いやまあ、スマホがあってもネットにはつながらないだろうね。
チョコレートの時にも思ったけど、知識無双は僕にはハードルが高過ぎるよ。
僕達がそんな会話をしている間に、マイラスが戻って来た。
『ココナツパウダーを売ってくれるそうですよ』
『それは良かったですわ! 後、ついでにヤシの実も買って帰りますわ』
マイラスは小さくほほ笑んだ。
『そうおっしゃると思って村の若者に取りに行ってもらっています』
おおっ。ここで”仕事が出来る人間アピール”を挟んで来ますか。
やる事にそつがないね。
その時僕はふとマイラスの様子に違和感を感じた。
なんだかいつもと雰囲気が違うような、何か吹っ切れたような、そんな落ち着いた物腰に感じたのだ。
何というか、遠くを見据えて腹をくくった、とでも言うような――
『私が何か? ハヤテ様』
・・・いや、別に。
特に悪い感じじゃないし、問題無いか。
こうして僕達は無事にお使いを終えて、オアシスの町ステージに帰るのだった。
次回「砂漠の巨石」