その19 カーチャ 後編
この話でこの作品の通算300話目となります。
それを記念して今朝は二話同時更新をしています。
まだ前編を読まれていない方は読み飛ばしにご注意下さい。
「ハヤテ様は”ポットインポット・クーラー”と言っていました」
「ポットイン・・・何だって?」
カーチャが露店に持ち込んだのは大きな壺。
この辺りでも良く見る植木鉢のような形の素焼きの壺である。
壺の中には一回り小さな同じような形の壺が入っていた。
これらは彼女が昨夜のうちに、カズダ家の使用人に頼んで用意してもらった物だ。
カーチャは野菜売り露店の女将のテントの中を見回した。
「あの。日陰になっていて風通しの良い場所はありませんか?」
「ああ。それなら私のイスの後ろがいいだろうさ」
カーチャは指示された場所に大きな壺を置いた。
「次は砂を入れるんでしたよね・・・」
カーチャは教えられた手順をブツブツと呟きながら、用意していたスコップで壺の中に砂を敷き詰めた。
そうしておいて、大きな壺の中に小さな壺を入れる。
砂の量を調整して、二つの壺の口が大体同じ高さに揃えると、今度は隙間を埋めるように砂を流し込んだ。
「すみません通して下さい、水を汲みにいかないといけないので」
「ああ、だったら俺が汲んできてやるよ」
いつの間にか彼女の周りには黒山の人だかりが出来ていた。
気を利かせて人混みの外の男が井戸に走った。
「これくらいでいいかい?」
「多分」
カーチャは男から水の入った桶を受け取ると、壺の中の砂がひたひたになるまで水を注ぎこんだ。
大きな壺の中に小さな壺が入っていて、その隙間が水にひたされた砂で埋められている状態になった。
「この中にお野菜を入れて貰えますか?」
「ああ。どれがいいんだい?」
「どれでも・・・ 出来れば痛みやすい野菜がいいです」
女将はキュウリのような野菜を両手で一掴み持ってくると、小さな壺の中に入れた。
「それでこれからどうなるんだい?」
「いえ。これで終わりです。あ、忘れてました」
カーチャは女将に頼んで大きめの布を借りると、桶に残った水に浸して軽く絞った。
「これを壺の上に被せて――と。今度こそ終わりました」
一体これから何が起こるのかと詰めかけていた野次馬達は、戸惑った様子で顔を見合わせた。
「終わりって・・・ 壺に野菜を移しただけじゃないのか?」
「ええと、そうなりますね」
見守っていた野次馬達も、これ以上は何も起こらないと知ると、「なんでえ」「つまらないの」などと口々に文句を言いながら、三々五々この場を去って行った。
露店の女将は困った顔でカーチャに尋ねた。
「それで私はどうすりゃいいんだい?」
「ええと、お昼までこのままにしておいてくれますか?」
女将は何とも言えない微妙な顔になったが、特に不都合があるわけでもないので「別にいいけど」と請け負ってくれたのだった。
そろそろ正午を回ろうかという時間。
カーチャがハヤテのテントの中でお昼を食べていると、野菜売りの露店の女将が現れた。
「ちょっとアンタ! あれってどうなっているんだい?!」
「? どうしたんですか?」
女将に引っ張られて彼女の露店に向かうと、例の壺の周りに子供達が群がって中のキュウリを頬張っていた。
「コラ! 勝手に食べてるんじゃないよ!」
「ごめんなさい」
「だって冷たくて美味しいんだもん」
「そうそう。ひんやりしていて美味しい」
カーチャは子供達の言葉に訝しそうにしながらも、壺の中のキュウリを手に取った。
「あっ! ひんやりしています!」
「いや、なんでアンタが驚いているんだよ」
女将に呆れられて少し赤くなるカーチャ。
彼女はハヤテから原理を聞かされていたが、彼の片言の言葉だけでは上手く理解出来ていなかったのだ。
「ええと、これはクーラーと言って物を冷やして保存する仕組みなんだそうです」
「物を冷やす仕組み? 私も見てたけど、そんなのどこにもなかったじゃないか」
ハヤテがカーチャに教えた”ポットインポット・クーラー”。
これは気化熱の原理でポットの内部を冷やすエコ冷蔵庫である。
構造は極めてシンプルだ。
砂に含まれた水分が蒸発する事で小さな壺から熱を奪い、壺の温度を下げるのだ。
アフリカのナイジェリアで開発された”ジーアポット”が元ネタになっている。
「さっき気になって中をのぞいてみたら、壺の中がひんやりとしているじゃないか。野菜もシャキシャキだし、驚いたなんてもんじゃないよ!」
女将の声を聴き付けて、早速周囲に人だかりが出来た。
「本当だ、ひんやりしている。こりゃあ不思議だ」
「俺もひとつ貰っていいかい。うん。確かに朝の穫れたてのままだ」
勝手に壺に手を突っ込む者。野菜を貰って齧る者。
野次馬が野次馬を呼び、露店の周りはいつの間にか黒山の人だかりとなっていた。
「ちょっと! みんないい加減にしておくれ! これじゃ商売にならないよ!」
「そんな。女将さんのトコだけずるいわ。ウチにも頂戴」
「それなら俺の所にこそ必要だ。ぜひ俺に譲ってくれ」
「こんな良いものなら私だって欲しいわ」
商品の保存に必要とする者。興味本位の者。単に珍しモノ好きの者。
彼らは一斉に女将に殺到した。
「これは私が貰った物だよ! 欲しいならカーチャに頼みな!」
ちゃっかり自分のものにしている女将。
周囲の目は一斉に小柄なメイド少女に向いた。
熱い視線を受けて、カーチャは若干キョドりながら答えた。
「あ・・・あの。そちらで壺を用意してもらえれば――」
「よし! 家から持ってくる!」
「アンタの所の壺を買うよ!」
「壺じゃなきゃダメなのか? 木箱だったら売るほどあるんだが」
「ウチには丁度いい壺があるぜ! 早速作ってくれ!」
一斉に動き出す野次馬達。
流石チェルヌィフ王朝は商人の国。
機を見るに敏なり。周囲に出遅れるようなノロマはここにはいないのだ。
「カーチャ! こっちに頼む!」
「カーチャ! 次は私の所をお願いね!」
「カーチャ! カーチャはどこにいるんだ?!」
「ま、待って下さい! 順番に! 順番に教えますから!」
こうしてカーチャはこの日一日、へとへとになるまでポットインポット・クーラーの説明に追われる事になったのだった。
明けて翌日。
ほとんどの露店では早速ポットインポット・クーラーが使われていた。
昨日の騒ぎを知らない客が、テントに所狭しと並べられた壺を見て不思議そうな顔をしている。
野菜や果物が保存出来るようになれば、荷車でまとめて運搬されるようになるだろう。
そうなれば幼い男の子達が荷物運びに駆り出される事も減るはずだ。
(昨日は大変だったけどその甲斐はあったのかな)
カーチャは自分の行いに満足しながら広場を歩いていた。
軽くなった心につられる様に、彼女の足取りも軽かった。
(これが達成感というものなんでしょうね)
そんな彼女にあちこちから感謝の言葉が掛けられた。
「やあカーチャ。コイツはいいものだな」
「ウチもカーチャには早速世話になってるよ」
「このカーチャというヤツは中々のものだ。俺でも簡単に作れるんだからな」
「俺のカーチャを見てくれ。立派な物だろう」
「ん?」
カーチャは訝しげに眉をひそめた。
感謝の言葉にしては微妙におかしな気がしたのだ。
そして彼女の疑問は正しかった。
「あの、カーチャって?」
「この壺の事をカーチャって言うんじゃないのか? みんなそう言っているぜ?」
驚きの一言にカーチャは顎が外れそうになるほど大きく口を開いた。
「違います! これはポットインポット・クーラー! カーチャじゃありません!」
「そ・・・そうなのか? でもそんな覚え辛い名前よりもカーチャの方が良くないか?」
カーチャの顔は怒りのあまり真っ赤になった。
「カーチャは私の名前です! 勝手に人の名前を使わないで下さい!」
どうやら昨日広場のあちこちでカーチャの名前が連呼された事で、一部の者がポットインポット・クーラーの事をカーチャだと勘違いしてしまったらしい。
その誤解に加え、元々カーチャを知っている者すら「これって何て名前だっけ? カーチャが教えてくれたものだからカーチャでいいか」と安易に考えた事でさらに誤解が広まってしまった。
こうしてポットインポット・クーラーという本来の名称は彼らの中からきれいに忘れられ、カーチャという名前が一人歩きをしてしまったのである。
その後、カーチャは自分の名前が耳に入る度に「それはポットインポット・クーラーです!」と訂正して回ったが、誰も彼女の言葉に耳を貸そうとしなかった。
そんな呼び辛い長い名前よりも、カーチャという名前の方が親しみやすく呼びやすかったからである。
「ハヤテ様のせいで酷い事になりました! どうしてくれるんですか?!」
『いやいや、僕に言われたって知らないから。カーチャがみんなにちゃんと説明しなかったのが悪いんじゃないの?』
簡単でそれでいて保存性に優れたポットインポット・クーラー改め、カーチャの噂が広まるのは早かった。
翌日には広場の露店に留まらず、町のあらゆる場所で利用されるようになっていた。
何せどこの家にもある素焼きの壺を使えば簡単に作る事が出来るのだ。
食材の保ちが良くなるだけではなく、冷えた果物や野菜はご家庭のちょっとしたご馳走になった。
今までも井戸水で冷やす事はあったが、暑さですぐに水がぬるくなって長持ちしなかったのだ。
こうしてカーチャの利用者は瞬く間に広がっていった。
カズダ家の屋敷でもカーチャの名前が聞かれるようになり、何も事情を知らされていないティトゥは何の話かと首を傾げた。
ティトゥからヤシの実を買った例の商人がこの町に到着したのは、丁度そんなカーチャブームの最中だった。
彼は町中で話題に上る聞き慣れない名前に、「一体カーチャとは誰の事なんだ?」と首を傾げるのだった。
これにて通算300話達成です。
この作品をこれほど長く続けるとは、思ってもいませんでした。
いつも読んで下さる皆さんの応援あっての事です。本当にありがとうございます。
今回のネタとなった「ポットインポット・クーラー」は、ずっと以前、dada 様が下さった感想で初めてその存在を知りました。
いつか使おうと思っていたら、一年以上経ってしまいました。
dada 様、まだ読み続けてくれているでしょうか? なかなか使えず、すみませんでした。
300話は達成しましたが、まだ第十章が終わった訳ではありません。
明日からも更新を続けますので、引き続きこの作品をよろしくお願いします。
後、折角なので、ブックマークの登録と評価がまだの方は、そちらの方も是非よろしくお願いします。
次回「マイラスの決断」