プロローグ マチェイ家の次女
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「マチェイ家次女、ティトゥ・マチェイ。当家嫡男との婚約を正式に破棄とする・・・か。今回の話は良縁だと思ったのだが・・・」
大きくため息をついた男は、読んでいた手紙をテーブルに置くと力なく椅子に身を沈めた。
男はマチェイ家の当主。
この数年で彼に伸し掛かった気苦労が、彼の外見から若さを奪いつつあった。
「あなた、ティトゥももう適齢期ですし、すぐに次のお相手を探して頂かないと・・・」
男の正面に座った彼の妻が心配そうに声をかけた。
「分かっているよ。だが今は時期が悪い・・・」
元々マチェイ家の所属する「領」はこの国の穀倉地帯で、マチェイ家も普段なら下士にしては裕福な方であった。
しかしここ数年、国全体で農作物の不作が続き、今では蓄えを放出することで凌いでいた。
もちろん、まだ貧困を窮するというほど追い詰められているわけではない。
だが、この国では結婚する際は女性側が家柄に応じた持参財を持って相手の家に入ることになっており、さすがにその持参財の量は絞らねばならない状況だった。
そんな中、地続となる隣国もやはりこの国同様に不作が続いており、現在両国の国境線には不穏な空気が漂っていた。
それを受け、現在国境の砦では設備・兵装の増強が図られており、不作のなかでの軍事予算拡大は国民の負担になりつつあった。
今回マチェイ家の次女と縁談の話が上がった相手は、耕作に適していない痩せた土地の下士であり、現在はマチェイ家のような「領」から麦を買ってしのいでいた。
買った麦の代金は国に兵力を貸すことで立て替えてもらっていたが、それもこのたびの軍備増強にかかる負担で国が給与を出し渋るようになっていた。
相手の家としては、この婚姻によってマチェイ家から受ける食料、経済的支援を当て込んでいたのだ。
それが思ったより期待できそうにない現状、ティトゥとの婚姻のような厄介事を家に招き入れる事はできない、と判断したものと思われる。
なぜ本来裕福なマチェイ家の次女との婚姻が厄介事になるのか。
・・・その理由を口にするのは、人の好さそうな夫婦をしても腹に据えかねることだった。
沈み込む夫婦の姿をドアの隙間から覗き見ていた少女がいた。
そう、今現在話題になっているマチェイ家の次女、ティトゥ本人である。
部屋で頭を抱える幸薄そうな当主夫婦とは異なり、立っているだけで男女問わず人目を引く美しい少女だ。
少なくとも、余程特殊な価値観を持つ人間でなければ、その容姿を理由に婚姻を断られたとは考えまい。
仕立ての良い部屋着を押し上げる大きな胸はもう立派な大人と言えるが、そこに妖艶さはなくあるのは健康な色気だ。
それもそのはず、少女は成人してまだ4年しかたっていないのだ。
この国では15歳で大人の扱いになるため彼女は現在19歳。
ちなみにこの世界では数え年、生まれた時は0歳ではなく1歳と数え、さらに、誕生日ではなく新年を迎えた時に全員一斉に歳をとるので、彼女の年齢は現代風に数えれば今17歳と少々。まだまだその面影に少女を残した美少女であると言えた。
少女ーーティトゥはひとつ小さく鼻を鳴らすと、静かにその場を離れた。
そのまま屋敷の廊下を闊達に歩き2階のテラスの外に出ると、そのレッド・ピンクのゆるふわウェーブの髪をひとつ払い、大きな胸の前で腕を組み、さらにそれでも足りないとばかり大きく胸を反らした。
「婚約破棄ですか。せいせいしましたわ!」
その声に強がりは感じられず、彼女が本心からそう思っていることが分かった。
そもそもティトゥは、5年前のあの日から自分の結婚をあきらめていた。
「でも、学のない女の私ができることなど、どうせ・・・」
未だ男尊女卑の風潮の強いこの国では、当然彼女も領地経営に必要な勉強どころか読み書き以外は(貴婦人としての習い事はともかく)何一つ学んだことはなかった。
彼女は現実が見えていた。
「どうせ・・・当主の娘である親の推薦と、健康に産んでもらった体力を活かして、騎士団に入るくらいしかありませんわね」
・・・どうやら現実が見えているわけではなかった。
そもそも彼女は剣すら握ったことなど一度も無い生粋のお姫様なのだ。
それでいてこの謎の自信。
伊達に昔から周囲にこっそり「マチェイ家のお転婆お嬢様」と呼ばれているわけではないのだ。
その時、ティトゥが空を見上げたことには何の意味もなかった。
考え事をしていたので、何となく顔を上に向けた。ただそれだけにすぎない行為だった。
だからこそ、それは正に運命だったのかもしれない。
抜けるような青空。その雲間に浮かぶ小さな影。
・・・それは
「ド・・・ドラゴン?! ですわ!?」
そう、それはこの世界ではドラゴンと呼ばれる飛行物体。
だが、もしここに現代人が・・・それもミリタリーに詳しい人間がいたならきっとこう言うだろう。
「違う。あれは第二次世界大戦時の日本の戦闘機だ」と。
次回「ある引きこもり男の死」