その10 ギルド商人マイラス
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チェルヌィフ商人は国外でも、同郷の者達だけで極秘裏に商売上のネットワークを築いている。
ハヤテがチェルヌィフ商人ネットワークと呼ぶそれは、チェルヌィフ本国においても存在している。
いわゆる「商業ギルド」と呼ばれるもので、有力なものだけでも国内に複数存在している。
その中でも東の最大手が「水運商ギルド」となる。
「水運商ギルド」はその名の通り、水運による商売を最大の収益とするギルドである。
カルーラの実家のカズダ家も、一応「水運商ギルド」の商業圏には入るものの、カズダ家の治める町ステージは、あくまでも砂漠の小さな町に過ぎない。
東の港町が外国との貿易で生む莫大な利益に比べると、その重要度は微々たるものであった。
チェルヌィフ商人マイラスは、水運商ギルドの中ではどちらかといえば若手の部類に入る。
とはいえ彼ももう三十歳。そろそろ大きな仕事を任されていてもおかしくない年齢ではあった。
そんな彼がなぜずっとくすぶっているのか。
「俺には有力なコネがないからな・・・」
そう。生き馬の目を抜く商売人の世界、というのはせいぜい個人名義の商会レベルの話。
水運商ギルド程の巨大な組織になれば、どうしても個人能力よりも派閥の力がモノを言う世界になるのである。
そしてマイラスは有力な派閥に属していなかった。
そのためのコネも金も無かったからである。
巨大な組織が長く続くと、どうしても官僚的な特徴を持つようになるらしい。
水運商ギルドもその例にもれず、上層部は保守的な思想を持つ者で占められ、組織は硬直していた。
中でも現在のギルド長は特に保守的な性格として知られていた。
彼は重要な役職を派閥の者達で固め、出る杭はその芽も出ないうちに念入りに叩いていた。
こうしてギルドには閉塞感が立ち込め、利益も横ばい、ないしは緩やかな減少状態が続いていた。
水運商ギルドは組織としての緩慢な死に向かっているのかもしれない。
そんな状況の中、有力派閥に属さないマイラスの出世は絶望的と言えた。
「マイラス。ギルド長が呼んでいるぞ」
事務員の男にそう声を掛けられた時、マイラスは思わず、「悪い話じゃないだろうな?」と警戒した。
ギルド長が彼を呼び出す理由に心当たりがなかったからである。
マイラスは気を引き締めるとギルド長の部屋をノックした。
「マイラスです」
「入れ」
ギルド長は痩せた神経質そうな初老の男だ。
何の面白みも無い人物。
それがマイラスの彼に対する人物評である。
ギルド長は僅かに仕事の手を止めると、書類棚から数枚の書類を手に取り机の上に置いた。
読めという事だろうか?
ギルド長は何も言わずに再び仕事に戻っている。
マイラスは「失礼します」と声を掛けてから書類に目を通した。
王都の支店からの連絡書。オアシスの町ステージの商人からの報告書。そしてここの事務員が作った簡単な資料だった。
「ミロスラフ王国の竜 騎 士・・・ですか」
そう。それはミロスラフ王国からやって来た竜 騎 士に関するレポートだったのだ。
ティトゥは王都ザトモヴァーでも、チェルヌィフ商人のシーロから預かったチェルヌィフ商人ネットワークの手形を使っていた。王都の支店からの連絡書はそれに関する報告である。
次のオアシスの町ステージの商人からの報告書は、現在彼らがこの町に滞在しているという報告である。
最後の資料はティトゥに関する簡単な(本当に簡単な)プロフィールが書かれていた。
ギルド長はここでようやく書類から顔を上げるとマイラスへと向き直った。
「お前に彼らの担当者となって貰いたい」
「それはよろしいのですが、私は一体何をすれば良いのでしょうか?」
もっともな質問だ。こんな簡単な資料で何が分かるというのだろうか?
「さあ」
「さあ。とは?」
ギルド長はさっきまで見ていた分厚い書類を手に取った。
「これが何か分かるか? 前年度の聖国との貿易の出納帳だ。具体的にはコイツは聖国陶器の売上だ。見ろこの額を。個人商会では決して動かせない巨額の金銭だ。これこそが本物の商売というものだ」
次にギルド長は手にしたペンでマイラスの持つペラペラの資料を示した。
「そいつはゴミだ。竜 騎 士だか何だか知らんが、所詮は半島の小国の成り上がりの木っ端貴族に過ぎん。あっちの国では英雄だか何だか知らんが、この国では王都の露店の方がまだ金になる。どうせ二束三文の商売にしかならんのは分かり切っているが、名前だけは知られているらしい。放っておくとどこかに取られかねない、と言い出す輩がいてな」
なるほど。
マイラスは今の説明でおおよその事情を察した。
ギルド長は全くこの件には興味が無いのだ。だが、それが許されない状況にあるらしい。
それは何か? おそらくは対立する派閥、事務派のトップか国外派の誰かが彼に口出しして来たのだ。
ミロスラフの竜 騎 士を無視するべきではない、と。
ギルド長が忠告を無視して、もし将来、何かしらの損失を出すような事でもあれば、彼らは嬉々としてギルド長を今のイスから引きずり下ろそうとするだろう。
もちろんその可能性は低い。だからといって不安材料を残すべきではない。
口うるさい外野共は本当に不愉快極まりない。
マイラスはギルド長のボヤキが聞こえたような気がした。
「お前が担当だ。何でもいいから竜 騎 士らから商売を引っ張り出せ。お前の裁量に任せる」
「はあ、分かりました」
それだけ告げるとギルド長は書類に戻った。
もうマイラスに振り返る事もない。
マイラスは大人しく部屋を出た。
ここでこうしていても時間の無駄になるだけだからだ。
水運商ギルドがミロスラフの竜 騎 士に、なんら商売上の魅力を感じていない事は明白だ。
報告書によれば竜 騎 士がこの国に到着したのは先週らしい。
それからずっと報告書が未処理で回っていた事からも、いかにギルドが彼らに興味が無かったかが分かる。
確かに今のギルド長がトップになってから、書類は遅れがちな傾向にある。
これは派閥の部下をトップに据えた新規の部署を、やたらと作ったことによる弊害だ。
しかし、それにしても一週間は長すぎる。
普通の商売なら完全に商機を逃しているレベルである。
貧乏クジを引かされたか。
ボヤいてみても、何も成果を出せなければそれはそれで査定に響く。
響いたところで、今よりも下があるのかどうかは分からないが。
「”チェルヌィフ商人なら河原の石でも客に売りつけろ”と言うからな。ここはひとつ石売りになった気持ちで出向いてみるか」
こうしてマイラスはたった一人で馬に乗って街道を西に向かった。
目指すはオアシスの町ステージ。
ここで彼は思いもよらない人生の転機を迎える事になるのだった。
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今日は珍しくキルリアが一緒に来ているので、カルーラはご機嫌だ。
どうやら、久しぶりの弟との再会にテンションの上がったカルーラは、屋敷でもキルリアを構い倒しているらしい。
姉疲れを感じたキルリアは、カルーラが僕のテントに来る時くらいは、何くれと理由を付けて同行を拒んでいたようだ。
「今日は無理やり馬車に乗せられたので、逃げられませんでした」
「お気の毒様」
げんなりとするキルリア。
キルリアが僕のテントに中々顔を見せないと思ったら、そんな理由があったんだね。
『今日は久しぶりにブラッシングをしてあげますわ』
ちなみに今日はティトゥもご機嫌だ。
砂漠の町で水は貴重品だ。それは町の中央にオアシスを持つこの町でも変わりはない。
町では生活排水をオアシスに流して水質を汚染しないように、厳重に取り締まられていた。
今日はティトゥのたっての願いで、オアシスの水で僕を洗う許可が出たのだ。
『あまりハヤテにストレスを溜め込まさないようにしないと。また酔って暴れられたら困りますわ』
ティトゥが何やらブツブツと呟いている。
その時僕は彼女の後ろに立つ、メイド少女の姿を目に止めた。
ん? カーチャそれって・・・
『カーチャ ツボ』
『この壺がどうかしましたか?』
カーチャが手にしていたのは一抱えほどの壺。
その壺には縦に太い黒い線が走っていたのだ。
キルリアがカーチャに代わって説明してくれた。
「ああ、コーキングですね。砂漠には黒い湖があって、そこにはドロドロの臭い粘液が噴き出しているんですよ。ここらではそのドロドロを割れた壺を繋ぐのに使ったり、水漏れを防ぐために船底に塗ったりしています」
「黒い湖・・・ひょっとして原油が噴き出しているのかな?」
「ゲンユ、ですか?」
キルリアがバレク・バケシュから授かった知識には原油という単語は無いようだ。
それにしてもコーキングか。この単語自体にはバレク・バケシュが関わっているっぽい気がするな。
コーキングの正体は見た感じ多分、天然アスファルトだ。
原油からガソリンや灯油を精製した残り、”残油”に含まれる成分がアスファルトである。
天然アスファルトはそれらの分離が自然に起きて出来たものをいう。
確か石油の軽い部分が砂に染み込んで、重い部分が分離して出来たサンドアスファルトと呼ばれるものがあったと思う、うろ覚えだけど。
天然アスファルトは太古から世界中で利用されていて、エジプトのミイラにも使われていた。って昔見たTVで不思議発見してた。
それはさておき。天然アスファルトがあるという事は、この砂漠にはその原料である原油があるという事だ。
埋蔵量は不明だが、ひょっとしたらこの砂漠は未来には莫大な富を生み出すかもしれない。
『さあ、行きますわよ!』
ティトゥの号令でカズダ家の使用人達が僕をテントから押し出した。
それを見た子供達が興奮して走り回っている。
子供の目には、今の僕の姿がお祭りのお神輿みたいに見えているのかもね。
まあ、先の分からない未来を考えたトコロで仕方が無い。
今は久しぶりのブラッシングを心ゆくまで堪能させてもらおうかな。
僕達は大勢の野次馬達に見守られながらオアシスへと運ばれるのだった。
次回「金策」