その8 左利き
僕との契約を望むレフド叔父さんに僕が課した試練は、僕の空中機動に耐えきる事だった。
それでどうなったかって? 今お見せしましょう。
風防オープン。
『イ、イムル――オロオロオロ』
『叔父上、大丈夫――うわあっ!』
『・・・ばっちい』
『はあ。こうなると思っていましたわ』
ようやく地面に降りた事で緊張が途切れたのだろうか。レフド叔父さんはイスに座ったまま口から盛大にリバースした。
手ずからレフド叔父さんの安全バンドを外そうと四苦八苦していたイムルフ少年は、目の前で汚水を逆流されて慌てて飛び退いた。
こうなると察していたティトゥは最初から近寄ろうともしていない。
目の前の惨劇に顔をしかめるカルーラ。
メイド少女カーチャはイヤそうな顔をしながらも、ちゃっかり掃除の準備を整えていた。
『そ、それで俺はお前の試練に合格したのだろうか――うぷっ』
『叔父上・・・』
ここでそれを聞いちゃうレフド叔父さんは中々な心臓の持ち主のようで。
レフド叔父さんの強がりに呆れるイムルフ少年。
ふむ。カルーラ。通訳よろしく。
『ハヤテ様は言っています。最後に戻してしまったのは減点。だけど・・・ええと、お漏らしをしなかった点は評価する。それらを色々と加味して今回の所は保留。との事』
ガクリと力尽きるレフド叔父さん。
しかし僕の採点に文句を言う事は無い。
それどころか、誰にも聞こえないくらいの小さな声で『気を使わせてスマン』と呟いた。
・・・まあ、空中ではかなり派手に泣きわめいていたからねえ。
武士の情け。あの醜態は誰にも言わないでおいてあげるよ。
こうしてレフド叔父さんは甥っ子の前で最低限の面目を保つ事が出来たのだった。
リバースした時点で割と手遅れな気はするけど。
『後、ハヤテ様は「いつでも再挑戦をお待ちしております」とも言っている』
『・・・考慮しておく』
遠慮しておく、と言わない所に彼のやせ我慢を感じたね。
ティトゥとカーチャによってレフド叔父さんの粗相の後始末が終了した。
思ったよりも早かったね。
ティトゥは操縦席の掃除を終えると、仕上げに匂い消しのポプリを振りまいた。
『今回はゲロだけだったので楽でしたわ』
『いつもは床がおしっこまみれになっていますからね』
いやいや、僕が気を使って直接的な表現を避けているというのに、君達のその会話はどうよ。
二人の話を聞いたカルーラは微妙に僕から距離を取った。
ちょ、カルーラ。人を汚物ドラゴンみたいな目で見ないでくれないかな。
レフド叔父さんは護衛の騎士に抱えられて、僕のテントの中に運び込まれていた。
今も濡らしたタオルを額に乗せて横になっている。
疲れて寝ているのか、吐しゃ物でカピカピになった服はそのままだ。
夢でうなされているらしく、時々『うううっ。うぐっ』と、苦しそうなうめき声が聞こえて来る。
ちょっとやりすぎてしまったか。
聖国の土木学者ベンジャミンを乗せた時もそうだけど、僕は乗ってる人に良いリアクションを見せられるとついつい張り切ってしまう悪い癖があるみたいだ。
反省。
しかし、レフド叔父さんの鍛えた肉体でも、今の僕の空中機動には耐えられないのか。
僕の性能はそこまで向上しているんだな。
ティトゥを乗せている時は十分に気を付けないと。
『これで諦めてくれればいいんですけど』
ティトゥは心配性だな。レフド叔父さんなら大丈夫だと思うけど?
男らしくすっぱりと諦めてくれるんじゃないかな。
男らしくすっぱりと諦めてくれるんじゃないかな。
そう思っていた時期が僕にもありました。
復活したレフド叔父さんは僕の何が気に入ったのか、どうしても手元に置いておきたくなったらしい。
カズダ家の人達の誘いを断って今夜は僕のテントで飲み明かす事にしたそうだ。
流石にイムルフ少年はお屋敷の方で泊まるようだが、レフド叔父さんに付き合わされる護衛の騎士達は大変だね。
『どうしてこんな事になるんですの・・・』
心配でまだ残っていたティトゥが恨めしそうな目で僕を見上げた。
いや、僕に言われても困るし。そういう事は直接本人に言ってくれない?
『ナカジマ嬢は飲まれないのか?』
ご機嫌なレフド叔父さんが酒の入ったカップを手にティトゥに絡んだ。
『私は結構ですわ。私もハヤテもお酒は嗜まないんですの』
『ほほう。ドラゴンは下戸と』
あ。この雰囲気。何だかイヤな予感がするぞ。
レフド叔父さんは部下に命じてお酒の樽を運んで来させた。
『酒を飲まない益荒男など聞いた事がない! どうかなドラゴン。ここは一つ俺と飲み比べをせぬか?』
あちゃあ。そう来たか。
レフド叔父さんはリベンジマッチをご所望の様子。
わざわざ自分から飲み比べを挑んで来たという事は、かなりの酒豪と見た。
『あの、私の話を聞いてまして? ハヤテはお酒は飲まないんですのよ?』
『ドラゴンよ。お主のパートナーはこう言っているが、どうなんだ? よもやそのようなデカイ体で一滴も飲めないなどという事はあるまい?』
そう言って、レフド叔父さんはなんともいやらしい笑みを浮かべた。
うざい。
この酔っ払いうざい。
僕は今も挑発的な視線を送るレフド叔父さんを見下ろした。
・・・いっその事、彼の昼間の醜態をここでバラしちゃおうか。
ここにはイムルフ少年はいないし、別にいいよね。
いや、それも違うか。
よし、分かった。
いいでしょう。その挑戦受けて立ちましょう。
『ワカッタ。ノム』
『! ハヤテ?!』
『そう来なくてな! オイ! 追加の酒樽を買って来い!』
ギョッと目を剥くティトゥ。彼女は僕が何も飲まない事を知っているからね。
挑発された僕が怒って、飲めないくせに挑戦を受けたと思ったに違いない。
まあ、それもあながちハズレじゃないし、僕の飛行機の体はガソリン以外に飲み食いが出来ないのも事実だ。
けど、ちょっと思い出した事があるんだよ。
ティトゥは僕の指示で翼の上の燃料積入口を開けた。
『ここにお酒を入れるんですの?』
『ソウ』
『よし! お前達、この上まで酒樽を持って来い!』
騎士団員達は酒樽を翼の上に持ち上げると、ヒシャクで酒を汲んで燃料積入口に注ぎ込んでいく。
その様子を心配そうに見守るティトゥ。
『・・・あの。どのくらい入れればいいんでしょうか?』
『マダマダ』
『いい飲みっぷりだ! よし、お前達、樽ごと一気に行け!』
レフド叔父さんの指示を受け、騎士団員達はためらいながらも酒樽を傾ける。
燃料積入口になみなみと注がれるお酒。
さっき空にした燃料タンクに次第にアルコールが溜まっていく。
『ハヤテ、あなた大丈夫ですの?』
うん。大丈夫かどうかでいえば大丈夫っぽいね。
実は太平洋戦争末期。航空用ガソリンの枯渇した日本軍は、松根油やアルコールを代替燃料として利用する計画があったのだ。
これを「新燃料戦備計画」という。
結局、生産性の低さや燃焼効率の悪さからこの計画が日の目を見る事は無かったものの、一部基地ではアルコール燃料の在庫が見られた事から、どうやら限定的に使用されたものと考えられているそうだ。
だから燃料タンクにアルコールを入れても多分平気――ウイック。
『ハヤテ?』
おや? 油温計の温度が上がっているぞ? アハハハハ。何でだろうね?
『あの、ドラゴン殿。大丈夫ですか?』
大丈夫かって? こんなオクタン価の低い燃料を入れて大丈夫かって? そんなの大丈夫じゃないに決まってるでしょ。”誉”エンジンは発動機の芸術品ですよ? アルコールなんかで十分な性能を引き出せると思っているんですか?
『・・・テ。トマッテル』
『あっハイ』
『ハヤテ、あなた様子がおかしいですわよ』
そう? 何かおかしかった? おかしかったら笑えばいいじゃないか。
「あはははははははは!」
ドドドドドド
『『うわああああっ!』』
『ハヤテ?!』
おっといけない、うっかり20mm機関砲が暴発してしまった。
これはアレだよ。しゃっくりみたいなものだよ。飛行機がしゃっくり。なにこれ超面白いんだけど。
「あはははははははは!」
ドドドドドド
『・・・テ。トマッテル』
『あの。もう空なんですが』
『・・・テ。トマッテル』
『し、至急買って参ります!』
「参りますって! 何に参ったのさ! 参りましたごめんなさいって?! あはははははははは!」
ドドドドドド
『『ひいいいいいっ!』』
『ハヤテ!! あなたまさか酔っ払っているの?!』
ん? ティトゥが何か怒鳴ってる気がするけど・・・なんだろうね。良く聞こえない。
レフド叔父さんが驚いて腰を抜かしているって? 目と鼻の先で発砲しちゃったからかな。
当たってないならどうでもいいか。
うん。この国は良い国だ。砂漠もいいよね。いやあ、夜の砂漠最高。あははははは。
こうして僕はこの世界に転生して以来、かつてないご機嫌な夜を過ごしたのだった。
今回のタイトルですが、酒飲みの事を「左利き」と言うそうです。
大工さんが木を削る時に左手にノミを持つ所から、「左手」=「ノミ手」。転じて「飲み手」となり、そこから更に転じて酒飲みの事を「左利き」というようになった、と言われているそうです。
あくまでも「酒飲み」のことであって、「酒乱」の事ではありません。念の為(笑)
次回「謎の連帯感」