その4 砂漠の朝
『ハヤテ様おはようございます』
『オハヨウ』
僕の正面の広場に朝市の準備が進む中、カルーラの実家、カズダ家の使用人達がやって来た。
手には箒を持っている。
『埃が立ちますがご容赦下さい』
『ヨロシクッテヨ』
彼らは僕のテントの中に入ると、テントの天井のたるんだ部分を箒の柄で突き始めた。
ドサッ。バサッ。
テントの外に砂が落ちる音がする。
ここステージは砂漠のオアシスに作られた町だ。
強い風が吹くと砂ぼこりが舞い上がる。
放っておくとテントの天井に砂が積もって支柱が曲がってしまうんだそうだ。
『お邪魔しました』
彼らは外に出るとテントから落ちた砂を掃き清めた。
掃除が済んだ先から、この場所に目を付けていた商売人達が先を争うようにテントを張っていく。
彼らのバイタリティーには恐れ入るよ。
ちなみにこの広場で露店を開いている人達は商人ではない。
そこらの農家の人達が畑で穫れた野菜や果物を売りに来ていたり、彼らの身内が代わりに売り子をしているのだ。
この町にはカズダ家が商いを許した商業区があって、ちゃんとした商人はそこで商売をしている。
つまりここで露店を出しているのは「なんちゃって商人」なのだ。
日本で言えばフリーマーケットが近いのかもしれない。
とはいえ彼らは「なんちゃって商人」とは思えないほど本格的である。
商品の代金もササッっと暗算で出してしまうし、簡単な単語くらいなら読む事が出来る。
全体的に学力の低いこの世界ではなかなか見られない光景だ。
なるほど「チェルヌィフは商人の国」というのはこういう事を言うんだろうね。
カズダ家の使用人達が立ち去ると、僕のテントの前にもどんどん彼らの出店が進出して来る。
野菜、果物、古着、書物、骨とう品、etc。
値段もピンからキリまで。掘り出し物からぼったくり商品まで何でもありだ。
後で聞いた話だけど、チェルヌィフでは「露店で稼ぎを出せて初めて駆け出し」と言われているらしい。
大店の跡継ぎも若いうちはフリマで修行を積まされるんだそうだ。
フリマの税金は売り上げの三割。
一日に一~二度カズダ家の使用人が広場にやって来て徴収していく。
三割とは何ともアコギだと思うけど、それでもこうして露店を出す者が後を絶たない。
と言っても、常に使用人が見張っている訳でもないので、彼らが来そうな時刻になるとみんなサッといなくなってしまう。
どうやら税の徴収が目的というよりも、行き過ぎた商売を嗜めるための罰金のようなものらしい。
『ハヤテ様今日もよろしく』
『おはようハヤテ様』
『今日も頼んますよハヤテ様』
僕のテントの近くに露店を出すオジサンや女将さん達が僕に挨拶をして来た。
中には手を合わせてご利益を祈願するお調子者までいる。
彼らが連れた子供達が興味深そうに僕を見上げた。
彼らの馴れ馴れしい距離感に最初は少し戸惑ったけど、戦争の時からこっち、道中の帝国でも怖がられてばかりだったから何だか悪い気はしないかな。
『ヨロシクッテヨ』
『喋った! 喋った!』
何が面白いのか子供達は大はしゃぎだ。
母親が『コラッ! 店の邪魔をするんじゃないよ!』と叱っている。
こんな感じでこの町の僕の朝は始まるのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここはオアシスにせり出すようにして作られたカズダ家の屋敷。
出入口は一ヶ所だけ。敷地面積の半分以上はオアシスの中に石を積んだ土台の上に建てられている。
このような防衛に特化した作りは、かつて他部族とオアシスの利権を巡る争いが絶えなかった時代の名残であった。
丁度朝食の時間のようだ。
テーブルには当主のエドリア夫妻。夫妻の長男。それに先代の当主とその後妻が着いている。
それと客としてナカジマ家当主ティトゥ。エドリアの妹カルーラ。弟のキルリア。
ティトゥのメイド少女カーチャは使用人室に控えているので、この合計八人が食卓に着いている事になる。
ティトゥは先程から食が進んでいない。
どうやら慣れない異国の料理に悪戦苦闘しているようだ。
今もチラチラとカルーラの作法を横目で窺っている。
(ううっ。め、面倒くさいですわ・・・)
暑さで食材が痛み易いのか、この国の料理は香辛料をふんだんに使って素材の臭みを誤魔化す傾向にあるようだ。
その刺激を緩和するために、肉と漬物野菜、豆と煮つけ、など、決まった料理を自分の取り皿に取って、ひとまとめにして食べるのがマナーとなっているらしい。
勿論ティトゥはそんな常識は知らない。
だから最初は普通に肉だけ食べてしまい、辛さのあまり口から火が出るような目に遭ってしまった。
その時カルーラがテーブルにフォークを置いた。
『・・・面倒くさいわ』
我が意を得たり!
自分が言いたくても言えなかった一言をズバリと言ってのけたカルーラに、ティトゥは憧れの視線を送った。
『ちょ、ちょっとカルーラ姉さん』
慌ててキルリアが姉の袖を引っ張った。
カズダ家の家族はカルーラの言葉に戸惑っているようだ。
『どうした? 何か気に入らない料理でもあったのか?』
『嫌いなものでも入っていたのかしら?』
両親の言葉にカルーラはかぶりを振った。
『違う。単に面倒くさいと思っただけ。こうしてちまちまと違う皿の料理を組み合わせて食べるのは手間』
そう! そうなんですわ! もっと言って下さいまし!
ティトゥの目はキラキラと輝き、みんなからは見えないようにテーブルの下で力強く拳を握りしめた。
しかしカズダ家の者達は益々戸惑うばかりだった。
彼らの常識では食事とはこういうものだからである。
『しかし、面倒と言ってもどうするんだ? 食べない訳にはいかないだろう』
『ナカジマ様の屋敷?では違う方法で食べていた』
”屋敷”の部分が半疑問形になったのは致し方ないだろう。実際にあれは屋敷ではないのだし。
カルーラは『ちょっと待ってて欲しい』と言い残すと、立ち上がって部屋を出て行った。
『ね・・・姉さん?! あの、ナカジマ様。カルーラ姉さんは何をするつもりなんでしょうか?』
『えっ? さ、さあ? 分かりませんわ』
全員の視線が集まった事で挙動不審になるティトゥ。
しかし、ティトゥが針の筵の上に置かれている時間はそれほど長くは続かなかった。
ガチャリ
ドアが開くと、カルーラが皿を持った料理人を連れて部屋に戻って来た。
『厨房で作ってもらった。これを食べてみて』
『! ああ、なるほど。これはケバブですわね』
『『『『『ケバブ?』』』』』
カルーラが作らせたのはケバブのような料理だった。
彼女はナカジマ家で、ドラゴンメニューのオーソリティー、ベアータの作るケバブを食べていたのだ。
実際のケバブ肉は味付けした薄切り肉を焼いたものだが、ベアータの作るケバブ肉は香辛料をふんだんに使ったものだった。
流通の未発達なこの世界では新鮮な葉野菜が安定して手に入り辛い。
そういった事情もあって、野菜と言えば主に日持ちのする根野菜か、漬物野菜の事を言うのだが、普通の味付け肉では味の濃い野菜に負けてしまう。
そこでベアータは香辛料を使って肉をチェルヌィフ風に仕上げたのだ。
スパイシーな肉と漬物野菜との組み合わせは抜群であった。
カルーラは、なじみ深い香辛料を効かせた肉にこんな調理方法があるとは想像もしなかったので、強く印象に残っていたのだ。
カズダ家の料理人の作ったケバブモドキは、パン生地の発酵の時間が取れなかったためか、袋状のピタパンではなく、刻んだ具材をナンで挟み込むような形になっている。
しかしこれはこれで美味しそうな料理だ。
そしてティトゥにとっても馴染みのあるメニューでもある。
ティトゥは皿のケバブモドキを切り分けると一口頬張った。
『美味しいですわ!』
『ありがとうございます』
料理人が満足そうに頭を下げた。
カズダ家の面々も予想外の味に目を丸くしている。
『これは・・・どうなのだろうか。色々と料理が混ざり過ぎて、味を打ち消し合っていないか?』
『そうかしら? 私は大変好ましゅうぞんじますわ』
『僕はこの味好き』
概ね、味の好みが保守的な高い年齢層には不評で、若い層には受け入れられている様子だ。
『むっ・・・ ベアータの作るケバブはもっと美味しかった』
しかしカルーラは不満顔だ。
実際に発酵の足りなかったパン生地は、膨らみが足りず食感が悪い。
どうやら彼女はナカジマ家で食べたケバブを思い描いていたらしく、ケバブモドキとの味の落差にガッカリしているようだ。
『料理の原理は分かりました。次はもっと美味しく作ってみせます』
料理人は力強く宣言した。
『まさか料理した肉を食材のように組み合わせて、全く新しい料理を作るとは。その発想の柔軟さ。目から鱗の落ちる思いがしました』
料理人は新たな料理との出会いに興奮を隠せない様子だ。
ここからはしばしナカジマ家の料理の話になった。
和気あいあいとした空気の中、ティトゥはこっそりケバブモドキをお替りして、どうにか無事にお腹を満たす事が出来たのだった。
次回「マントの集団」