その2 王都脱出
本来は夜のフライトは危険だが緊急事態なら仕方が無い。
幸い昼間に運ばれた時に周囲に障害物が無いのは確認済みだ。
僕はエンジンをブースト。
突然の轟音にカルーラの弟キルリアが息をのんだ。
『な、何が起こるの?』
『いいから。キルリアは私の手を握って』
カルーラは安全バンドを締めて後ろからキルリアを抱きしめている。
そのキルリアは姉に抱かれながら胸の前で何かを握りしめている。
あれは護身用のナイフか何かな?
お客様、危険物の機内持ち込みは禁止されております。危険物かどうか、機内への持込み可能かどうか等については、ご利用される航空会社にご確認ください。
『今からハヤテが飛びますわ! 揺れるかもしれないので舌を噛まないように気を付けて下さいまし!』
ティトゥの警告にギョッと目を剥くキルリア。
慌ててグッと歯を食いしばっている。
いや、多少は揺れると思うけど、そこまで警戒しなくても大丈夫だよ?
「離陸!」
『リリク! ですわ!』
僕は闇の中を疾走。
フワリ
タイヤが地面を切る独特の浮遊感の後、僕は大空へと舞い上がった。
チラリと背後を振り返ると、騎士団の人達がこちらを見上げて大騒ぎしている。
なんかゴメン。けど今は非常事態だから。
僕はいつものように大きく旋回しながら高度を上げていった。
『今飛んでいるの?』
キルリアが星空を凝視しながら呟いた。
思ったよりもあっさり飛んだ事で現実感がないようだ。
てか、どれだけ覚悟を決めてたの君。
『これでもう安全ですわ。大空を飛ぶハヤテに手を出せる者も追い付ける者もこの世にはいませんわ』
ティトゥの言葉に戸惑いの表情を浮かべるキルリア。
あれは多分、『本当に信じてもいいの?』という顔だね。
まあ、無理もないか。今のティトゥの言葉はどう聞いても大言壮語だからね。
『ナカジマ様の言う通り。ハヤテ様なら一日で国境まで飛ぶ事だって出来る』
姉にそう言われてキルリアは初めて肩の力を抜いたようだ。
ああ、なるほど。
今まで彼は、自分が唯一の男として三人の女性達を守らなければ、と、ずっと気を張っていたんだな。
で、安全圏に避難出来たと知ってようやくホッとしたと。
自分だってまだ誰かに守られる年齢なのに、随分と責任感の強い男の子なんだな。
『ハヤテ。王城の上を回って頂戴』
一国の王城の上を飛ぶなんて、そんな事をしても大丈夫なのかな?
だが誰もティトゥの言葉をとがめない。
だったら大丈夫なのかな? まあいい。ここで彼女がそう言い出したって事は何か理由があるんだろう。
僕はひとまず疑問を飲み込んだまま、機首を王城へと向けるのだった。
深夜という事もあって、上空から見た王城は闇に包まれていた。
窓からは明かりが洩れているが、その程度の光量では城の全体を見通す事は出来ない。
全員が固唾をのんで眼下の城を見下ろしている。
何なんだろうね。この緊張感は。
『・・・火の手は上がっていないようですわね』
「はあっ?! ちょ、ティトゥ! 火の手ってどういう事?!」
ティトゥがなにやら物騒な事を呟いた。
えっ? 何? 王城に火事が起きるほどヤバイ事になってるの?
一人だけ事情を知らない僕は思わず驚きの声を上げた。
そんな僕の声にキルリアが目を見開いた。
『今の声は?!』
『今のはハヤテ様の声。私達が叡智の苔様から与えられたギフトをハヤテ様はニホンゴと言っていた』
確か飛び立つ際にも二言三言喋っていたはずだけど、あの時はそれどころじゃなかったのか、キルリアは僕が喋った事に気が付かなかったようだ。
キルリアは居住まいを正しすと僕に話しかけて来た。
「挨拶が遅れましたハヤテ様。自分はキルリア・カズダ。カルーラの弟でございます。叡智の苔様に選ばれた今代の小叡智の任を仰せつかっております」
カルーラのどこかフランクな日本語と違って、キルリアの言葉は随分と堅苦しいんだね。
「よろしくキルリア。カルーラにはお世話になっているよ」
「! 本当に喋られるとは! 失礼ですが、私共以外に叡智の苔様の言葉で話される方がいるとは信じられない思いがします」
『もう! 二人で何を喋っているんですの?!』
日本語で会話をしているのが面白くなかったのだろう。ティトゥが横から口を挟んで来た。
『お喋りをしているより、これからどうするか決めなくてはですわ』
『でしたらひとまず私達の実家に向かいましょう。後々の事はともかく、今はそこで匿ってもらいましょう』
『キルリアの意見に賛成。ハヤテ様、南東に飛んで頂戴』
『ハヤテ』
了解了解。何だか分からないけど、カルーラ達の両親の領地に向かえばいい訳ね。
じゃあカルーラ、ナビゲーションをよろしく。
ついでに今夜お城で何があったかそろそろ教えてくれないかな?
◇◇◇◇◇◇◇◇
兵士に鎮圧された王城を大股で歩く長身の武者。
いかつい顔に、獰猛な笑みを浮かべている。
謀反人エマヌエル・ベネセの腹違いの弟、マムス・ベネセである。
彼はベネセ家の騎士団を率いて、この度の王城攻略の陣頭指揮を執っていた。
「サルート家のヤツらはどうした?」
マムスの問いかけに近くにいた騎士が答えた。
「はっ! 逃げ延びた者達は城の奥の離宮に立てこもっております! 現在こちらも離宮前の庭に兵を集めている所です!」
「クリシュトフはどうした?!」
「寝室にて討ち取りましてございます!」
マムスは「そうかい」と短く答えた。
クリシュトフ・サルートは今期の国王代行を任されている。
この国は何代かで王家の血族が根絶したため、今は六つの有力部族が持ち回りで国家の代表を務めている。
前年から国王代行を務めるクリシュトフの実家サルート家は、マムスのベネセ家とは敵対する派閥の筆頭だった。
「クリシュトフの死体を持って来い。本人と確認出来たら首を離宮の前に晒せ。自分達の旗頭が既にこの世にいないと知ったら連中の心も折れるだろうよ」
「はっ!」
キビキビとした動作で走り出すベネセ騎士団員。
マムスは目の前の大きなドアを開けた。
そこはこの城の謁見の間だった。
月明かりの差し込む暗い大広間を軍靴を鳴らして歩くマムス。
周囲よりも一段高い場所に鎮座する歴史ある玉座に近付くと、彼は迷いなくそこに腰掛けた。
マムスは鼻を鳴らすと、ゆっくりと部屋の中を見回した。
「ふん。なかなかいい眺めだ。兄貴にくれてやるのが惜しくなるな」
そう言って余韻に浸るマムス。
その時、部屋の外から先程の騎士が入って来た。
「失礼します! 首実検の用意が整いました!」
「分かった。今行く」
マムスは立ち上がると一度だけ玉座を振り返って歩き出した。
彼の読みに反して城内の騎士団はしぶとく抵抗を続けた。
ベネセ騎士団が完全に城内を掌握するのはそれから二日後の事である。
次回「オアシスの町ステージ」