閑話9-1 代官オットーの劣等感 前編
総合評価3,000ptを記念して閑話を更新します。
とか考えていたら、なかなか3,000ptに届かないので関係なく更新します。
ナカジマ家の代官オットーの前には山のように未処理の書類が積み上げられていた。
当主であるティトゥはメイド少女カーチャを連れてどこかに出かけたまま戻らない。
ここにいるのは彼だけである。
処理しても処理しても一向に減る気配の無い仕事の山。
次第にオットーの胃が重くなっていく。
思い出すのはティトゥの父親であり、彼の元々の主人であったマチェイ家当主シモン・マチェイ。
彼はオットーを見込んで、頭を下げてまで娘の領地の代官を頼んだのだ。
――俺はシモン様の期待に応えられないのか。
彼はふとドラゴン・ハヤテの緑色の巨大な姿を思い浮かべた。
いつも飄々とした態度で、自分達では解決不可能な難題を容易く成し遂げる。
そんな彼に対して、自分は得意としている領地運営すら満足に行えない始末だ。
ティトゥ様がハヤテ様を頼るのも当然か・・・
オットーは自分の無力さに涙を流して歯噛みした。
ここでいつもオットーは目が覚める。
これはティトゥがチェルヌィフ王朝を目指して領地を空けて以来、彼が毎晩のように見る悪夢であった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
オットーは軽い朝食を済ませると、仕事の道具を持ってハヤテのテントに入った。
テントの中では既に彼の部下達が仕事に取り掛かっている。
全員が手を止めてオットーに挨拶をした。
別にオットーは寝坊したというわけではない。
最近では時間を調整して最後に出勤するようにしているだけだ。
以前は誰よりも早く仕事に取り掛かっていたのだが、ナカジマ家の客分、ユリウス元宰相から「部下を使うならそれではダメだ」と注意されたのだ。
部下にとっては上司は遅れて来るくらいで丁度いい。ユリウスにそう言われて以来、オットーは部下よりも後に来るようにしていた。
実際に彼が先に仕事をしていると部下も慌ててしまうようだ。ユリウスの忠告を聞いて最後に来るようになって以来、確実に部下のミスが減った気がする。
ちなみについ先日まで、オットーは自分に割り当てられた家で仕事をしていたが、今では再びハヤテのテントを使っている。
以前よりも部下に割り当てる仕事を増やしている関係上、彼らからの報告を受ける必要があるからだ。
いちいち報告の度に家に出入りされるよりも、こうして纏まって仕事をしていた方が何かと便利なのである。
仕事に余裕ができたら新規に庁舎を建てる事も検討するべきだろう。
(また仕事が増えるな・・・)
オットーは心の中のタスク帳に書き留めておくことにした。
仕事に取り掛かって早々に部下からオットーに報告があった。
治水工事の担当になっていた男だ。
オットーは彼から手渡された資料をめくった。
「工事が遅れているのか?」
「地盤の緩みが予想よりも大きいそうです。追加の資材の購入を要請されています」
現在ナカジマ領では土木学者ベンジャミンの進言を元に、焼け跡の治水工事が急ピッチで進められていた。
具体的には現在あちこちに点在している池を三か所に纏め、そこから湾内に川を通す計画となっている。
池はそれぞれ北から「上池」「中池」「下池」とされ、「上池」は北の山から流れ込む水を、「中池」と「下池」は湿地帯から流れ込む水を溜める予定になっている。
計画通りにいけば、夏場は「中池」と「下池」の上流の水門を閉じ、湿地帯からの水は池を通さずに直接海に流される。
これは池の水を農業用水に使うためで、夏場、湿地帯から流れてくる濁った水と混ざらないようにしているのである。
ちなみに「上池」の方には制限はかけない。こちらは湿地帯を通らない山から流れて来る水だからである。
「現場の一部が泥炭層に当たったらしく、今のままでは法面の強度が確保出来ないそうです」
「・・・また泥炭層か。分かった。差し当たっての資金はセイコラから借りておけ。後で補正予算を組んでおく」
『ハヤテ作戦』によって焦土と化した湿地帯だったが、それでもこの土地に存在する全ての泥炭が焼き払われたわけではない。
焼け跡の開発が進む中、焼け残った泥炭層が足を引っ張るケースが発生しつつあった。
「運河の方はどうなっている?」
「そちらは今の所問題ありません。若干の遅れはありますが予定の範囲内です。・・・しかしこちらも予算が」
「・・・全て計算通りとはいかないか。予算の見直しを頼む。最悪こちらは開発の規模を縮小して来年度以降に回しても構わない」
「はい!」
開発景気に沸くナカジマ領だが、逆にそのために問題も発生している。
開発資材の高騰である。
春になってナカジマ領の各開発村やポルペツカの町には多くの人間が流入している。
そんな彼らを受け止めるために、各地で建築ラッシュが起こっていた。
そのため現在、建材の奪い合いが発生し、資材の高騰を招いているのである。
ペツカ山脈まで新しい街道が通れば山から上質な木材が確保出来る予定だが、現在は治水工事の方が最優先されている。
そもそも木は加工した後に一年はかけて十分に乾かさないと建材として使用できない。
さらにナカジマ領ではそのための施設も職人も不足しているのが現状だ。
何もかも一から始める弊害があちこちに出始めていると言えた。
「またアダム特務官に頼る事になるか」
アダム・イタガキはカミルバルト国王が新たに創設した国王直属の組織を指揮している。
”特務官”という耳慣れない響きは新設された部署だからだ。
ナカジマ領では不足している人材の確保を主にアダム特務官の伝手に頼っていた。
アダム特務官としても、これらはナカジマ領の内情を知る上で願ってもない情報源となっていた。
ナカジマ家とアダム特務官、お互いにメリットがあっての協力関係なのである。
ただしこちらも良い事ばかりとは限らない。
現在ナカジマ領に食い込んでいるボハーチェク系の商人達と、王都から来た職人達の間に利権をめぐる争いが生じつつあるのだ。
特に老商人のセイコラはジトニーク商会に出遅れたためか、新規参入に反発する傾向が強い。
セイコラの商会は今ではナカジマ家の重要な取引先の一つになっているため、彼の頑なな態度はオットーの頭痛の種となっていた。
ひとまず彼からの報告は終わった。
入れ替わって別の部下がオットーの前に立った。
男の難しい表情にオットーの眉間に深い皺が刻まれた。
彼はポルペツカの代官を任せている部下の直属となる。
オットーは立ち上がると彼を促した。
「あちらで話そう。誰かユリウス様を呼んで来てくれ」
オットーはテントを出ると部下を連れて自分に割り当てられた家に向かうのだった。
男からの報告はオットーの予想通り、いや、それ以上に酷いものだった。
「昨年比で五十倍とは・・・」
彼からもたらされた報告はポルペツカの町の犯罪発生件数だった。
昨年の同月に比較して、なんと五十倍以上も犯罪が増えているというのだ。
「そもそもナカジマ領になる前と今とでは人口が違うのだ。単純に比較しても意味が無かろう。とはいえ犯罪が多い事には変わりはないが」
ユリウスも難しい顔をしている。
元宰相としては町の治安を維持する事の難しさが良く分かっているのだ。
「騎士団を増やす訳にはいきませんか?」
「もちろんその計画はある。が、以前にも言ったが急には難しい。人材というのは一朝一夕に育つものではないんだ」
現在のナカジマ騎士団はそのほとんど全てが元王都騎士団で占められている。
彼らは有事の際には一人一人が部隊の指揮官となるべく鍛え上げられた、いわばエリート達だが、その彼らをフルに活用しても現在は領地全体の治安を維持するので精一杯なのであった。
「何代か前の国王陛下が治世のおり、平民に命じて自分達で平民街の警備組織を作らせたことがあったと聞くが・・・」
「そ、それでどうなったのでしょうか?!」
「逆に大きく治安を損ない、五年程で解散させられたそうだ。警備組織の主だった者達は全員罪に問われたと聞いておる」
ユリウスの言葉にガックリと項垂れる部下。
「生まれの卑しい平民に権限を与えても、自分に与えられた責任に気付かず、結果悪用する者が出て腐敗の温床となるだけ、という事だな。今の騎士団にそういった不心得者がいないとは言わんが、やはり人を取り締まるには最低限の家柄というものが必要となるのだろうよ」
確固とした法律の存在しないこの国では、ちょっとした犯罪や揉め事であれば現場の騎士団の裁量に任される事も多々ある。
その際に物を言うのはいわゆる”袖の下”というやつだが、騎士団員であれば多少の融通は利かせても”ここまで”という限度はわきまえているものである。
しかし平民の警備組織――自警団にはそのリミットが無かったようだ。
彼らは容易く裏社会の人間と癒着して私腹を肥やした。
そのため町の治安は大いに悪化したのだった。
その反省から、以後この国では平民の自警団が許可されることは無くなっていた。
「しかし、この犯罪率は無視出来ません」
「ユリウス様に良いお考えはありませんか?」
「無理じゃな。そんなものがあれば苦労は無いわ。出来ないものは出来ないとする割り切りも為政者には必要じゃぞ? 差し当たっては騎士団の当番を調整させて、出来るだけポルペツカに駐屯する者を増やす以外あるまい」
部下は「そうですか・・・」と力無く項垂れた。
どうやらポルペツカの上司からかなり強く要請されていたようである。
しかし、長年に渡って宰相としてこの国を支えて来たユリウスから「無理」と断言されてはどうしようもない。
この国の元宰相が無理と言っている以上、最初から自分達程度がどうこう出来る問題では無かったのだ。
そんな部下の態度とは異なり、オットーはどうしてもユリウスの対応では納得が出来ない様子だった。
後編は本日18時に更新します。