閑話1-1 料理人テオドル
『テオドル、それは何ですの?』
『ワシにも分からん。ティトゥ嬢のドラゴンの言う通りに作ったもんだ』
『ハヤテの?!』
うららかな屋敷の裏庭の昼下がり。
平和を満喫しながら、いつものように戦闘機ボディーにティトゥのブラッシングを受けていると、屋敷の料理人のテオドルが木の椀を持ってやってきた。
テオドルは頑固おやじの職人といった感じのおじいちゃんである。
僕から聞いたと聞いてティトゥは興味しんしん、早速皿を手に取った。
相変わらず手も出せず見守っているだけの小動物系メイド少女カーチャも、主の脇から覗き込んだ。
『琥珀色の液体ね。どろりとしてるわ』
『少しだけ甘い匂いがしますね。木の樹液でしょうか?』
『前にティトゥ嬢が言っていた木の皮に包まれた白い団子、あれに手を加えて煮詰めたもんだ』
木の皮に包まれた白い団子とは、以前僕がティトゥにごちそうした竹皮に包まれた握り飯だ。
困ったことにティトゥは未だにあれが僕の食事だと思っている。
何度か説明したんだけどなぁ。
僕が屋敷のお世話になるようになってもう半月以上、以前より通じる単語も増えたが、これについてはなぜか全く通じない。
まあ特に困るものでもないのでいいんだけど。
料理人のテオドルは時間を作っては僕のところに来て、僕から握り飯の情報を聞き出そうとしている。
情報と言っても、そもそもこのミロスラフ王国にお米がなければどうしようもない。
例えばコーヒーなら、コーヒー豆以外からも似たようなモノが作れるそうだ。
実際に戦争中、物資の無い頃ドングリから灰汁を取って炒ったものを代用コーヒーとして飲んでいた、っていうのを本で読んだことがある。
でも、おにぎりをお米以外で代用するのは考えられないよね。
実は今、屋敷で一番僕の日本語が通じるのは、ティトゥではなくこのテオドルだったりする。
彼は年齢に似合わず物覚えも良く、僕の言葉をどんどん覚えているのだ。
・・・ただし料理関係に限るけど。
そう、彼の料理に関する話の食いつきはハンパないのだ。
もう、あなた実は日本語知ってますよね? ってレベルの理解力なんだよ。
料理に関する会話に限ってはホント普通に通じてしまう感じだ。
ティトゥも、僕の言葉が分からないなりに考えを理解してくれるけど、テオドルのはガチだからね。
テオドルは若いころ外国からこの国に出兵してきた兵士だったんだそうだ。
撤退の時に見捨てられてどこかの土地に置いていかれたらしい。
そういうところは、先日僕らも参加した隣国ゾルタとの戦いを思い出すな。
そういえばつい先週、その戦場から無事戻ってきたティトゥパパから聞いたけど、あの戦いでずいぶんな人数の兵士を捕虜にしたらしい。
今後その捕虜達は一体どうなるんだろうか。
関わってしまった者としては気にかかる所だ。
おっと、話がそれた。で、テオドルはこの国に残された後、幸いなことに後に彼の師匠となる料理人に拾われたんだそうだ。
で、その人のもとで修行して、苦労して異国の言葉と料理を学んだという。
テオドルが僕の言葉をニュアンスで理解する素養は、多分この時に磨かれたんだろう。
その後、その人の勧めもあって、マチェイ家の専属料理人になって今に至るのだそうだ。
正直、料理に関する話と言っても、僕が自炊していた期間なんて大学に通ってた4年間くらいだし、それも外食が主だったせいでそんなに話せることはないんだよね。
でも、テオドルは、自分の知らない料理の話というだけで自分にとっては価値がある、っていろいろと話を聞いてくるんだよ。
あの日は握り飯、というかお米をどう料理に使うのかと聞かれたので、うろ覚えの知識を思いつくままに披露していたところ、たまたまネット動画で見た「自作水あめ作り」を思い出したのだ。
『「ミズアメ」と言うそうだ』
『『ミズアメ?』』
少女二人がハモった。
動画ではもち米で水あめを作っていたけど、どうやら普通のお米でも出来たようだ。
ちなみにお米は僕が提供したおにぎりである。
だからちょびっとしか出来てないけどね。
動画で見ただけなので作り方自体はざっくりとしか説明できなかったが、要はお米をおかゆ状にしたものに麦芽の粉末を混ぜて一晩置いておくだけの簡単なものだ。
後は漉した汁を煮詰めてどろりとしたところで出来上がり。
なんで麦芽を入れるとあめになるのかというと、そもそもデンプンというのは植物が自身のエネルギーの元である糖を保存出来る形にしたものなのだ。
麦が発芽するとその芽は麦本体にため込まれているデンプンを分解、糖というエネルギー源に戻すことでそれを栄養に体を急成長させるのだ。
なので、デンプンのスープであるおかゆに麦芽を砕いて入れると、麦芽に含まれる酵素がおかゆのデンプンを分解し、いわゆる水あめと言われる麦芽糖に化学変化するわけだ。
って、動画で言ってた。へー、と感心したのでたまたま覚えてたよ。
実際には麦芽の量とかおかゆの水の量とか、自分が作ったことがあるわけじゃないから正直自信は無かった。
でも、その辺は流石料理人、テオドルがいい感じに仕上げてくれたみたいだ。
『これもハヤテの食べ物ですか』
ティトゥがそう言うと、いきなり水あめに指を突っ込みその指をペロリと舐めた。
相変わらず好奇心旺盛、行動力抜群のお嬢様だ。
でも水あめは別に僕の食べ物じゃないからね。
『お嬢様! そんなものを口にしては!』
主人の大胆行動にショックを受けるメイド少女。
しかし、ティトゥは彼女以上のショックを受け、固まっていた。
『あ』
『あ?』
『あっっっまあああああい!!』
再び水あめに指を突っ込むと一心不乱に指を舐りだした。
ティトゥの行動に驚愕し、言葉を失くすカーチャ。
料理人テオドルは肩をすくめると、ティトゥの手から水あめの入った椀を取り上げた。
『ああっ、後生です、もう少しだけ!』
『????』
『ほれ』
テオドルはエプロンのポケットから計量用の小さなスプーンを取り出すと、水あめをすくい、カーチャの目の前に突き出した。
カーチャはテオドルと、今にもそのスプーンに食らいつかんばかりのティトゥを見比べ、ためらう。
やがて意を決したように、パクリ。スプーンを口に咥えると・・・
『ふわっっ! 何コレ甘あああああっっ!』
ペロペロとスプーンを舐めだした。
『ああ、テオドル、それを私に下さい、もう少しだけ』
『テ・・・テオドルさん、私にも、私にも』
なんだろう、この空気。テオドルこの年でモテ期到来か?
テオドルは正気を失った少女二人に詰め寄られている。
テオドルはカーチャからスプーンを取り上げると――
『ああ・・・』
スプーンを取られ絶望の声をあげるメイドに、取り上げたスプーンに水あめを掬って渡した。
途端に花のほころぶような笑みを浮かべるカーチャ。
今度はティトゥが絶望の表情を浮かべるが、残った椀を渡され、こちらも蕩けるような笑みを浮かべた。
恍惚の表情を浮かべながら一心不乱にスプーンと椀から掬った指を舐る少女達。
甘味は少女をこうも変えてしまうのか。
この料理人は何という恐ろしいものを作ってしまったんだ。
まさに悪魔の所業、悪魔料理人テオドルの誕生である。
テオドルが無言で僕を見た。
お前のせいだ。
彼の目はそう語っていた。
正直スマン。
『無くなってしまいましたわ・・・』
『もう味がしません・・・』
未練がましく椀とスプーンを見つめる少女達。
『もう無いんですの?』
『あの白い団子からはそれだけしか作れねえ。』
無慈悲な宣告を受け、目から光を失う少女二人。
流石は悪魔料理人テオドル。慈悲はない。
そこでティトゥは考え込むと――
『コレを龍甘露と名付けます!』
と、宣言した。
『いや、ティトゥ嬢のドラゴンはミズアメと言っとったぞ』
『それはドラゴンの世界ではそう言っているということです。人間の世界では龍甘露と名付けました』
『・・・・・』
ドラゴン界のオーソリティー、ティトゥお嬢様の宣言である。慈悲はない。
自分もそう呼ばねばならんのか。老人の諦めが伝わってくる。
『あの、どうやって作ったんですか? 他の食材で代用できたりしないんでしょうか?』
カーチャの発言にティトゥも希望を見出したようだ。
期待に満ちた目でテオドルを見つめている。
『それに関してはティトゥ嬢のドラゴンからもう聞いちょる。今回は試作じゃから言われた通り作ってみたが、これで大体のところは分かったつもりじゃ。ワシらの食い物からも似たようなもんが作れるはずじゃよ』
原理的にはデンプンを分解して糖にしているだけだから、デンプンが豊富に含まれる穀類でなら作れるはずだ。
この世界にもジャガイモのような穀物があるらしいので、多分それからなら作れるとは教えているのだ。
『『きゃああああああっ!』』
歓喜の声をあげる少女達。手を取り合ってぴょんぴょんと跳ね回った。
君らどれだけ水あめを気に入ったんだ?!
騒ぎを聞きつけた屋敷の人間が、何事かと裏庭を覗き込んだ。
小躍りする少女達に困惑する使用人達。
家令のオットーが料理人テオドルに「一体何があったんだ?」と目で問いかけ、「ワシに聞くな」とばかりに無視された。
へこむオットー。そんな彼に僕はホロリとする。
『あらあら、何か良いことでもあったの?』
ティトゥママが長男のミロシュ君を連れて歩いてきた。この人もすっかり明るくなったよね。ミロシュ君ははしゃぐ姉の姿を見て自分も混ざりたそうにした。
こうして今日の屋敷の午後も過ぎていく。このまま楽しい時間が続けばいいよね。
次回「閑話1-2 メイド長ミラダの悩み」