その17 東へ
◇◇◇◇◇◇◇◇
屋敷から出て来たふくよかな中年男を、まだ若い商人風の青年が出迎えた。
中年男はチェルヌィフ商人のレオミール。青年は彼の部下のフリップである。
「お疲れさまでした」
「・・・本当に疲れたよ」
レオミールはこのバルトネクトル公爵領にミロスラフ王国のドラゴンを招き入れた件で、公爵家傘下の貴族達から数日に渡ってネチネチと嫌味を言われていたのだ。
彼らの争点となったドラゴンだが、既に二日も前に屋敷を離れている。
だから当然会議の内容は「対策会議」から「後始末の打ち合わせ」へと変化していたのだが、件のドラゴンが不在になって気が大きくなったのか、彼らのレオミールに対する当たりは遠慮のないものになっていた。
レオミールとしては、実際にドラゴンが活動していた三日間よりも、いなくなった後の二日の方が何倍も辛い思いをしたようである。
「まあその甲斐はあったがな」
「それは・・・通行手形ですね」
レオミールが大事そうに懐から出したのは、バルトネクトル公爵家の名義で発行された通行手形だった。
バルトネクトル公爵家の御用商人であるレオミールは、実はもう既にそれを持っている。しかし――
「これと同じ物をあと二つ頂いた。これからは手広くやるぞ」
今までは手形はレオミールだけが使っていた。部下に任せる時にはその時々に応じて新たな手形を申請していたのである。
その度にかかる費用も時間も馬鹿に出来ないものとなっていた。
彼がこの年齢で未だに荷馬車に揺られて街道を行き来しているのはそんな理由があったのだ。
もちろん本人の現場主義な性格による所も大きいのだが。
しかしこの手形があれば、彼以外にも荷馬車を任せることが出来る。
さらにバルトネクトル公爵領内であれば街道の関所で税を払わなくてもいい。いわばこの手形はフリーパスチケットなのだ。
これによって、今後レオミールは今後最大四っつまでキャラバンを運用出来るようになったのである。
フリップは驚きに目を見開いた。
「チェルヌィフ商人の我々に? 随分と太っ腹ですね」
「それだけ代官のボルドー様は私の手柄を認めて下さったのさ。他の貴族達の手前、表立っては礼を言うわけにはいかないご様子だったがな」
代官のボルドーは、現在バルトネクトル公爵家が立たされている危機的な状況が良く分かっていた。
そして自分の至らなさにずっと心を痛めていた。
そんな彼だからこそ、レオミールの奇策が効果的である可能性にすぐに気が付いた。
ただし同時にそれが帝国人にとっては劇薬である事も良く分かっていた。
そこで彼はドラゴンの足を引っ張りかねない、口だけ達者で現状のまるで見えていない貴族達を「対策会議」と称して現場から遠ざけたのだ。
もっとも相手は彼の思惑などものともせず、電撃的な行動で事態の要所だけを押さえると、小人達が良からぬ考えを起こす前に早々に領地を去って行ってしまったのだが。
正に電光石火。疾風迅雷とは彼らのためにある言葉なのかもしれない。
ボルドーは竜 騎 士の優秀さと高い状況判断力に心から感服した。
「これではミロスラフ王国を小国と侮っていた帝国軍が敗れたのも当然だ」
彼は言葉にこそしなかったものの、そう思い知らされたようだ。
「だったら会議の席でもレオミールさんをかばって下さっても良かったのに」
「どこかで貴族達のガス抜きをする必要があったのだろうさ。他国人の私はその役目にうってつけだったというわけだ。イヤな役回りだが、誰かが引き受けねばならんことだ。お前もこの国で商売をしていくなら覚悟をしておくといい」
まだ若いフリップはそこまでは割り切れないようである。
彼は上司の言葉に不満をあらわにした。
そしてレオミールはそんな部下に苦笑するしかなかった。
「まあ今はまだいい。それよりもコイツはお前に預けておく」
フリップは渡された手形に眼を白黒させた。
「ギャリック男爵領に行ってくれ。あそこの材木は良質だ。チェルヌィフへの販路を作りたい」
ギャリック男爵領は帝国の北に位置する山ばかりの領地だ。
この国ではギャリック男爵領と言うよりも、チェルヌィフとの国境の山の領地と呼んだ方が通じがいいだろう。
このバルトネクトル公爵領からは帝都を挟んで対角線の位置にある。
なぜわざわざそんな離れた土地に販路を広げるのか?
実はフリップの妻は男爵領の山間の小さな村の出身なのである。
雪害が続いて町に出稼ぎに来た所を、たまたまフリップに見初められて結婚したのだ。
要はレオミールは仕事にかこつけて、フリップ夫婦に奥さんの実家に里帰りする機会をプレゼントしたのだ。
自分に代わって大任を――竜 騎 士の相手を果たした部下に対する労いのつもりなのだろう。
「全く・・・素直じゃないですね」
「何の話だ。準備が出来たらすぐにでも出発してもらうぞ」
「いいですよ。ギャリック男爵領までの道なんて妻に聞けば分かりますからね。それよりも竜 騎 士の話は聞かなくてもいいんですか?」
レオミールは背中の荷物から壺を取り出すとニヤリと笑った。
「もちろん聞くに決まっているだろう。ボルドー様から頂いた年代物の聖国酒だ。お前の話を肴にコイツを頂くとしよう」
俺にだってそのくらいのご褒美があってもいいだろう? レオミールはそう言って嬉しそうに部下の背中を叩いた。
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僕達は現在、帝国を東に向かって飛んでいる。
『宿で聞いた話だと、そろそろ国境が見えて来るはずですわ』
ティトゥの言葉に、胴体内補助席のカルーラが体を捻ってどうにかして地上を見ようとした。
彼女は今朝から落ち着きがない。
故郷が近付いていると知ってやきもきしているのだろう。
ティトゥの膝の上に座っているカーチャが申し訳なさそうにしている。
今の彼女は特等席で地上を見下ろしているからだ。
かといって「さあどうぞ」と言って主人の膝の上を譲るわけにもいかない。
きっと身の置き所の無い気持ちなんだろうね。
『あっ! あれは!』
カルーラが遠くに見える山脈を見つめた。
『あれは帝国との国境になっている山。もうすぐ国境』
現在僕は帝国の北寄りを東に向かって飛んでいる。
チェルヌィフの南には大きな砂漠が広がっているため、チェルヌィフの主要な都市は国の中央から北寄りに集中していると聞かされたからだ。
山脈が見えるという事は予定よりも少し北を飛んでいるようだ。
位置の調整が必要だろう。
あの日。せっせとレーヴェの港町に汚物を投下した僕達は、後のことを全てバルトネクトル騎士団の某団長に任せて屋敷を後にした。
若手チェルヌィフ商人の・・・ええと、商人君は『えっ? もう出ていくの?』って驚いていたけど、あまりティトゥ達を屋敷に長居させたくはなかったのだ。
いつお爺ちゃん代官の気持ちが変わってもいけないからね。
仮に彼の気が変わらなくても、僕達を排除せざるを得ない状況に追いやられる可能性だってある。
こうして河賊退治に協力していても、ここは帝国で彼は帝国の貴族だからだ。
敵国――と言うには国力が全然釣り合っていないけど、今も帝国とミロスラフ王国が険悪な関係にあるのは間違いない。
あまり隙を見せない方がいいだろう。
河賊の本拠地ないしは重要拠点を見つけて、カチコミのための筋道を立てたわけだし、協力としては十分なんじゃないだろうか?
そういやティトゥはお爺ちゃん代官と報酬の約束を取り付けているんだろうか?
ひょっとしてこれってタダ働きなんじゃ・・・
まあ不足分はこの話を持って来たチェルヌィフ商人から取り立てればいいか。
どうせ帰りにも帝国は通るわけだから、その時に足を延ばしてまたこの領地に立ち寄ってもいいわけだし。
この世界に転生してからお金を必要としない体になったせいか、最近僕の金銭感覚がマヒしている気がするなあ。
ティトゥ達が損しなければそれでいいか。
『砦が見えましたわ!』
ティトゥの声にカルーラが身を乗り出した。
視界の先に城壁に囲まれた町が見える。
『あれが国境の砦ですわね』
『間違いない。向こうに同じような砦が見える』
手前に見えるのがミュッリュニエミ帝国の砦、遠くに見えるのがチェルヌィフ王朝の砦か。
この二つの砦は互いを牽制して睨み合っているらしい。
何でも最大一万人の兵士を収容出来るんだそうだ。
その際には町の人間は安全な後方に送られて空いた家に兵士が寝泊まりする。
そのために作られた町でもあるらしい。
『このブラフタ平原では帝国との大きな合戦が十回以上も行われている。互いに平原を挟んで砦を築いてからは小競り合い程度に収まっていると聞いている』
十回以上も? それは凄い激戦地だね。
上空から見ただけだとただの草ぼうぼうの原っぱにしか見えないけど、近くで見れば兵士達の屍が今も野ざらしになっているのかもしれない。
帝国と王朝の定番の戦場はここより南に二か所あるそうだが、それでもここが一番有力な合戦地になるそうだ。
北はさっき話していた険しい山脈がそびえたっているために、とてもではないが大軍は動かせない。
なんでも夏は一日中日が沈まない日もあるそうだ。って、それって白夜じゃん。
そんなに極圏に近かったのか。
そして南の二か所は互いの王都から遠くなる上、有力な領主が砦を作って押さえてるため、どうしても攻め込む側が不利になるらしい。
そしてさらに南に下ると今度は砂漠が互いの行軍を阻む事になるようだ。
それでも相手の意表を突こうと船で兵を送り、この世界では珍しい海戦が勃発したこともあったそうだ。
互いに遠間から弓を打ち合うだけのショボイ海戦だったらしいけど。
それでも操船技術の未熟なこの世界では画期的な出来事だったそうで、今でもお芝居の定番の演目になっているらしい。
「飛行機さんありがとう。こうして私をここまで送り届けてくれて」
カルーラは急に日本語に切り替えて僕に話しかけて来た。
「どうしたの急に?」
「飛行機さんは三日でバルトネクトル公爵家に対する協力を切り上げてくれた。ミロスラフ王国としてはダリミル皇太子に協力する方が国益にかなっているはずなのに」
ああ、その話か。確かにやたらと戦争をしたがる今の帝国皇帝より、皇太子の方がミロスラフ王国にとっては都合が良いのは確かだ。
だけどそれはあくまでもまだ先の話。カルーラの弟が危険にさらされているのを放っておくわけにはいかない。
それに――
「それに三日で終わらせると最初に約束したからね」
「・・・でも、ありがとう」
『もうっ! 二人で何を話しているんですの!』
僕とカルーラの会話に焦れたティトゥが口を挟んで来た。
『秘密。ハヤテ様と私との大事な約束』
『?! ちょっとハヤテ、どういう事ですの?! パートナーの私にも言えない話ですの?!』
ちょ、カルーラ何言ってんの?! 別に秘密にするような話じゃないのに、そんな言い方されたら言い出し辛いじゃないか!
「ちょっと困らせてみたかったの。だってあなた達二人共すごく仲良しなんですもの」
「うおい! なんだよその理由!」
『またこそこそと二人だけで!』
『ハヤテ様・・・今のはどうかと思いますよ』
カルーラにからかわれた僕は、片言の現地語でしどろもどろになりながらティトゥに言い訳をする羽目になった。
全くひどい目に遭ったよ。
そんな風にドタバタしているうちに、僕達はいつの間にかブラフタ平原を越え、今回の旅の目的地、チェルヌィフ王朝に入っていたのだった。
次回「エピローグ 運命の岐路」