その15 時代の流れ
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ドラゴンというのは本当に恐ろしいものだ。誰一人殺さずにこの町を滅ぼそうとしている」
ギルド長はそう言うと目を伏せた。
「私は正しいギルド長では無かった。船長の力を借りて不正にギルド長になった男だ。だがそんな私でも生まれ育った町を大切に思う気持ちは持っている。町が滅びようとしているのを見て見ぬふりは出来ない」
このレーヴェの港町の急所である真水。
ドラゴンは井戸を汚物で汚染する事で彼らの泣き所を突いて来た。
彼らがその非道な策に気が付いた時には既に手遅れだったのだ。
――と、彼らは思っているが、実はハヤテはそこまで考えて行動していたわけではなかった。
井戸に汚物が入ってしまったのは単なる偶然である。
なるべく人を避けて汚物を投下していたら、たまたま井戸に入ってしまっただけなのだ。
しかしドラゴンの脅威に怯える彼らは、これこそがドラゴンの狙いだと深読みしてしまったのである。
そもそも井戸に蓋をすれば汚物が入るのを防げるはずである。
とはいうものの、未だ混乱の最中にある彼らがその発想に至らなかったのも仕方が無いだろう。
また、仮に誰かが思い付いたとしても、ドラゴン程の巨体なら手で簡単に蓋を外してしまうに違いない、と考えたかもしれない。
実際はハヤテはドラゴンと呼ばれているだけの戦闘機なので、そんな器用なまねは出来ないのだが・・・
「俺達をドラゴンの前に突き出すつもりか?」
ボスの言葉にギルド長はかぶりを振った。
「そこまで恥知らずなまねは出来ない。だがこの騒動が落ち着けば船長とドラゴンの関係に気付く者はきっと出るだろう。そうなる前に船長達は町を出た方がいい」
「テメエ! 他人事だと思って!」
ギルド長の勝手な物言いに、頭にカッと血が上ったボスは思わずナイフを振りかざした。
「わ・・・私を殺すのか?」
「殺すに決まってるだろうが! だが今じゃねえ」
ボスはナイフで指の腹を切った。
彼は血の付いたナイフを勢い良くテーブルに突き立てた。
「コイツは河賊の殺しの誓いだ。俺はいつか絶対にテメエをブッ殺す。これからお前は一生気の休まる暇はねえと思え。飯を食っている最中も、便所でクソをたれている最中も、ベッドで女を抱いている最中も、いつも俺と俺の手下のナイフがテメエの背中を狙っているからな。俺達のナイフで切り刻まれるその日までせいぜい怯えて生きていくんだな」
ボスの底冷えする視線を受けて、ギルド長の顔色は紙のように白くなった。
これは河賊に伝わる伝統的な制裁方法だ。
覚悟を決めている人間を殺してもそれでは制裁にならない。
相手を一旦泳がせて、河賊を裏切った事を心の底から後悔している状態で殺してこそ、初めて制裁となり見せしめとなるのだ。
そのために今ここでは殺さない。ジワジワと真綿で首を締めるように苦しめた上で殺す。
ギルド長には今後たっぷりと生き地獄を味わってもらう。
ボスはナイフを引き抜くと腰の鞘に挿した。
ボスはドアを開け放つと大声で怒鳴った。
「テメエら集まれ! この町を出るぞ!」
河賊達の姿が通りの先に消えると、ギルド長はホッと安堵のため息をついた。
「ギルド長! ご無事でしたか!」
数名の若い男達が彼の姿を認めてやって来た。
ギルド長が悪質な金貸しの所に向かったと聞いて、心配して後を追って来たギルド職員達である。
「一体こんな場所に何の用事が? あ、いえ、詮索するつもりはないのですが」
「・・・いいんだ。もう終わった事だ」
ギルド長は彼らの顔を見つめて言った。
「町が落ち着いたら私はギルド長を退く事にするよ」
「「「ギルド長?!」」」
正直に言えば今のギルド長の評判は決して良くはない。
ギルド長のイスを金で買ったとの噂もある。
しかし、だからこそ彼があっさりとギルド長の座を手放すような発言をした事に、若手職員達は違和感を覚えたのだ。
「これも時代の変化だろう。私らの時代は終わったという事だ」
ギルド長は自分の限界を知っている。
河賊からの資金が断たれた今、今後もギルド長のイスに居座り続けるだけの能力は無いだろう。
そもそも彼がその地位を求めたのは、河賊と繋がってうまい汁を吸うためだ。
河賊の去った今となっては、苦労してまでその地位に固執する理由は特にないのである。
確かに時代は変わりつつあるのかもしれない。
この土地がまだ小さなコミュニティに分断されていた頃は、地域住人は豪族の私兵という暴力組織の傘下に収まることで成り立っていた。
いわば豪族達は、その小さな社会を潤滑に動かすための必要悪だったのだ。
しかし、そんな慣習に縛られた世界を一新する大きな勢力が現れた。ミュッリュニエミ帝国である。
帝国は豪族から彼らの持つ既得権益を取り上げると住人達に再分配した。
その上で法の秩序の下に彼らを帝国の国民として統治したのだ。
それでもこの土地には未だに慣習に支えられた古い価値観が残っている。
しかし今となっては、それはやがて消え去るだけの過去の遺物なのである。
グレドの村が河賊と手を切ってバルトネクトル公爵家の庇護下に入ったように。
河賊と癒着していた漁業ギルドのギルド長が引退を決意したように。
今、この土地は大きな転換期を迎えているのかもしれない。
もちろん河賊はこの港町レーヴェにいる彼らだけではない。他にもいくつかの集団が存在している。
だがそんな彼らにも、一旦生じたこの強い流れに逆らえる程の力は既に残っていないだろう。
あるいはその流れを感じた焦りから、最近河賊達の活動は活発化していたのかもしれない。
しかし皮肉にも彼らの行為は逆に住人の心が離れる原因を作り、時代の流れを後押ししてしまったようだ。
そして今回、その渦の中心にハヤテが飛び込んでしまった。
ハヤテの存在と、彼の取った行動が変化を加速させたのは間違いない。
しかしこれらはあくまでも起こるべくして起こった事で、いずれ確実にこの土地に訪れていた変化である。
決してハヤテのしでかしではない。それだけは彼の名誉のためにここに明記しておく。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『そういえば何でこの作戦は”カーチャ作戦”なんですの?』
『それ私も気になってました!』
現在僕達は屋敷の使用人の人達に頼んで、投下用増槽に家畜のフンを詰め込んでもらっている所だ。
暇を持て余したティトゥが僕に今回の作戦名の由来を聞いて来た。
そして拳を握って身を乗り出すカーチャ。
やはり自分の名前の付いた作戦とあって気になるのだろう。
よろしい。答えてあげましょう。カルーラ、通訳よろしく。
「ええ。いいわよ、飛行機さん」
では始めよう。これは僕にとって忘れられない思い出から取った作戦名なのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
あれは丁度一年前。僕がまだマチェイ家のお屋敷の裏の森で、ビバークという名の野ざらしになっていた頃の話である。
当時僕はティトゥによって木に縛り付けられて何処にも行けなくなっていた。
ティトゥさんや『そんな事もありましたわね』とか懐かしそうに言っているけど、僕はあの頃の恨みを完全に忘れた訳じゃないからね?
ええとゴホン。その頃ティトゥは毎日のように僕の所にやって来ては、食べ物を与えてみたり、ブラッシングしてみたり、何か話をしてみたりと、どうにかして僕と打ち解けようと試行錯誤を繰り返していた。
そしてカーチャはそんなティトゥに付いて来て、いつも心配そうな顔で主人を見つめていた。
その頃の彼女はまだ僕を警戒していたからね。
で、ある日のお昼。
その日、ティトゥは僕のブラッシングをしていた。
『少し休憩致しますわ』
『でしたらお昼の用意をしますね』
食い意地の張ったカーチャは『そんなコトはありません!』――主人思いのカーチャは急いで周囲を見渡すと、木陰に敷物を敷き始めた。
ちょっと日差しの強い日だったからね。きっと木陰で涼しく昼食にしようと考えたんだろう。
しかしその木には小さな先客達がいたのだ。
カーチャの姿に驚いたのか、小鳥達が木の枝から一斉に飛び立った。
『キャアアア!』
『カーチャあなた・・・』
カーチャはいくつもの鳥の落とし物――鳥フンを浴びて、どんよりと濁った眼をこちらに向けた。
『あ~あ。服だけじゃなくて髪にも付いていますわ。早く池で洗ってらっしゃい』
『・・・ティトゥ様、手伝ってください』
『もう。仕方がありませんわね』
こうして髪と服を洗って濡れた頭に下着だけの姿になったカーチャは、さっきまでの元気はどこへやら。お通夜の席のような沈んだテンションのままモソモソと昼食を頬張ったのだった。
おしまい。
◇◇◇◇◇◇◇◇
この思い出から分かる事は、人間は頭からウンチを浴びるとテンションが下がるという事だ。
つまり河賊だろうがその協力者だろうが、頭にウンチを落とされると戦う気力を失くして無力化されるという寸法だ。
そして彼らが抵抗の意志を失くしたところで、公爵家の騎士団に一網打尽にしてもらう――という作戦なのだ。
ウンチだけでは量が足りないので、色々と他の汚物も用意してもらったけどね。
・・・ん? みんなどうしたのかな?
『あまりに作戦がくだらなさすぎて呆れているんですわ』
『それよりもハヤテ様は、何でいつまでもそんなイヤな事を覚えているんですか?!』
僕の思い出話に荒ぶるカーチャ。
何でも何も、僕もあの森では鳥フンに悩まされていたからね。
その思いを共有してくれる仲間が出来て、それはそれは嬉しかったんだよ?
『汚いし、しょうもない』
『絶対、作戦名を変えて下さい!』
『由来を聞いた今となっては、何だかどうでも良くなりましたわ。今更新しい作戦名を考えるのも面倒ですし、このままカーチャ作戦で十分ですわ』
『・・・そんなあ~』
そうは言うけど、他にこれといって良い作戦を思いつかなかったんだよ。
まさか港町の人間を皆殺しにするわけにもいかないし。
どうにか無力化して戦意を奪うと考えたら、こんな方法しかなかったんだよ。
『ウソです! きっと落ち込む私を見て笑ってたんです!』
正直に言おう。その気持ちも無くは無い。
いや、だって面白いじゃん? あれだけ嬉しそうにお昼ご飯にワクテカしてた子が、鳥フンを食らって絵に描いたみたいにしょぼくれているんだよ?
ぶっちゃけ漫画みたいだったから。
『やっぱり意地悪でした! もうっ! 早く忘れて下さい!』
『マリミテ様。積み込み終わりました』
『分かりましたわ。前離れー!』
ティトゥの掛け声で僕の下から離れていく使用人達。
カーチャもブツブツと文句を言いながら離れていく。
『ハヤテ』
「離陸!」
僕は翼を翻すと、今日何度目かになる港町レーヴェへ向かうコースを取るのだった。
次回「河賊の最後」