その7 紛糾する会議
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ここはバルトネクトル公爵家の屋敷。
現在その大広間には領地の主だった者達が集まり、大きな長テーブルに着いている。
バルトネクトル騎士団の団長はこの場にはいない。
この屋敷に訪れた招かれざる客、ミロスラフ王国のマリミテ嬢とその翼馬を監視するという超重要任務に就いているためである。
そう。それこそが彼らがこの場に呼ばれた理由。
ティトゥ・マリミテとその翼馬を名乗るミロスラフ王国の竜 騎 士に、今後どう対応するかを決めるために彼らは呼び集められたのである。
「全く・・・ とんでもない相手を呼び込んでくれたものだ」
青白い顔で頭痛を堪えているのはバルトネクトル公爵領の商業ギルドの者達だ。
チェルヌィフ商人のレオミールは公爵家の御用商人だが、彼の受け持ちはチェルヌィフからの輸入品、それも一部の商品に限られている。
バルトネクトル公爵領全体の経済規模はおよそミロスラフ王国のそれに匹敵する。
そのような巨大市場を全て他国の商人に任せるはずもない。いや、国内の商家にも任せられない。
そんな巨大な商家の存在を許せば、帝国全土の経済を裏から支配されかねないからだ。
現実的には複数の有力商家が共同して一つのギルドを立ち上げ、公爵家の仕事を請け負っている。
建設業界における共同企業体、ジョイントベンチャーに近いかもしれない。
そんな彼らとテーブルを挟んで反対側に座るのは、バルトネクトル公爵家傘下の各貴族家の代表である。
早馬で駆け付けた彼らは今も商人達を射殺さんばかりに睨み付けている。
それも無理のない話である。
なにせ彼らにとってはミロスラフ王国のドラゴンといえば、生きている災厄とも呼べる存在なのだ。
領地存亡の危機に、一様に彼らの表情はこわばっていた。
そんな中にあって、当の本人のレオミールはいつものうさん臭い笑みを浮かべている。
しかし、流石の彼も空気を読んで発言は控えていた。
重厚な音を立てて広間のドアが開くと、初老の白髭の紳士が報告書を手に入って来た。
この屋敷の家令でありこの領地の代官でもあるボルドーである。
全員の背筋が伸び、しわぶき一つなくボルドーを待ち受けた。
ボルドーは席に着くなり単刀直入に用件に入った。
「本日皆に集まって貰ったのは他でもない。今朝この屋敷を訪れたミロスラフ王国のドラ――ゴホン。翼馬についてだ」
ボルドーは先ず初めに、この屋敷に訪れたのはドラゴンではなく翼馬である事を周囲に徹底させた。
「翼馬・・・ですか?」
「そうだ。今後はこの会議でも決してドラゴンという名前を出さぬように」
あれはドラゴンではなく翼馬。
嘘でもそういう事にしておかなければ、後々帝国に対する叛意を疑われかねない。
幸い本人の方から「ドラゴンではなく翼馬だ」と言っているのだから、これに乗らない手はないだろう。
各々が戸惑った表情で顔を見合わせる中、こうして領地の将来を決める対策会議は始まった。
「先ずは翼馬とマリミテ嬢を案内して来たレオミール。お前の話を聞こうか」
ボルドーに促されたレオミールは、ゴホンと一つ咳をして話を始めた。
「みなさんご存じの通り、現在この領地は大規模な河賊の活動に悩まされております」
このバルトネクトル公爵領の北を東西に流れる大河・ベネトン河。
川辺に立っても対岸が見通せない程の川幅を誇る大河で、この大陸でも最大の流域面積を誇っている。
増水時には大きな水害を起こすものの、河の水は山から肥沃な土を運び、この一帯は帝国の食糧生産を支える一大農業地帯となっている。
領内で生産された作物は船に乗せられ、河を遡ってこの国の帝都にまで運ばれる。
つまりベネトン河は農業だけに留まらず、水運による巨大流通という恩恵までバルトネクトル公爵領に与えているのだ。
ベネトン河の流域は古くから文明の栄えていた土地だった。
大陸を統一した大ゾルタ帝国によって帝国誕生以前の記録は抹消されているものの、各地に残る遺跡からこの地に古代文明が栄えていたのは確かである。
そういった歴史背景もあってか、この土地では昔から複数の豪族や国人が強い勢力を誇っていた。
現在この土地はミュッリュニエミ帝国に吸収されている訳だが、未だに彼ら土着の勢力は無視できない力を持っていた。
そう。”河賊”と賊扱いされているものの、あくまでもそれは帝国の価値基準。
実際は「帝国にまつろわぬ(従わない)地元の武装勢力」という色合いの方が強いのだ。
「バルトネクトル騎士団が討伐に向かっても、彼らは船で別の村や町まで逃げてしまいます。そしてそこを中心にまた活動を再開するのです」
レオミールの指摘に、貴族達は苦々しい表情を浮かべた。
実際に河賊がやっている事といえば、商隊を襲って金品を略奪したり、村を襲って作物や女を奪ったりと、そこらの賊と何ら変わりはない。
これでは河賊と呼ばれるのも当然であり、あながち帝国による言いがかりとは言えないだろう。
それでも地元の村や町の協力を得られているのだから、河賊に人望があるというよりも帝国の支配に対する民の反発心の方がより大きいと言ってもいいだろう。
「そんな事は分かっている。だが、我々はろくに船を持っていないのだから仕方が無いだろう」
帝国王家は公爵家が水軍を持つ事を禁じている。
先程の説明にもあったが、ベネトン河は帝都にまで通じているからだ。
つまり、バルトネクトル公爵家に叛意が芽生えれば、水軍で一気に軍を帝都に進める事が可能なのだ。
そのため皇帝はバルトネクトル公爵家に対して所有する船のサイズと数に厳しい制限を課していた。
そのせいもあって、彼らは船で自由に大河を行き来する河賊に対して後手に回る他はなかったのである。
若い貴族が不快そうに鼻を鳴らした。
「我らが町に騎士団を進めても、町の人間が先にヤツらにその情報を流してしまう。騎士団が到着した時には既にヤツらは船で別の町に逃げた後だ。後を追っても、今度はそこから別の町に。いつまでも堂々巡りだ。こうして今我々が苦労しているのも、考えてみればミロスラフ王国のドラゴンのせいなのだぞ」
例年にない河賊の活発な活動には、先日の帝国の敗戦が大きく関わっている。
圧倒的な帝国軍の惨敗を見て、ずっと帝国の支配に不満を抱えていた豪族や国人達が息を吹き返したのだ。
要は今の帝国は彼らに舐められていると言ってもいい。
若い貴族が不満に思うのも無理はないだろう。
最もハヤテ辺りが彼の言葉を聞けば、「勝手に戦争を仕掛けてきて、負けたからって文句を言われてもなあ」とぼやいただろうが。
「だからこそなのです。毒を以て毒を制す。帝国軍と果敢に戦ったドラゴン――失礼、ここでは翼馬でしたな。その翼馬の力を借りて彼らに対処するのです」
「――それは。いや、理屈は分かるが、そう上手くいくものか?」
レオミールは少々言葉を濁したが、ハッキリ言えばドラゴンには帝国軍ですらかなわなかったのだ。現在も帝国に支配されている豪族の私兵である河賊ごときが相手になるわけがない。
貴族達は黙ってレオミールの言葉を待った。
彼らもドラゴンの恐ろしさは従軍した者達から散々聞かされている。
確かに味方になってくれればこの上なく頼もしいが、そんなに美味い話があるのだろうか?
「幸い私めは帝国人ではありません。ミロスラフ王国のマリミテ様もチェルヌィフ王朝に対しては何ら含む所はないでしょう。あくまでもこの度の依頼はチェルヌィフ商人の私がミロスラフ貴族のマリミテ様に個人的にお願いした事。バルトネクトル公爵家には何のご迷惑もおかけ致しません」
「何を言う! ドラゴンを我らの領地に招き入れた事がそもそもの迷惑行為なのだ!」
レオミールに対して激発した貴族は代官のボルドーにひと睨みされ、振り上げた拳を力無く降ろした。
「――あれはドラゴンではない。次にドラゴンと言った者はこの場から立ち去ってもらう。さて会議を続けようか」
会議はその後も紛糾したが、中々結果は出なかった。
それはそうだ。
誰しもドラゴンは恐ろしい。何せ相手は五万の帝国軍を退けた恐怖の生物兵器なのだ。
もし下手な対応をして怒らせでもすれば、どんな恐ろしい事になるか想像すら出来ない。
そうなればどう責任を取れるだろうか?
結局、この日の会議では何の結論も出なかった。翌日、そしてさらに翌日と、数日に渡って、この誰も自分の発言の責任を負いたがらない不毛な会議は繰り返された。
そして彼らが何の対策も出せない間に、ハヤテは用事を済ませてバルトネクトル公爵領を去る事になるのだが・・・
今、そこまで語るのは流石に駆け足が過ぎるだろう。
ひとまず彼らの会議が始まる前に時間を戻す事にする。
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僕の前に立っているのは五人の男達だ。
気の弱そうなまだ若い商人と、立派な装備に身を包んだ完全武装の騎士と彼に率いられた三人の騎士団員達。
『某はバルトネクトル騎士団団長、ヤゴル・ベルラーク!』
『じ、自分はレオミールさんのところのフリップです』
某?! 自分の事を某なんて言う人を初めて見たよ。
密かに興奮する僕に向かって某さんは一歩足を踏み出した。
『あまり近付かない方がいい。ハヤテ――翼馬は気難しい』
『う、うむ! 忠告感謝する!』
どうやら某さんは僕に舐められないように虚勢を張っていたみたいだ。
カルーラの言葉に明らかに腰の引けた態度を見せた。
僕は事前にカルーラに、あまり帝国人を僕に近付けないようにお願いしている。
これ以上情報を与えないためと、ひょっとしてだけど僕に対して何かして来るかもしれないからだ。
ティトゥ達にも帝国人には注意をするように言っている。
流石に彼女達に庭でテント生活をさせる訳にもいかないので屋敷で休んでもらうけど、出来るだけ三人で行動して、泊まる部屋も中庭に近い場所を注文するようにお願いしている。
もちろんいざという時にすぐに逃げ出せるようにだ。
――警戒し過ぎだとは思うんだけど。でも念には念を入れとかないとね。
次回「ベネトン河」