その5 二兎追うもの
僕は慎重にエンジンを回した。
あのバードストライクから既に三日が過ぎている。
今ではプロペラに感じていた歪みを始め、機体の違和感は完全に消えていた。
何も問題はない――はずだ。
ババババババ
エンジンのふけ上りは上々。むしろ絶好調といっても良いくらいだ。
普段は鳥の鳴き声しか聞こえない静かな荒野に、”ハ45誉”の大出力エンジン音が鳴り響く。
”誉”エンジンは、従来のエンジンよりも小型で高出力という、いかにも日本人の好みそうなコンセプトの下に開発された、当時の日本のエンジン工学の粋を集めたエンジンだ。
ちなみにハ45のハは発動機――ハツドウキの頭文字のハである。
しかし、あまりに設計にこだわり過ぎたのか、出来上がったエンジンは「芸術品」と評されるほど繊細なものであった。
特に潤滑油のオイル漏れは深刻だったと聞く。
性能は高いが故障の多いエンジンでもあったのだ。
『どうかしらハヤテ!』
ティトゥが僕を見上げながらエンジン音に負けないように大声で尋ねた。
う~ん。多分大丈夫だとは思うけど・・・
『スコシ。トブ』
『りょーかい、ですわ!』
僕はティトゥ達に下がってもらうと、ゆっくりと地上を走行。
開けた場所に出るとエンジンをブーストした。
計器チェック。――異常なし。
よし。
僕はブレーキを外して疾走。タイヤが地面を切るとフワリと空に浮かんだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ポカリと白い雲が浮かぶ春の空を、ハヤテがヒラリヒラリと飛び回っている。
彼の機体が大きく弧を描く度に、ブーンブーンといううなり声が地上まで響いて来る。
地上のギャラリー達は思わぬ空中ショーに歓声を上げた。
彼らはチェルヌィフ商人のレオミールが集めた作業員達である。
念のために集まってもらったのだが、この分だと彼らの仕事はなさそうである。
「もうすっかり良くなったようですわね」
ティトゥはハヤテの元気な姿にホッと胸をなでおろした。
ハヤテから「問題無い」と聞かされていたものの、やはり心配だったのだ。
メイド少女カーチャはそんな主人を見て自分も嬉しい気分になった。
「いつバルトネクトル公爵領に発つの?」
カルーラは少し浮かない表情でそう尋ねた。
事前にハヤテから今回の件を説明されているものの、やはり心から納得しているわけではないようだ。
ティトゥはカルーラに振り返った。
「ハヤテが降りて来たら行きましょう」
「今から行くの?!」
あっさりと答えられて驚くカルーラ。
カルーラの常識では、貴族の訪問というのは、先ずは相手に訪問を連絡し、その返事を貰ってから家の者を先触れとして出した後に出発する。
ちなみに先触れの役目は、宿や相手の受け入れの段取りという、非常に重要な仕事となる。そのため当主が信頼する家臣が任されるのが普通である。
ティトゥの実家のマチェイでは、家令のオットーの右腕であったルジェックがその役目を任されていた。
彼の誠実で気配りの行き届いた性格は、マチェイの当主シモンからも厚い信頼を得ていた。
「もう三日も前にレオミールが向かってますわ。だからきっと大丈夫ですわ」
「・・・いや、たった三日しかたっていないし」
ここからバルトネクトル公爵領までは馬を走らせて三日の距離にあると聞いている。
もちろん馬車なら倍以上はかかるのだが、今回のレオミールは連絡のために騎乗して軽装で向かっている。
予定通りなら確かに今日中に着いているはずである。
困ったカルーラはメイド少女カーチャに振り返った。
カーチャはカルーラの視線を受けて不思議そうな表情を浮かべた。
この子もそっち側なんだ・・・
カルーラは、まだ常識人寄りだと思っていたカーチャが、実はすっかり主人の感覚に毒されていると知って少しショックを受けた。
恐るべき竜 騎 士の精神汚染力である。
カルーラは誰にも聞こえないほどの小さなため息をついたが、(出発が早いのは私にとっても悪い事じゃない)と考える事で気持ちを切り替えるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
話は遡って三日前。
僕は自分の考えをティトゥ達に話した。
バルトネクトル公爵家には協力する。
でもいつまでも協力は出来ない。当たり前だ。
僕達がここにこうしているのはチェルヌィフ王朝に行ってカルーラの弟を助けるためだ。
後、僕に会いたがっているバレク・バケシュとの面会。
だったら当然、帝国の事情には深入り出来ない。
だからといって放置しておくには問題があるのも事実だ。
レオミールの話を信じるなら、このまま順当に事態が推移すれば、いずれ帝国国内は皇帝を筆頭とする武断派が幅を利かせる事になりかねない。
帝国は今でも十分に厄介なのに、そうなってしまっては非常にマズイ。
僕達は昨年の戦いでは辛うじて帝国軍に勝利する事が出来たが、あれは相手が僕の情報を持っていなかったのが大きい。
けど、彼らは実際に戦う事で僕の情報を得てしまった。
なにせ前回の戦いで僕は帝国兵の恨みを買いまくったからね。
次の戦いでは絶対に対策をして来るはずだ。
――まあ、この世界では未来兵器の僕を相手に、どう対策をしようというのかは分からないけど。
でも、僕から見れば逆にそれが怖い。
僕には想像も出来ない手段を使って来るかもしれない、とも言えるからだ。
想像すらできない方法に対しては、当然対策も考えられない。
僕にとっては恐怖でしかないのだ。
だからといって後悔はしていない。
あれはそういう作戦だったんだから仕方ない。
僕も覚悟を決めて実行したんだ。
そんな事よりも今はバルトネクトル公爵領の問題を考えよう。
話を戻すが、そういった理由で僕達がバルトネクトル公爵領の問題に介入する理由は十分にある。
ただし、優先度は低い。
この件でダリミル皇太子の立場が強化されるとしても、その結果が目に見える形となって現れるのは先の話になるからだ。
帝国軍非合法部隊は既にチェルヌィフ王朝に入り込んでいる。
僕達には帝国の政権交代をのんびりと待っている時間は無い。
先の変化をあてにして目の前の危機を見過ごすのは本末転倒と言ってもいい。
『だったらこの話は断るべき』
カルーラが、それ見た事か、と僕に詰め寄った。
逆にティトゥは微妙な表情だ。
お人好しの彼女は困った人を見過ごすのに抵抗があるのだろう。
『ジカン、キメル』
『? どういう事ですのハヤテ』
僕達はいつまでも帝国の事情に関わってはいられない。
でもそれは裏を返せば、時間がある間は関わった方が得る物がある、という話にもなる。
要は期限を限って介入すればいいのだ。
『・・・それでは意味がないと思う』
カルーラは僕の意見に納得が出来ない様子だ。
確かに僕の考えはどっちつかずになる危険が大きい。
いや、普通に考えればそうなるだろう。
僕の体は一つしかない。中途半端に両方に手を付けるくらいなら、どちらかに決めて振り切った方が無難だろう。
そもそもそれでも上手くいく補償はないのだ。
二兎追うものは一兎も得ず。
あれもこれもと手を出して上手くいくと考える方が甘いのだ。
でも・・・
『ダメ。タスケル』
僕の強い語気にティトゥの表情がパッと明るくなった。
カルーラの意見の方が絶対に正しいのは分かっている。
けど、僕は僕の直感とティトゥの気持ちに従いたいと思う。
昔の僕――日本にいた頃の僕なら、絶対にカルーラの意見を選んでいたに違いない。
僕は平凡な人間に過ぎない。頭だってとりたて良くは無いし、正義感もせいぜい人並み程度だ。度胸だって全然ない。
でも今の僕には僕を信じてくれる女の子がいる。
そして今の僕の体は、この世界の人にとっては未来兵器の塊だ。
そう。僕はティトゥのドラゴンになると決めてから、そういう無難な考えに逃げる自分を棄てたのだ。
次回「打ち合わせ」