その3 チェルヌィフ商人レオミール
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それは今朝の事。
チェルヌィフ商人のレオミールは、予定より一日遅れで昨夜遅くにこのペッツの町に到着した。
道中で運悪く馬車の車軸が破損したため、その修理に思わぬ時間を取られてしまったのだ。
レオミールはこの町で店を構えているチェルヌィフ商人の男に愚痴をこぼした。
「それは不運でしたな」
「全くだ。これも全て昨年末の南征が原因なんだからやり切れない」
巨額の予算を投じた南征の失敗は、街道整備にかける予算と人手を奪っていた。
現在、帝国国内の街道では、冬の間の積雪で街道が痛み、あちこちに大きなぬかるみが出来ている。
それだけならまだしも、崩落して通れなくなった峠道の復旧の目途すら立っていない状態であった。
このままでは国内の物流に支障が生じるのも時間の問題――いや、既にその影響は出始めていた。
そんな状況でレオミールが一日程度の遅れで到着出来たのは、まだツイていた方なのかもしれない。
「そうそう。昨日とんでもない客人がこの町に来まして」
「とんでもない客人? なんだ、勿体つけずに話してくれないか」
レオミールは荷物から小分けにされた果実酒の小壺を取り出すと店主に渡した。
これらの小壺は、衛兵に渡すちょっとした付け届けとして使われる。
街道を行く商人は、誰しも商品とは別にこういった品を常備しているものなのだ。
「こりゃどうも。いえね、それが何とミロスラフ王国のナカジマ家のご当主様だったんですよ」
「ナカジマ家? 姫 竜 騎 士か?!」
店主の言葉はレオミールの度肝を抜いた。
まさかミロスラフ王国の竜 騎 士が、はるばるこのミュッリュニエミ帝国にやって来ているとは想像もしなかったのだ。
「どういう事だ?! 知る限りの情報を教えてくれ!」
レオミールが懐から財布を出そうとするのを見て、店主が慌てて止めた。
「いえいえ、コイツを頂いただけでもう十分です。そもそもアチラは我々のネットワークを頼って来たのでして」
「チェルヌィフ商人のネットワークを? ミロスラフのネットワークが手引きをしたのか?」
チェルヌィフ商人は他国にチェルヌィフ人だけのネットワークを作っている。
本来それは部外秘で、軽々に他国の人間に口利きをして良いものではない。
とはいえ物事には例外が付き物で、現地のネットワークがその必要を認めれば限定的に許可を出す事もあるのだ。
「しかし・・・ いや、これはひょっとすればひょっとするぞ」
思わぬ情報にレオミールの頭脳は回転を始めた。
竜 騎 士の馬鹿げた能力は、既にチェルヌィフ商人の知る所となっている。
どれ一つとっても到底信じられない夢物語のような話ばかりだが、実際に多くの者が見ているのだから信じる他ない。
商人は現実主義者だ。そもそも常識や固定概念は金を生み出さない。
むしろ他人に先んじて対応してみせるしたたかさを持つのが有能な商人というものだ。
(バルトネクトル公爵領の問題も竜 騎 士ならひょっとして・・・)
レオミールは早急に頭の中で算段を付けると、鼻息も荒く店主に詰め寄った。
「それでナカジマ様は今どこに?!」
「今朝早くにこの町をたたれましたよ」
「・・・なに?」
その時、店の裏に荷馬車が停まった。
「ああ、丁度ナカジマ様を送っていった者が帰って来たようです」
レオミールは店主を突き飛ばす勢いで荷馬車に駆け寄った。
「そんな・・・馬鹿な」
御者の若者に「ナカジマ様はドラゴンに乗って飛び立たれた」と聞かされて、レオミールはガックリと膝を付いた。
「見間違い、という事はないよな?」
「ちゃんとこの目で見ましたから」
若者の返事は簡潔でいて疑いようが無かった。
ティトゥ達を荷馬車から降ろした後、彼は好奇心に駆られて、少し離れた場所でハヤテが飛び立つのを見学していたんだそうだ。
僅かな可能性すらバッサリと切り捨てられ、レオミールの顔から表情が抜け落ちた。
「ドラゴンというのは凄く大きいんですよ。そいつが腹に響く大きな唸り声をあげながら、物凄い速さで空に駆け上がる様はそれは目を見張るものでした」
若者は興奮に頬を染めながら、自分の見て来たものを説明をしてくれた。
しかし、彼の話はレオミールの耳を右から左に抜けていった。
予定通りに、いや、せめて半日でも早くこの町に着いていれば、彼は竜 騎 士に出会えたはずなのである。
(ドラゴンはたった一日でペニソラ半島とクリオーネ島の間を往復すると聞く。そんなバカげた速度に到底追いつく事は出来ない。こうなってはもう会う事もかなうまい。俺の商人としてのツキはこの程度だったのか。ほんの目と鼻の先で大魚を取り逃がして指をくわえて悔しがるのが俺の限界なのか)
レオミールの深い落ち込みように店主は同情を示した。
「なあ、今日はもう休んだ方がいいんじゃないか? ウチは取引は明日でも構わないぞ」
「・・・助かる」
宿屋に戻る気力も無くしてしまったのだろう。レオミールは「すまないが、少しこの部屋を貸してくれ」と言うと、荷物から果実酒の小壺を取り出してあおった。
こうしてそろそろ正午という時刻になった頃、この店に三人の少女達が訪れる事になるのだった。
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そろそろ太陽が西に傾き始めた頃、一台の馬車が二台の荷馬車を引き連れてこちらに向かってやって来た。
街道どころか小道すらない荒地をわざわざ好んで走る馬車はいないはずだ。
つまりあれはティトゥ達の呼んでくれた応援なんだろう。
『おおっ! これがかの有名なドラゴンですか! 大きなものですなあ!』
小太りの裕福そうな商人が僕を見上げて大袈裟に驚いている。
『ハヤテ。こちらの商人はシーロの遠縁にあたるそうよ』
ティトゥの紹介を受けて小太りの商人――レオミールは芝居がかった仕草で腰を折った。
なるほど。こういうところは確かにシーロの家系っぽいね。
『ドラゴン殿におかれてはお初にお目にかかります。私、チェルヌィフ商人のレオミールと申します』
『ゴキゲンヨウ』
『人間の言葉を喋るんですか?! これは驚いた!』
レオミールと、ついでに彼の連れて来た男達は目を丸くして驚いている。
しかし、レオミールはすぐに気を取り直すと男達に命じた。
男達は手分けして荷馬車から木の棒を降ろし始めた。
『足場を組みますので、しばらくの間ドラゴン殿に動かないようにおっしゃってくれませんか?』
『ハヤテ、聞こえたわよね?』
オーケー、オーケー。
どうやらティトゥとレオミールの間では既に段取りがついているらしいね。
男達はおっかなびっくり僕の周りに集まると、手際よく足場を組んでいった。
男達の腰が引けていたのは最初だけ。
僕が動かない事が分かると、彼らは次第に大胆に僕の機体を点検し始めた。
『汚れてはいますが、流石にどこが悪いかまではアッシらにはちょっと・・・』
『ハヤテ』
『スコシ、ウシロ。アナ。ナカミテ』
『ここですか? おい、誰か荷馬車からカンテラを持って来い!』
出来ればカウルを外して中を掃除して欲しいけど、流石に工具も無しにそんな事は頼めない。
外から見える範囲で何とかしてもらうしかないだろう。
『こいつか。えーと、ちょいと失礼』
男が火かき棒のような物の先にボロ布を巻いて、空気取り入れ口に突っ込んだ。
あーそこそこ、もうちょっと奥、そうそうその辺ね。うんうんいい感じ。
『ハヤテ様、何だか遊んでませんか?』
ちょ、カーチャ、何言ってんの?! 僕は真面目にやってるよ!
だからティトゥとカルーラも、そんなふうに僕をジト目で見るのを止めてくれないかな?!
少女達からいわれのない冷たい視線を浴びる僕に、レオミールは苦笑を隠せない様子だ。
『おい、背中の汚れも忘れずに取るんだぞ!』
『今やってまさ! それにしてもこれは凄いですよ! まるで何もないみたいに中が透けて見えてます!』
男の一人が風防に付いた血を拭いながらしきりに感心している。
まあね。彼が感心するのも無理はない。
四式戦闘機の風防に使われているプレキシガラスは、光線透過率90~92%。
驚くなかれなんとクリスタルガラス並みの透明度なのだ。
ちなみにプレキシガラスとは普通のガラス(シリカガラス)でなく、合成樹脂製のガラスのことを言う。
四式戦闘機に使われているプレキシガラスは、商品名をヒシライトと言ってアクリル樹脂製のガラスだ。
アクリル樹脂は軽くて丈夫なため、戦後も長く戦闘機の風防に使用され続けていたが、流石に現在ではポリカーボネート製の物に置き代わっているそうだ。
四式戦闘機の風防に使われているヒシライトの厚みは約3mmから5mm。
前面は複数枚を重ねる事で厚さ70mmの防弾ガラスとなっている。
それでも問題無く外を見る事が出来るのだから、ヒシライトの優れた透明性が分かるだろう。
う~ん、いかん。語りたいぞ。
やけに大袈裟に感心してくれているせいか、僕のマニア心が疼いて仕方ない。
彼に解説したくてたまらなくなって来た。
どうかなカルーラ、僕の言葉を彼に通訳してくれないかな?
『え~と、ひしらいと? あくりる?』
『カズダ様、こんな時のハヤテは放っておけばいいんですわ』
そう言ってピシャリと切り捨てるティトゥと、主の言葉にうんうんと頷くカーチャ。
ちょ、君達酷くない? 僕だって語りたくなる時くらいあるんだけど。
次回「皇太子ダリミル」