その1 不運と踊る
突然コノ村を訪れたチェルヌィフ王朝の少女カルーラ。
彼女はチェルヌィフ王朝の秘中の秘、叡智の苔の巫女、小叡智と呼ばれる存在だった。
彼女の話から、僕はバレク・バケシュも僕と同じ転生者だと確信した。
そのバレク・バケシュは僕との面会を希望しているという。
僕の心は千々に乱れた。
そんな時にトマスとアネタの二人が攫われた。
攫ったのはミュッリュニエミ帝国の工作員達だ。
帝国は昨年末にミロスラフ王国に敗戦している。
皇帝は衰えた軍事力を回復するために、バレク・バケシュの知識を求めていた。
そのため皇帝は、チェルヌィフに大量の工作員を送り込んだ。
目的は小叡智。カルーラの弟、キルリアの身柄の拘束である。
そう。彼らはトマスをキルリアと勘違いして二人を攫ったのだ。
僕はチェルヌィフ商人のシーロからその情報を聞かされた。
二人を助け出した僕達は、ティトゥとカルーラ、そして二人のお世話係りのメイド少女カーチャという三人のメンバーで、キルリアを救うためにチェルヌィフへと旅立ったのである。
早朝。僕は小さな林で一人佇んでいた。
遠目に目立たないように少しだけ林に入り込んだ場所になる。
とはいえ別に偽装している訳でもなんでもないんで、割と丸分かりだと思うけど。まあ気分の問題かな。
こうしているとこっちに来た直後、マチェイの屋敷の裏の森で過ごしていた頃を思い出すなあ。
まさかあの時僕を木に縛り付けた少女とこうして仲良くなるなんて思いもしなかった。
現実は小説よりも奇なり。
世の中先がどうなるかなんて誰にも分からないよね。
まあそれを言ったら、異世界で四式戦闘機に転生するなんて想像もしていなかったんだけど。
僕がボンヤリとそんな事を考えていると、林に続く小道を荷馬車がこちらに向かってやって来た。
少しだけ緊張した僕だったが、その荷馬車の上に見慣れたレッド・ピンクのゆるふわヘアーを見付けてホッと一安心した。
どうやらティトゥ達のお帰りのようだ。
『ここまでで結構ですわ』
『かしこまりました。それではこれで』
御者台の若者が馬に鞭を入れると、荷馬車は元来た道を戻って行った。
ティトゥ達はそれを見届けると林に分け入り、僕の下へとやって来た。
お帰り。てか、あの荷馬車は何だったの?
『シーロは結構な物を預けてくれましたわ』
ティトゥが嬉しそうに手のひらサイズの木の板を掲げて見せた。
あれはチェルヌィフ商人のシーロから貰ったチェルヌィフ商人ネットワークの手形か。
ティトゥの説明によると、どうやらこの手形はチェルヌィフ商人相手の身分証明書のようなものらしい。
コレを見せれば直ぐに最寄りのチェルヌィフ商人を紹介されて、宿でも何でも手配してくれたんだそうだ。
え? マジで? 何それスゴイ便利じゃん。
『マジデ凄く便利でしたわ』
おおう・・・またティトゥが僕の言葉を覚えて使うようになってしまったか。
彼女のお目付け役のカーチャのジト目が痛いぜ。
元々ティトゥは僕の言葉を覚えて使う事が良くあったけど、カルーラの登場でその傾向に拍車がかかっている気がする。
カルーラはバレク・バケシュのギフトとやらで、非常にネイティブな日本語を話す事が出来る。
だから僕もついつい彼女と話し込んでしまうのだが・・・ ティトゥにはそれが置いてきぼりを食らっているようで不満なようだ。
僕は別にティトゥをないがしろにしているつもりはないんだけどなあ。
チェルヌィフを目指して飛び立った僕達だが、流石の僕でも一日でチェルヌィフまでは到達出来ない。
さらに問題はそれだけじゃなかった。
『カズダ様、大丈夫ですか?』
『・・・問題無い』
カルーラは心配そうなカーチャに対して明らかな強がりを見せている。
そう、昔のカーチャ程ではないが、カルーラも乗り物に弱い体質だったのだ。
現在僕達がいるのはゾルタとミュッリュニエミ帝国の国境線に近い土地だ。
僕としてはもう少し先まで進んでおきたかったが、カルーラに休憩を取らせる必要があったため、大分時間をロスしてしまったのだ。
それでもクリオーネ島まで飛んだ時と違って、こまめに着陸出来るだけましなんだけどね。
そんなわけで昨日の飛行はここで終了。
ティトゥ達は事前に空から見つけておいた小さな町へ宿を探しに向かった。
僕は心配しながら三人の帰りを待っていたのだが、どうやらシーロの渡してくれた手形のおかげで快適に過ごす事が出来たようだ。
戻ったらシーロにはお礼を言っとかないとね。
『今日はどの辺りまで飛ぶ予定なんですの?』
う~んそうだなあ。
『マダ。テイコク』
『ハヤテ様でも今日中に帝国を抜けるのは無理なんですか』
カーチャは早く帝国を抜けたいようだ。
まあ彼女にとってみれば、帝国は昨年末自分達の国に攻めて来た敵国だからね。
そんな国にいるのは落ち着かないんだろう。
カーチャの言葉にカルーラが目を丸くして驚いた。
『今日中って・・・ 帝国がどれだけ大きな国か知らないの?』
カルーラはそう言うけど、増槽込みで休憩無しのノンストップで飛べば、多分、今日中にはチェルヌィフに入る事が出来るんじゃないかな?
ティトゥ達もそう思ったのだろう。
二人共何とも言えない微妙な表情を浮かべている。
『そうは言っても、カズダ様もハヤテが昨日一日でゾルタを飛び越えたのを知っているでしょう?』
『それは・・・ 確かにそうだけど、帝国の広さはゾルタの比ではない』
まあこればっかりは実際に経験してみないと分からないだろうな。
カルーラは今度は日本語で「本当なの飛行機さん?」と僕に聞いて来た。
「そうだなあ、昨日はほぼ真北に飛んだけど、ここからは東に向かうから単純な速度で言えば昨日よりもスピードが出せると思うよ」
この世界も東の空に朝日が昇って、西の空に夕日が沈む。つまりこの惑星も地球と同様に東向きの自転をしているのだ。
そのため高緯度では大気の対流はコリオリの力の影響を受けて西からの風、「偏西風」となる。
東に飛ぶ時はこの偏西風の後押しを受けるため楽に進む事が出来るのだ。
ちなみに当然、西に向かう時は向かい風を受けるために速度をロスしてしまう。
だから帰りは行きよりも余分に燃料を消費するはずだ。忘れないようにしないとね。
僕の説明では上手く伝わらなかったのか、カルーラは疑わしそうな顔で僕の話を聞いている。
「”こりおり”とか”へんせいふう”とか、飛行機さんが何を言いたいのか分からないわ」
ああ、そっちに引っかかっていたのか。
カルーラとは日本語で会話を出来るためついつい忘れがちだが、彼女はあくまでもこっちの世界の人間だ。
現代人なら当たり前に学校で習うような事も、この世界ではまだ一般には知られていない。
それにまだ発見すらされていない法則だって、きっと山ほどあるだろう。
ましてやこっちの社会は未だに男尊女卑の風潮が激しい男社会だ。
女に教育はいらん。といった感じで、ティトゥもカルーラも常識や行儀作法はともかく、今まで学問を学ぶ機会がなかったようだ。
・・・まあティトゥはその礼儀作法すらも怪しいものなんだけどさ。
『もうっ! 行けば分かりますわ!』
僕とカルーラが日本語で話し込んでいたのが面白くなかったのだろう。
ティトゥが燃える闘魂のような事を言いながら口を挟んで来た。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。元気ですかーっ!
でもまあその通りだ。こうして話していたってチェルヌィフに着けるわけじゃない。
カルーラは小さく頷いて覚悟を決めると僕の胴体内補助席に乗り込むのだった。
『前離れー! ですわ』
「試運転異常なし! 離陸準備よーし! 離陸!」
出発前のいつもの儀式を終えると、僕はブーストをかけて一気に疾走。
タイヤが地面を切ると機体はフワリと空に浮かんだ。
そのままグングンと加速。
林の梢ギリギリをかすめるように飛び立った。
この時僕は決して油断していたつもりは無かった。
だが結果としてみれば、やはりどこか浮ついてたのだろう。
僕は”不運”と”踊”ってしまったのだ。
ハッと気が付いた時にはもう遅かった。
僕の目の前には林の木から驚いて飛び立った鳩の群れがいた。
プロペラが肉の塊を引き裂くバリバリという振動があったかと思えば――
ガツン!
大きな衝撃と共に風防が赤い血で染まった。
バードストライクだ。
次回「バードストライク」