閑話8-2 ティトゥのムチャ振り
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それを記念しての更新になります。最近この作品の更新が滞っていて申し訳ありません。
これは第七章と第八章の間。まだコノ村が雪で閉ざされていた真冬の時期の話。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『疲れましたわ。カーチャ、お茶にして頂戴』
ティトゥが読んでいた書類から目を上げて、彼女のメイド少女を呼んだ。
代官のオットーが「またですか」と言わんばかりの目でティトゥを見ているが、仕事に飽きたティトゥには何の痛痒も与えられないようだ。
カーチャは本日何度目かのお茶を淹れるために、僕のテントから出て行った。
コノ村が雪で閉ざされてから、もうひと月。
毎日続く書類仕事にティトゥはすっかり嫌気がさしている様子だ。
元々彼女はこういったデスクワークを苦手としているからね。
むしろ良く頑張っている方だと思うよ。
オットーにもそれが分かっているのだろう。困った顔をしながらもティトゥに何も言えないようだ。
実際のところ、現在、ナカジマ領の仕事は膨大なものになっている。
それはそうだ。領地が出来てまだ半年もたっていない上に、昨年末には帝国軍との戦争まであったのだ。
ぶっちゃけこの国は戦場にもなってなければ何の被害もない。
けど、ナカジマ家は別だ。
聖国からの支援を受けて、物資の調達に騎士団の出兵にと、代官のオットーの仕事は殺人的な量になっていた。
今はこの国の元宰相であるユリウスさんが手伝ってくれている事もあって落ち着いているが、一時は決済や裁定待ちの書類が山のように積まれていたものだ。
落ち着いた、とは言っても、ナカジマ領の開発は始まったばかりだ。
春になって街道の雪がとけて人が動き出せば、たちまち仕事が増えるに決まっている。
それまでに現在積み上げられている仕事を片付けなければ、すぐにでもパンクしてしまうのは間違いない。
ティトゥもそれが分かっているからこうして仕事に励んでいるのだが・・・どうやら彼女がストレスで爆発する日も近いかもしれない。
ティトゥはお茶を淹れているカーチャをぼんやりと見ている。
あ、コレってイヤな感じがするぞ。いつものアレが来る予感だ。
『カーチャ。何か面白い話をして頂戴』
ホラ来たよ! ティトゥのムチャ振り!
本人としては軽い気持ちで言ってるだけなんだろうけど、これって立派なパワハラだよね。
『お、面白い話ですか?』
『話が無いなら、何か面白い事をしてくれてもいいですわ』
最近のティトゥはストレスを紛らわすためか、こうやって周囲にムチャ振りをする事があるのだ。
かく言う僕も先日、みんなの前で歌を歌わされたばかりだ。
まさかこの歳になって人前で「チューリップの歌」を歌うはめになるとは思わなかったよ・・・
いや、歌いやすい歌ってリクエストだったんで仕方が無かったんだよ。咄嗟にこれしか思い浮かばなかったんだよ。
今日の犠牲者はカーチャに決まったようだ。ご愁傷様です、ナムアミダツ。
カーチャはオタオタと周囲を見渡したが、誰も彼女と目を合わせようとしない。
みんな一度はティトゥの犠牲になっているからだ。
ちなみにオットーは昔、家を飛び出して傭兵をやっていた頃の話をしていた。
僕は彼にそんな過去があったなんて知らなかったから意外で面白かったけど、ティトゥは既に知っている話だったのかちょっと微妙な反応だった。
メイドのモニカさん? 彼女は聖国の愛の詩の朗読をしていたね。
なんでも聖国では年頃の貴族の娘の嗜み、とまで言われている程有名な詩なんだそうだ。
ティトゥはスゴく微妙な顔をしていたよ。
あれ以来、ティトゥはモニカさんに対してだけは二度とムチャ振りをしていない。よっぽどイヤだったみたいだね。
『あ、あの、お茶を淹れるのではダメでしょうか?』
『それはあなたがいつもやってる事じゃない。私は変わったものが見たいんですわ』
カーチャの苦し紛れにもほどがある提案をバッサリ切り捨てるティトゥ。
『・・・い、いずれまた』
『そうなの? いつ見せてくれるの? 今じゃダメですの?』
余程焦ったのだろう。カーチャはここで明らかな悪手を打ってしまった。
言葉尻を捕らえて食い付くティトゥにカーチャは目を泳がせている。
鼠をなぶって遊ぶ猫のようなティトゥだったが、ここでカーチャに助けがもたらされた。
『お茶菓子を持って来ました! 今日はメイカ・ナカジマ・ヒヨコですよ!』
ベアータのお菓子にティトゥの興味がそれて、カーチャは危機的状況から解放されたのだった。
ホッとするカーチャ。でも今日はたまたま逃げる事が出来たけど、ティトゥの書類仕事が続く限りいつまた今日のような事が起こるかは分からない。
どこか憂鬱そうな彼女の姿が僕には心配でならなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
夕方。今日の仕事が終わってみんなが引き上げたハヤテのテントに、メイド服の少女が一人で訪れた。
カーチャである。
「あの、私に何の話でしょうかハヤテ様」
彼女はハヤテに呼び出されてやって来たのだ。
「オモシロイコト」
「! ちょっ・・・ ハヤテ様もティトゥ様のような事を言うんですか?!」
「チガウ オモシロイコト オシエル」
「?」
片言のハヤテの話をまとめると、どうやらハヤテは今日のカーチャを見ていて気の毒になり、自分の知っている”面白い事”を教えてくれる気になったんだそうだ。
「それは・・・助かりますが、どうしてハヤテ様がご自分でやらないんですか?」
「ムリ」
詳しい内容を聞いてカーチャは納得した。
「それは・・・ 確かにハヤテ様には出来ないですね」
「サヨウデゴザイマス」
その後、カーチャはハヤテからいくつかのコツと注意事を聞いて彼のテントを後にするのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『休憩にしましょう。カーチャ、お茶にして頂戴』
ティトゥの一声でテントに弛緩した空気が流れた。
いつものようにカーチャがお茶の準備を始める。
ティトゥは彼女からお茶を受け取りながら、さも今思い出したかのように尋ねた。
『そういえばあなた、昨日私が「面白い事をやって」とお願いしたら「いずれまた」と言ってましたわよね。今日は見せてもらえるのかしら?』
ティトゥの言葉に代官のオットーが「あんな言い逃れをするから」と、同情の目でカーチャを見つめた。
しかし口には出さない。巻き込まれるのがイヤだからだ。
『分かりました』
『えっ?』
まさかカーチャが肯定するとは思わなかったのだろう。ティトゥは驚いて危うくお茶を噴き出すところだった。
『その受け皿をお借りしてもいいですか?』
『・・・ええいいですわ』
カーチャはティトゥとオットーからお茶の受け皿を受け取ると、机の上に横に並べた。
何度かお皿を回して慎重に角度を整えている。
一体何が起きるのかと全員が見守る中、カーチャは息を整えると片方の皿を持ち上げた。
『えい』
チャリン
『『『えっ?!』』』
カーチャが可愛い掛け声と共に手にした皿を傾けると、置かれた皿の上にコインが滑り落ちた。
『今のお金はどこから出て来たんですの?』
ビックリするティトゥの見守る中、カーチャは皿を置くと、今度はコインの乗った皿の方を持ち上げた。
再び彼女が皿を傾けると――
『えい』
チャリン チャリン
『お金が二枚に増えたぞ!』
『カーチャ、あなた一体何をやったんですの?!』
皿の上に落ちた二枚のコインに驚くティトゥとオットー。いや、モニカさんも驚いているみたいだ。
上手くいったことが嬉しいのか、あるいはみんなのリアクションが面白かったのか、どことなく満足そうなカーチャ。
『さあ、何をやったんでしょう? ティトゥ様、楽しんで頂けましたか?』
ティトゥは目を白黒させて、皿のコインとカーチャの顔に交互に視線を彷徨わせている。
この表情を見ればティトゥの返事は聞くまでもないだろう。
カーチャは二人に受け皿を返した。
ティトゥは皿をひっくり返したり叩いたりと不思議そうに確認している。
カーチャはチラリと僕の方を見上げた。
そう。彼女にこのマジックのタネを教えたのは僕だ。
原理は簡単。カーチャはあらかじめ皿の底に布を張り付けてコインの入ったポケットを作っておいたのだ。
お皿を傾ければポケットからコインが滑り落ちる。
左右の皿から二枚分のコインが出て来る仕組みである。
最初にカーチャがモタモタとお皿を回していたのは、ポケットの出口が丁度良い場所になるように揃えていたのだ。
もちろんポケット自体は既にカーチャによって回収済みである。
だからいくらティトゥが調べても、それはもうただのお皿でしかないのだ。
『では食器を片付けてもよろしいでしょうか』
『・・・ええ、いいですわ』
まだ納得出来ない表情のティトゥ達からカップを受け取るカーチャ。
彼女はどこか誇らしげに背筋を伸ばして、食器を片付けるためにテントから出て行ったのだった。
こうしてカーチャは無事に主のムチャ振りに応えた訳だが・・・
ティトゥとオットーはコインの謎が余程気になったのか、今日はこれ以降の仕事にちっとも身が入らなかったみたいだった。