閑話8-1 苦労人イタガキの心労
その日、ミロスラフ王城はチェルヌィフ王朝からの賓客を招いていた。
「案内役を任されましたアダム・イタガキです」
しゃちほこばった顔で王朝使節団の一行を出迎えるのは、立派な髭の下士位の貴族。
アダム・イタガキ特務官である。
アダム特務官は慣れない案内役に――というよりは、この使節団の真意を探るという重要任務に緊張を隠せなかった。
チェルヌィフ王朝からの使節団。彼らはミロスラフ王国における先日の帝国との戦いの勝利に対してのチェルヌィフ王から祝いの言葉(それと見舞金)を携えて来た、という事になっている。
しかしアダム特務官はそれが表向きの理由である事を知っている。
彼らの、いや、使節団代表のカルーラ・カズダの目的は竜 騎 士ハヤテとの接触である。
使節団はそのための隠れ蓑。国王からの祝いの言葉ですら、彼らの真の目的のために用意された口実にしか過ぎないのだ。
国王すら協力する謎の組織。
チェルヌィフ王朝の秘中の秘の一端を前にして、アダム特務官が身構えてしまうのも仕方がないと言えた。
使節団の代表はまだ若い少女だった。
彼らの民族衣装だろうか。鮮やかな色彩のスカーフで髪をすっぽりと包んでいる。
ハッと目を引く美貌だが、目が悪いのか、常に閉じた状態で付き添いの少女に手を引かれて歩いていた。
少女は護衛達を後ろに下げるとアダム特務官の前に立った。
「カルーラ・カズダです。チェルヌィフ王からこの使節団の代表を任されています」
「ようこそミロスラフへ。ご自身で歩いておられますが、お体の方はもう大丈夫なのでしょうか?」
カルーラはこの国に着いた途端、長旅の疲れが出て体調を崩してしまった。
彼女の体が治るまで、使節団一行はしばらくの間ボハーチェクの港町に逗留せざるを得なくなった。
その事情を知るアダム特務官は、念のためこの場にも医者も控えさせていたが、この様子だとどうやら心配はなさそうだ。
「ええ。もうすっかり良くなりました。その節はオルドラーチェク殿には大変良くして頂きました」
「・・・それはよろしゅうございました。きっとミロスラフ王はオルドラーチェク家に褒美を与えられる事でしょう」
逗留中世話になった貴族家の名を公式の場で出す事でお礼の代わりにする。
カルーラがケチだから、ではなく、他国の貴族に過分な礼を払うと変な疑惑を招き、かえって迷惑がかかるのを恐れての事である。
そういった諸々の事情を察し、ミロスラフ王家がカルーラに代わってその貴族に礼金を弾む。
先程の会話はそんな意味合いがあったのである。
代々当代貴族で、先日ようやく正式な貴族になったばかりのアダム特務官にとって、まるで腹の探り合いのようなこの手のやり取りは非常に神経を使うものだった。
彼はストレスで胃がシクシクと痛み出すのを感じていた。
アダム特務官は迂闊なボロが出る前に早めに用件を済ませる事にしたようだ。
「国王陛下の準備が整うまで別室でお待ち下さい。それとそちらが望まれたドラゴン・ハヤテとの面談ですが、明日以降、城の中庭で行って頂く予定になっております。それでよろしいでしょうか?」
「?」
「? あの?」
「・・・そうですか。そちらにお任せ致します」
どこか戸惑った様子のカルーラにアダム特務官は違和感を覚えた。
しかしこの後も彼は、護衛の手配に打ち合わせにと多くの仕事を抱えていた。
本来、このような貴賓に対する護衛は城内の近衛兵が受け持つ事になっている。
しかし今回、カミルバルト国王直々の命令で、アダム特務官が全面的に使節団の護衛を行う事になった。
当然、自分達の職分を侵された近衛兵としては面白くない。
国王直々の命令という事もあって、今の所その不満は表面化していない。
しかし予断を許さない状況に、アダム特務官は連日、薄氷を踏むような慎重な対応を余儀なくされていた。
そのため彼は、この時感じた僅かばかりの違和感について深く考えるだけの余裕が無かったのである。
アダム特務官は知らなかった。
ここに来ているカルーラが偽物だという事を。
カルーラの替え玉は詳しい事情を――カルーラの目的がハヤテとの面談にある事を――聞かされていなかった。
そのため先程の会話に戸惑いを浮かべたのだった。
カルーラ達使節団一行を控室に案内した後、アダム特務官は部下達からの報告を受け取っていた。
ハヤテを呼びにナカジマ家に向かわせていた部下の口から出たのは、信じられない言葉だった。
「はあっ?! ハヤテ殿がどこにもいないとはどういう事だ?!」
血相を変えるアダム特務官に、部下は冷や汗を浮かべた。
「マチェイ嬢――ナカジマ様は何と言っていたんだ?!」
「それがその、ナカジマ様も領地におられませんでしたので・・・」
「馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿な! チェルヌィフの使節団はもう城に来ているんだぞ! 一体どうするんだ?!」
机を叩いて怒鳴るアダム特務官。
こう見えて彼も元は騎士団の班長だった男だ。
本気で怒った時の迫力はただ事では済まない。
報告をしている部下はすっかり震え上がって生きた心地がしなかった。
アダム特務官はうなり声を上げた。
竜 騎 士のデタラメさは今に始まった事ではない。しかし、デタラメではあっても決していい加減な人達では無かったはずである。
彼は事前に二人に使節団の話はしてあった。
その時彼は、自分の権限に触れかねないギリギリの所まで話をした。
二人は確かに納得してくれたはずである。
それがどうしてこんな事になったのだろうか・・・
青白い顔で頭を抱えるアダム特務官。
そんな彼の肩にポンと手が置かれた。
「行ってこい。アダム」
「ビル・・・」
それはアダム特務官が騎士団時代から付き合いのある仲間、ビルだった。
ビルはゴツイ顔に穏やかな笑みを浮かべて言った。
「竜 騎 士の二人を何とか出来るのはお前だけだ。後の事は心配するな。お前はナカジマ領に行くんだ」
「ビルの言う通りだ。ここは俺達でも何とかなる。けど竜 騎 士を任せられるのはお前だけだからな」
目じりに傷のある長身の男がビルに続いた。
同じくアダム特務官の仲間のチャフである。
いや、ここにいる全ての仲間達がアダム特務官に頷いていた。
「チャフ、ドブリー、エルク・・・」
ビル、チャフ、ドブリー、エルク。彼ら四人はアダム特務官がこの仕事をカミルバルト国王から命じられた時、彼自らが直接騎士団から引き抜いた、最も信頼出来る仲間達だった。
その時アダム特務官の心が涙を流した。
彼が王都騎士団から異動になって数か月。さらにこの四人と再び仕事をするようになってたった数日だったが、やはり騎士団はアダム特務官にとって特別な思い出の場所なのだ。
仲間がいて、戦友がいて、彼らを取り巻く人達がいて、穏やかな時間が流れている。
そう。騎士団はアダム特務官にとって家のような場所だったのだ。
仲間達の思いが、最近の激務に次ぐ激務でピンと張り詰めていたアダム特務官の心を熱い何かで満たしていった。
その事を自覚したからアダム特務官は泣いたのだ。
「「「「俺達は姫 竜 騎 士と揉めて騎士団仲間から恨まれるのはイヤだからな」」」」
「知ってたよ! どうせそんな理由だろうと思ってたよ!!」
アダム特務官は仲間に後を託すと、涙を流しながらナカジマ領に馬を走らせるのだった。
ナカジマ領の海岸線に作られたコノ村。
アダム特務官はそこでナカジマ領代官のオットーを問い詰めていた。
「ハヤテ殿どころかご当主様までいらっしゃらないとはどういう事ですか?! お二人に連絡は付かないのですか?!」
「いや、そう言われましても・・・」
アダム特務官も自分が無茶を言っている自覚はある。聖国まで日帰りで飛ぶ事の出来るハヤテに、こちらから連絡を取る方法など存在するはずがない。
それでもアダム特務官はオットーに文句を言わずにはいられなかったのだ。
ちなみにオットーはいつものハヤテのテントではなく、自宅の自室で仕事をしていた。
壁際にはメイドのモニカがつまらなさそうな顔をして座っている。
有能な彼女にしては珍しく、来客にお茶を用意する素振りすらない。
今も外の景色を眺めては「毎日がつまらないわ。しばらく聖国に帰ろうかしら」などと呟いている。
ホームシックにでもかかっているのだろうか?
激情に身を任せて叫んでいたアダム特務官だったが、ここに来た本来の目的を果たす事にしたようである。
彼は緊張にゴクリと喉を鳴らして尋ねた。
「――それで、ハヤテ殿はいつ戻られるのですか?」
「・・・分かりかねます」
一月かかるか二月かかるか。ひょっとしたらもっとかかるかもしれない。
オットーにそう言われてアダム特務官は目の前が真っ暗になってしまった。
「私は・・・ 一体どうすればいいのだろう・・・」
アダム特務官は失意を胸にトボトボと王城に戻った。
結局ハヤテ(とティトゥ)がどこに向かったのかは分からなかった。
あの後彼はオットーを強く問いただしたのだが、オットーは「自分には話す事が出来ない」と繰り返すだけだった。
そう言われてしまえば、いくら国王直属とはいえ、これ以上アダムが小上士の貴族当主であるティトゥの行動を聞き出す訳にはいかない。
そしてカミルバルト国王はハヤテに対して決して無理強いはしないであろう。
アダムは国王が密かにハヤテを恐れている事を良く知っていた。
もうどうしようもない。どうしようもないが、仕事から逃げるわけにもいかない。
彼はとにかく平謝りする覚悟で、あれからずっと王城で待っているカルーラ(偽)を訪ねた。
「いないのですか。なら仕方がありませんね」
カルーラ(偽)はそう言うとあっさり引き上げて行った。
その後、使節団は真っ直ぐボハーチェクの港町に向かうと、待たせてあった船に乗って国に帰ったのだった。
「は????」
アダム特務官は狐につままれたような気分になった。
カルーラはチェルヌィフ王朝の謎の組織の関係者で、その目的はハヤテに会う事だとカミルバルト国王から聞かされていたからである。
アダム特務官から報告を受けたカミルバルト国王も怪訝そうな表情を浮かべた。
「いや、俺にもサッパリだ。というか、カズダ嬢は無関係だったのかもしれない」
そもそもチェルヌィフの秘密組織は、ミロスラフ王家ですら全く何の手がかりも掴んでいない存在である。
今回あまりに不自然な使節団の来訪と、何故かハヤテに対してのみ会談が要求されていた事から、これはきっと何かあると裏を読んだだけだったのだ。
「今にして思えば俺にしても根拠があってした話ではなかった。色々と気を回させて済まなかったな」
「はあ、そうですか・・・」
二人の間に何とも言えない微妙な空気が流れた。
実はカミルバルト国王の勘は当たっていて、既に目的を果たしたカルーラ(本物)は、ティトゥとカーチャと三人でハヤテに乗ってチェルヌィフ王朝を目指していたのだが、彼らが今回の事情を詳しく知るのはずっと後になってからの事であった。