その23 ある下士位老人の死~帰宅
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ここは今回戦場になったネライ領のはずれにある、とある下士位の当主の屋敷。
その執務室の机に一人の年老いた男が座っていた。
彼が目にしているのは一通の報告書。
老人は報告書から目を上げると、陶器のコップの中身を一気に呷った。
「隣国ゾルタの軍は敗れた――か」
元々勝てるとは微塵も思っていなかった。
それどころか、計画を聞かされた時には相手の正気を疑ったほどだ。
だが、それでも彼は隣国ゾルタに協力して、大型船が安全に係留できる海岸線の情報を渡した。
そう、この老人の裏切りが今回の戦争の引き金を引いたのだ。
なぜ彼は勝ち目のないと知りつつ隣国ゾルタに協力したのか。
その目的は”復讐”だった。
老人は王国が勝とうが、隣国ゾルタが勝とうがどちらでも良かったのである。
ただネライ領が戦火に包まれ、ネライ家が衰退、あわよくば根絶やしにされればそれで良かったのだ。
全ての始まりは5年前、王都の新年式の時だった。
本来なら、その年14歳になる娘と共に王都に行くはずだった当主が、急な病に倒れた。
政務はすでに引退していた当主の父が急遽代理で受け持ったが、その祖父も娘の母も、この状況で領地を離れるわけにはいかず、娘を新年式に連れて行くことを断念せざるを得なかった。
そこに声をかけたのが元第四王子・ネライ卿である。
ネライ卿の無能さと奇矯な行動は、すでにネライ領の下士全てが知るところであったが、分家とはいえ自分達の寄り親であるネライ領の当主に強くは反対できず、その申し出を受けることになったのである。
結果はあまりの有様であった。
娘は旅着で国王にお目見えし、その後に行われた懇親会では、ハレンチな格好をさせられ大勢の前で辱めをうけたのだという。
病床の当主は怒りのあまり意識を失い、そのまま帰らぬ人となった。
母親もそれ以来すっかりふさぎ込んでしまい、あの日以来、人目に怯えるようになってしまった娘と共に、養生するために実家へと帰ってしまった。
残った当主の子供達も、若くして命を失っていたり、すでに他領に嫁いでいたりと、すぐに土地を継ぐ者も出せなかった。
結局、老いた父が老骨に鞭打ち政務を取る事になったのだった。
妻はもう10年以上前に他界している。屋敷にいるのは一族ではすでに自分一人。
もはやこの老人が考えることはただ一つ、いかにして家を守り子孫まで受け継ぐか、それだけであった。
しかし、その望みも潰えることとなる。
彼は、他領に嫁いだ当主の娘(彼の孫娘)に子が生まれたら養子にもらう、という書類を王家に申請していたのだが、その申請がネライ領主の横やりにより却下されてしまったのだ。
実はたまたま孫娘が嫁いだ先がネライ領主と敵対する派閥に属しており、ネライ領主としてはその子を自分の寄り子にするわけにはいかなかったのである。
この時、一人の老人の絶望は復讐の怒りに変わった。
伝手をたどり隣国ゾルタの計画に関わったのは偶然である。
彼は敵国の兵をネライ領に招き入れると屋敷に籠り、民の救いを求める声も、ネライ領主からの参戦の要請も全て断ち、今日を迎えた。
彼の決断によって起こった今回の戦争で失われた命は多い。
だが、復讐に取りつかれた男にとっては、もはや他人の命など復讐のための道具としての価値しかなかった。
息子に当主を継ぐ前は、善良な平民思いの良い当主と呼ばれていたのだが・・・
陽が沈み当主の屋敷が闇に包まれる。明かりを灯す誰も者はいない。
昼間のうちに使用人は暇を出されていたのだ。
今、屋敷には誰もいない。老人の死体が一つ倒れているだけである。
男の呷ったコップの中身は毒であった。
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夕日が辺りを染め上げるころ、僕はマチェイに到着した。
遠くにティトゥの実家、マチェイ家の屋敷が見える。
ちなみにティトゥの実家はマチェイ家。この土地の名前もマチェイ。
マチェイ家が治めるからマチェイなのか、マチェイを治めるからマチェイ家なのか。
一度誰かに聞いてみたいところである。
僕を見つけた庭師(?)の少年が飛び跳ねるように屋敷に知らせに行った。
いやあ、日があるうちに帰って来れて良かったよ。
夜間計器飛行なんて怖くてする気になれないからね。
ちなみにこの世界も地球と同じく月は一つである。自分で転生するまで異世界は月が二つあるものだと思っていました。
そのまま屋敷の庭に本日何度目かの見事な海軍式三点着陸。
いや、短い滑走距離で降りようと思ったらこうなるんだよ。
それでも庭の草木をいろいろなぎ倒しているんだけどね。庭師の人スマン。
屋敷のテラスや裏口?からぞろぞろと人が飛び出して来た。
お、小動物系メイド少女カーチャもいるな。やあどうも、今朝ぶり。
『ティトゥ!!』
『お母さま!!』
ティトゥが風防を開いて飛び降りた。危な! みんなは飛行機から飛び降りたりするなよ。
母娘は抱き合うと共に涙を流した。
もらい泣きをしている使用人達。
うんうん気持ちは分かるよ。いい場面だからね。
ティトゥの弟だろうか。母親と共にテラスから現れた5歳くらいの男の子が僕を見て目を丸くして固まっている。
うんうん気持ちは分かるよ。男の子だもんね。
でも今はお姉ちゃんのトコに行って無事を喜んどこうか。後でネチネチと文句を言われちゃうぞ。
使用人の中でもちょいと立派な格好をした男がしきりに僕のコトを気にしているな。
察するに使用人の中でも一番偉い人と見た。
軍隊でいえば鬼軍曹にあたる人だ。
『おい、変なことを考えるなよ』
『わ・・・分かっている』
見るからに料理人のおじいちゃんに注意されてた。
軍曹は鬼ではなかったようだ。
『ティトゥ様、よろしいでしょうか』
ティトゥが軍曹の声に振り返った。
『あれはどういたしましょう』
あれとは僕の事かな?
まあ確かに、こんなデカブツが屋敷にお邪魔したら、接客係の人にどう案内させればいいか悩むよね。
ティトゥの母親も泣き止んだのか、あ、それ私も聞きたかったの、みたいな顔をした。
のん気か!
ふむ、この人がティトゥパパの奥さんか。
何となくお似合いの夫婦って感じだな。
この場にいる全員がティトゥの返事に意識を向けている。
何だろう、僕まで緊張してきたな。
裏の森に連れて行って木につないどいて、なんて言われたらどうしよう。
『彼は私がその名をいただき契約に成功したドラゴン。ハヤテです』
おおっ!
使用人達がどよめいた。
あれ? 何だろう思ったのと違う返事がきたぞ。
契約って何? カーチャ、君知ってる?
ちなみにカーチャは、信じられないモノをみる目でティトゥを見ている。
『お嬢様! それってどういうことですか?!』
あ、そこ聞いてくれるんだ。僕も知りたかったから助かるよ。
ティトゥが母親からスッと離れて、使用人達を見回した。
空気を読んだ皆は固唾をのんで黙り込む。
夕日が彼女の姿を赤く染める。
スゴイな、映画のワンシーンみたいだ。
『私は彼に名を求め、彼は私に真名を告げることでそれに応えました。儀式による契約を終え、今や私と彼は一心同体となったのです!!』
『『『『『おおおおおおおっ!!』』』』』
何それ聞いてないよ!! 何ブッ込んでんだよティトゥ!!
次回「エピローグ マチェイ家の日常」