その19 夜間爆撃
ティトゥの投げた火壺は見事に命中。
パッと大きな火が燃え広がった。
甲板が炎に照らされる中、僕は火壺が下ろされた船の帆の近くで爆発したのを見て取った。
よしっ! これ以上ない場所にヒットした!
炎はあっという間にたたまれた帆に燃え移り、甲板上を赤々と照らした。
燃え広がる炎は、船から離れつつある海上の一艘の小舟を照らし出した。
シーロと彼に雇われた船員達が予定通り船から逃げ出したのだ。
トマス達もあの小舟に乗っているのだろう。
流石の僕でもこの暗さでは二人の姿までは確認出来なかった。
突然の火災に驚いたのか、男達が船内から飛び出して来た。
状況から見ても彼らが帝国の工作員である事は間違いない。
幸い帆も焼けたし、船員も逃げ出した。夜が明けても彼らがここから逃げ出す手段はない――とは思うけど、見えないだけでまだ焼けていない帆が残っているかもしれない。
ここはやはり最初の予定通り、念には念を入れて船を航行不能な状態にしておいた方が良いだろう。
船の持ち主には悪いけど、帝国の工作員に協力している以上は壊されても文句は言えないはずだ。
それでも文句が来たらその時は代官のオットーに丸投げで。
『ティトゥ。アンゼンバンド』
『締めてますわ。行って頂戴、ハヤテ』
僕は翼を翻すと旋回。一度高度を取ると甲板の明かりを目印に急降下。
爆撃進路を取った。
真っ黒な海面に赤々と灯る火は恰好の目印だ。
甲板の上では男達が何とか火を消そうと奔走しているようだが、そんな事をしている場合じゃないんだよ。
僕は抱えていた250kg爆弾を投下した。
地上用とはいえ、一年前には隣国ゾルタの大型船を爆破・撃沈した250kg爆弾だ。
命中さえすればこのサイズの木造船などひとたまりもない。
とはいえ僕は彼らを皆殺しにするのが目的ではない。
爆弾は一発だけ。それも舵の付いている船の後部に命中させる。
よし! 狙い通り!
僕は機首を引き起こすと海面スレスレを水平飛行へと移った。
ズドーン!
僕の背後で大きな爆発音が響いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
トマスとアネタはチェルヌィフ商人のシーロに連れられて小舟に乗り込んでいた。
それは昼間二人を運んで来た漁船だったのだが、あの時目隠しをされていた彼らがそれに気が付く事は無かった。
小さな小舟は座る場所もない程船員がいっぱいに詰め込まれていた。
これでよく沈まないものである。
波が来ただけで転覆してしまうのではないだろうか?
トマス達が待機する中、船から二人の男が現れるとこちらに駆け寄って来た。
「全員乗り込んでいるか?」
「はい。船長達で最後です」
船長と呼ばれた男が素早く小舟に乗り込むと、すぐさま小舟は船を離れた。
とはいえ明らかに乗員オーバーの状態だ。思うように速度は出ない。
ゆっくりとした速さで彼らは船から徐々に距離を開けていった。
「もっと速度は出せないのか? 帝国人達は我々が姿を消した事にすぐに気が付くぞ」
じりじりとしか進まない舟に誰かが焦れた声を上げた。
そんな男に、彼らの雇い主であるチェルヌィフ商人のシーロが答えた。
「問題無い。船はハヤテ様がどうにかしてくれる予定だ」
「どうにかって、一体どうやって――」
その時、空からヴーンといううなり声が聞こえて来た。
「何の音だ?」
誰かが呟いたその瞬間。彼らの上空を巨大な黒い影が凄い速度で飛び去って行った。
驚愕に目を見開く船員達。
しかし彼らがその影に関して何か言うよりも早く、船の甲板にパッと大きな炎が広がった。
「「「「「なっ!!」」」」」
炎は闇夜を背景に鮮やかに燃え上がった。
立て続けに起こったこれらの出来事に、彼らはすっかり混乱してしまった。
「何だあの炎は?!」
「燃え広がっているぞ。帆に火が付いたんじゃないか?!」
「あれは火壺か。ハヤテ様が船とすれ違いざまに投げ落としたんだな」
事前に作戦を聞かされていたシーロすらも混乱する中、唯一トマスだけが状況を正しく理解していた。
彼は先日の帝国との戦いで、ナカジマ家の秘密兵器”火壺”の存在を知っていたからである。
しかし、そんな彼もハヤテの持つ最大の武器の事は知らなかった。
海面と水平に飛び去ったハヤテだったが、大きく旋回して船の上空に戻って来た。
ハヤテの両翼端に灯された翼端灯が、船を中心にゆっくりと星空へと舞い上がって行く。
今も火災の続く船の上では、帝国人達が消火をしようと右往左往している。
何かが起こる予感に固唾をのんで見入る船員達。
ハヤテの翼の両端に灯された小さな光が急速に落下すると共に、空からヴーンという大きなうなり声が響いて来た。
ちなみにこの時ハヤテの翼端灯は点滅を繰り返している。
いわゆる「ト連送」と呼ばれるものだ。
意味は”全軍突撃セヨ”。
”トツゲキ”の頭文字”ト”のモールス符号の連送である。
もっともこの世界でハヤテの無駄なこだわりを理解出来る者は誰もいなかったが。
「またさっきの炎が来るのか?!」
いや、違う!
トマスは天から降って来る光を見詰めながら心の中で叫んだ。
明らかに聞こえて来るうなり声が先程よりも大きい。
おそらくさっきのハヤテはゆっくり水平に飛んで来たのだ。
だが、だったらなぜ今回ハヤテは急降下を仕掛けるのだろうか?
まさか?!
その思い付きはトマスに衝撃をもたらした。
みんなさっきの火壺がハヤテの攻撃だと思っている。
だが、そもそもそれが思い違いだとしたら?
ハヤテにとって火壺は暗闇に船を照らし出すためだけのもの。”攻撃を命中させるための目印を付けるだけの行為”だったとしたら?
あれが攻撃ですらないとしたら、次に来るのは一体何だというのだ?!
トマスが呼吸も忘れて目を見張る中、ハヤテは大きく機首を上げると恐ろしい速度で海面を飛び去って行った。
その直後――
ズド――ン!!
「「「「「うわあああああっ!!」」」」」
もの凄い轟音と共に船の後ろ半分が文字通り消し飛んだ。
衝撃に甲板の炎が吹き飛ばされて少しの間火勢は弱まったが、やがて点々と飛び散った個所から炎が先程までを上回る勢いで燃え広がった。
船に残った帝国人は先程の爆発で命を落とさなかったとしても、じきにこの火にのまれて焼死してしまう事だろう。
いや、その前に船が沈没してしまうのが先か。
船は舳先を立てながら後部からゆっくりと海中に沈みつつあった。
小舟の船員達は、自分達の見ている光景が信じられないのか、一言も発する事無く沈みゆく船を見守ることしか出来なかった。
トマスは爆発音に驚いて縋り付いたままのアネタの肩を抱いた。
帝国はドラゴンの――ハヤテ様の怒りに触れたのだ。
トマスはドラゴンの力の一端を目の当たりし、帝国との戦争の時以来久しく忘れていた戦慄に背筋を凍らせていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
こうして帝国の工作員達を乗せた船はほどなくして海の藻屑と化した。
生存者は誰もいなかった。
ハヤテは船を航行不可能な状態にするつもりが、やり過ぎてしまったのだ。
とはいえこれはハヤテを責めるわけにもいかないだろう。
ハヤテは狙い通りに船の舵がある後部に250kg爆弾を命中させていた。
ただ予想外に船が小さかったため(老朽化のせいもあったのかもしれないが)、船の半分近くを消し飛ばす威力になってしまったのだ。
さらに言えば、帝国人達は船の前半分で消火活動をしていたために、直接この爆発に巻き込まれた者はいなかった。
ただし、何人かは爆風で大きなケガを負っていた。
大男の命令で彼らはそんな負傷者に止めを刺した。
そして次にはなんと自ら命を絶ったのだ。
自分達が捕虜になる事で他国に情報が洩れるのを防ぐためである。
しかも仲間同士で互いの喉を突き合うというという徹底ぶりであった。
自殺だとキズが浅くなって、死にきれずに回収される者がでるかもしれない。
彼らはそんな僅かな可能性すらも排除したのである。
ティトゥから要請のあったオルドラーチェク家の船が現場にたどり着いたのは、二日後の事であった。
場所がほぼゾルタの海上だった事もあって調査は難航した。
船は海底に沈み、帝国人達の死体はとっくに海流に流されてどこにも見当たらなかった。
結局、彼らは何の成果もあげられずに手ぶらでボハーチェクの港町まで戻る事になる。
こうしてトマスとアネタ誘拐事件は後味の悪い幕引きとなるのであった。
次回「帝国軍非合法部隊」