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その18 夜間飛行

◇◇◇◇◇◇◇◇


 甲板の上は昼間とは打って変わって動く者の姿は何もない。

 しんと静まり返った夜の海は、まるで墨を流したように真っ黒で、時折船縁に当たって砕ける白波が月明かりを受けるのみであった。


 船は現在、帆が下げされ、錨を下ろして停泊中である。

 航海技術の未熟なこの世界では、外洋船ですら基本的には陸地を大きく離れて航行する事は無い。

 ましてやこの規模の船なら言うに及ばず。


 そのため夜はこうして適当な沖合いに停泊する事がほとんどだ。

 海流に流されてうっかり陸地に近付きすぎると、海底に隠された岩礁に乗り上げる危険があるからである。


 停泊の際、夜間航行している船と接触する危険があるため、通常、船には最低限の明かりが灯される。


 しかし、この船は全く明かりが灯されていなかった。


 何か後ろめたい存在、ないしは後ろめたい積み荷を運んでいる船である事は明白であった。


 そんな真っ暗な船内から、小さな明かりが外に漏れ出した。

 明かり――カンテラを手にしているのは胡散臭い笑みを浮かべた若い商人。

 チェルヌィフ商人のシーロである。


 シーロは甲板に出ると周囲を見渡し、背後に頷きかけた。

 カンテラの明かりにまだ幼い兄妹の姿が照らし出される。

 帝国の工作員に攫われて来た、トマスとアネタの兄妹である。


「月明かりがあるとはいえ足元にはお気を付けて。全員が揃い次第小舟が出ます。それまではしばしこちらでご辛抱を」

「分かった」


 聞き分けの良い兄妹にシーロは満足そうに頷いた。

 シーロは部下の男に二人をたくすと、目の前のマストにスルスルと登って行った。

 意外と軽い身のこなしにアネタが驚きに目を見張った。


 シーロはマストの見張り台に立つと、船の後方、陸のある方向にジッと目を凝らした。


「てか、もう見えてるじゃん! 気が早過ぎですよハヤテ様!」


 シーロの見つめる視線の先、満天の星の瞬きの中、二つの小さな星が等間隔を保ったままゆっくりと移動していた。

 普通の星ではあり得ない動きである。

 それはハヤテの翼の両端部に灯された翼端灯の光であった。


 シーロは慌てて腰にぶら下げていたカンテラを台の上に置くと、上着を脱いでその上に被せた。


「急げ急げ・・・」


 シーロはブツブツと呟きながら、せわしなく上着をカンテラの前で上げ下げする。

 トマス兄妹はそんな彼の奇行を不思議そうに見上げるのだった。




 ブリッジでは船長が困った顔でチラチラと客人に視線を送っていた。

 見るからに剣呑な気配を漂わせる大男だ。

 彼はさっきからずっとこうしてイスに腰掛けて目をつぶっていた。

 

 大男は仮眠を取っているのだ。


 帝国の工作員として鍛えられた彼は、こうして浅い仮眠を取るだけで何日でも任務を遂行する事が出来た。

 船長は大男が船室に寝に戻るのを待っているのだが、彼らを信用していない大男は目的地に到着するまでこの部屋を動くつもりは無かった。


「船長――うっ」


 ブリッジに駆け込んだ船員が、大男に鋭い視線を送られて言葉を詰まらせた。

 船長は慌てて船員に声を掛けた。


「どうした?」

「あ、いえ、その・・・少し問題が起きまして」


 明らかに大男の方を気にしながら何か言い出し辛そうにする船員。

 その時、大男は船のマストの上にチラチラと明かりが瞬いている事に気が付いた。

 大男の視線に気が付き、真っ青になる船員。

 彼は明らかにうろたえて慌てて不明瞭な言葉を紡いだ。


「あの。それがその・・・ ええと・・・」


 大男が立ち上がろうとしたその矢先、機先を制するように船長が立ち上がった。


「お客人はお気になさらず。大方酔った船員が馬鹿をしているのでしょう。航海中は飲むなと命じているのですが、どこからかくすねた酒を隠し持っていて酔っぱらう者が必ずいるのですよ」


 船長は男に「少し見て来ます」と告げると、船員を連れてブリッジを出て行った。


 一人になった大男はしばらくの間身じろぎもせずに座っていたが、立ち上がると隣の部屋で仮眠を取っている部下を呼びつけた。


「マストで船員が何かしている。一応警戒を怠らないように仲間に連絡を入れろ」

「はっ!」


 大男が連絡に走った部下の男から「船員の姿が消えている」という連絡を受けるのは少し後の事である。

 さらにその直後、頭上からヴーンという大きなうなり声が降りて来ると、彼らは船員を気にするどころではなくなってしまうのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 星明かりの空の下、僕はティトゥを乗せて海岸線を北上していた。

 空が晴れていて良かったよ。初の夜間飛行が闇夜の計器飛行なんてゾッとしないからね。


 計器の数値のみを頼りに飛ぶ計器飛行は非常に危険な方法だ。

 日本の航空法でも、”計器のみに依存した飛行をしてはならない”とされているほどである。


 太平洋戦争当時に搭乗員だった人の書いた本の中で、「夜間飛行でハッと気が付けば危うく山に激突する所だった。九死に一生を得た」という場面を読んだ覚えがある。

 飛行中の機体には常に様々な方向に重力加速度――いわゆる”G”がかかる。このGによって上下の感覚が狂ってしまうのだそうだ。


 重力とGは全くの別物だろうって?


 いやいや、人間は多くの場面で、他の感覚から得た情報を視界から得た情報で補正しているものなのだ。

 例えば目を閉じて真っ直ぐに立ってみれば、視覚に頼らない感覚がどれだけ頼りないかが分かるだろう。

 産まれてこの方、ずっと慣れ親しんだ自分の体ですらそうなのだ。

 暗闇で視界が遮られた中で飛行機を真っ直ぐに飛ばすのは、ベテランパイロットにだって大変困難な事が分かるだろう。


『ハヤテに乗って空の上を飛んでいても、星の大きさは地上で見ている時とさほど変わらないのですわね』


 ティトゥが星空を見上げて変な感心の仕方をしている。


 この世界の天体がどうなっているのかは知らないけど、星――恒星って光の速度で何年もかかる距離にあるからね。

 確か元の世界の話だと、地球から一番近い恒星でも四光年ちょっと、光の速度で飛んでも四年以上かかる距離なんだっけ?

 そんな星々のスケール感覚に比べれば、たかだか千メートルくらい星に近付こうがどうしようが、誤差、というか全くの無意味だよね。



 こんな風にのんびりと飛んでいたのは僅かな時間だった。


 僕は海の上に小さな明かりが灯っているのに気が付いた。

 丁度シーロの情報にあった辺りだ。


『ティトゥ。アカリ』

『えっ? どこですの?』


 まだティトゥには見えていないようだ。僕は機首を巡らせると明かりに向かって進路を取った。



『光が瞬いていますわ。きっとあれで間違いありませんわね』


 真っ黒な海の上、ポツンと小さな光がさっきからチラチラと瞬いている。

 短く長く。また短く。


 トントンツートントン。トントントン。トントンツートントン。トントントン・・・


 僕がシーロに指定した符丁通りだ。間違いない。

 ちなみにこれは真珠湾攻撃で使われた有名なモールス符号、”トラトラトラ”だ。

 意味は「ワレ奇襲ニ成功セリ」。


 どうやらシーロは無事にトマス達を助け出せたようだ。

 ティトゥの顔にパッと笑みが広がった。

 カルーラの前では強がってみせていたけど、やっぱりティトゥも不安だったのだ。


 僕はこちらも気が付いた事をシーロに伝えるために、ずっと灯したままでいた翼端灯を同じ符丁で点滅させた。


 トラトラトラ。


 その途端、海上の光点の瞬きが止まった。

 シーロに僕の意思が伝わったのだ。

 この後シーロはその場に明かりを放置、二人を連れて雇われた船員達と一緒に小舟で脱出する手はずになっている。


『ティトゥ』

『りょーかい、ですわ』


 ティトゥは座席の下から、昼間のうちに積み込んでいた小さな壺を取り出した。

 帝国軍との戦いでも大活躍したナカジマ家の秘密兵器、”火壺”である。

 ティトゥは慎重に蜜蝋を破ると、中の布を引っ張り出した。


 狭い操縦席にガソリンの匂いが漂った。


『さあ、行って頂戴! ハヤテ!』

「了解!」


 僕は慎重に計器の数字を見ながらダイブ。

 海面から100メートル・・・いや、もう少し下げよう。50メートル。

 そこで僕は水平飛行へと移った。

 速度もギリギリまで落として、命中精度を上げる。

 速度を落としたといっても、まだまだ時速200km近くは出ている。

 流石にこれ以上落とすと失速してしまいそうだ。


 やっぱりベアータを連れて来ておくべきだっただろうか。

 僕は火壺攻撃の名手を村に置いて来た事を少しだけ後悔した。


 とはいえ火壺はいくつか予備を持って来ている。

 一度で失敗しても二度三度とチャレンジすればいいだけだ。


 それに料理人のベアータには、二人が無事にコノ村に戻って来た時に美味しい料理でもてなす、という大事な役目がある。

 みんなが自分に出来る最高の仕事をして二人を取り戻す。

 それは最初に決めた事だ。


 僕は弱気の虫を振り払って自分の仕事――飛行に専念した。


 真っ暗な海面に水平線を背景にしてポツンと浮かぶシルエット。

 二人を攫った船が僕の視界に入って来た。


 マズイ! 思っていたよりも船のマストが高い。

 進路を横にずらすか?

 いや。低高度でここまで速度を落としている最中にうかつな操作をすれば、失速速度を超えて墜落の危険がある。

 それに、いくらやり直しが出来るとはいえ、あまりモタモタしていると、二人が逃げ出した事が帝国の工作員に気付かれてしまうかもしれない。


 この高さならギリギリの所でマストを掠める。はずだ。


 僕はグッと覚悟を決めると、みるみる近付いて来る船を睨み付けた。


 ティトゥは真剣な表情でタイミングを計っている。


『今ですわ!』


 ティトゥは火壺に火を付けた。

 操縦席にパッと大きな火が上がった。

 僕はすかさず風防を開ける。狙いすまして放り投げるティトゥ。


 その直後、僕は船のマストの真上を通過した。

 思っていたより高さには余裕があった。どうやら見た目で受ける印象よりも小さな船だったらしい。

 暗闇のせいで錯覚を起こしていたのだ。


 ティトゥが投げ捨てた火壺はマストの横を掠めて――船の甲板にヒット。


 闇夜にパッと大きな火が燃え広がった。

次回「夜間爆撃」

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― 新着の感想 ―
[良い点] スピードを落としたとはいえ時速200キロ出してる飛行機から落下物を落として船に当てるとかティトウお嬢様凄すぎませんかね...ベアータに負けてるのも悔しいので練習でもしたのかな?
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