その16 囚われの兄妹
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夕焼けが空を覆い、水面を真っ赤に染めている。
海岸から一艘の漁船が海原に漕ぎ出した。
乗っているのは二人の漁師
もしこの場を漁師が見ていれば、漁船の喫水線が微妙に深い事に違和感を感じたかもしれない。
それもそのはず。操船しているのは漁師に扮した二人の男だが、中央に積まれたムシロの下には三人の男とまだ幼い貴族の兄妹が隠れていたのである。
貴族の兄妹はトマスとアネタ。
二人は手足を縛られて目隠しと猿ぐつわを噛まされた上で、男達に上から押さえつけられていた。
やがて漁船が岬を回り込むと、停泊中の古びた小型船が姿を現した。
喫水線も浅く、陸地の見える距離を航行するタイプの船だ。
この大陸でも良く見かけられるありふれた目立たない船、とも言えた。
漁船が海岸から見えない位置になった事を確認すると、男達はムシロを跳ね除けて外の様子を確認した。
男達が体の上から離れると、トマスは体をよじって妹の側ににじり寄る。
目隠しをされているといっても、自分達が小舟に乗せられてどこかに運ばれているという事くらいは分かる。
アネタは体を震わせながら懸命に恐怖心に耐えている様だ。
トマスは妹の体温を感じながら、もし自分一人ならこの恐怖に耐えられなかったかもしれない、などと考えていた。
やがて小舟にゴツンと振動が伝わった。どうやら何かにぶつかったようだ。
トマスは再び男達に担ぎ上げられながらも、少しでも役に立つ情報が手に入らないか懸命に耳を澄ましていた。
横づけした漁船に船から縄梯子が下ろされた。
男達はトマス兄妹を担ぎ上げると、危なげなく梯子を上っていった。
船の上には鋭い目付きの大男が若い商人を連れて彼らを待っていた。
「追手は?」
「ありません。街道は見張られていたようですが、俺達の通った裏街道には怪しいヤツはいなかった。――そいつの情報通りです」
男は大男の隣に立つ商人を目で示した。
大男は部下の報告を受けて大きく頷いた。
「よし。早速そこの二人のガキを尋問――」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
大男の横にいた商人風の若い男が慌てて口を挟んだ。
「もう日が落ちます。船を出すつもりなら少しでも早い方が良い」
海岸の浅瀬には隠れた岩礁が眠っている事が多々ある。
いくらこの船が喫水線の浅い小型船とはいえ、そんな場所を闇夜に航行するのは危険すぎる。
船を出すならまだ日が残っている今のうち。商人の言葉は理屈が通っていた。
自分達の会話に横から口を挟まれて、大男の部下の目が不快そうに細められた。
だが男が何か言う前に、大男が手を上げて遮った。
男は感情のこもらない目でじっと若い商人を見つめた。
「逃走ルートの情報は正しかった。そしてこの船を用意したのもコイツだ。今船を出さねば危険だと言うのならそうなのだろう。おい、二人の尋問は後にする。ひとまず船室に閉じ込めておけ」
出航するとなれば大男も二人にかまけてはいられない。
なにせ目的地は彼しか知らないし、大男はこの船の船員を信用している訳では無いからだ。
――我々をはめるつもりならば覚悟する事だ。
大男の目はそう語っていた。
若い商人は大男の冷たい視線に冷や汗を浮かべながら、芝居がかった慇懃な仕草で頭を下げた。
「お聞き届け頂きありがとうございます。もちろん私も商人ですから、頂く物さえ頂ければ情報でも船でもご用意いたしますよ」
そう言って若い商人――チェルヌィフ商人のシーロはいつもの胡散臭い笑みを浮かべた。
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『シーロは現在帝国の工作員と直接取引をしておるようです』
ユリウス元宰相はそう言って事情を簡単に説明してくれた。
なんでも帝国の工作員の手引きをしたモグリのチェルヌィフ商人がいたらしい。
それを知ったチェルヌィフ商人のネットワークは、この国での自分達の立場をも危うくしかねないその男を秘密裏に粛清した。おっかないね。
シーロはチェルヌィフ商人ネットワークから要請を受けて、その仕事に一枚噛んでいたんだそうだ。
ていうか何をやってるんだよシーロは。
僕は呆れて物も言えなかった。
この時期に帝国の工作員が国内に入った事に違和感を抱いたユリウス元宰相は、シーロに追加の情報を集めるように要請した。
で、ここから何がどうなったのかは分からないけど、シーロは粛清された商人の後釜にうまうまと居座って、今は帝国の工作員の手引きをしているんだそうだ。
『ワシが命じたわけではありませんので、念のため。』
多分シーロは、連中の目的を掴むためには自分の監視下で彼らを泳がせる方が良い、と判断したんだろうね。
なんとも危険な方法を思い付くもんだ。
でも今日、事態は彼の予想を超えて急展開した。
帝国の工作員は、カルーラの弟(と勘違いしたトマス)が僅かな護衛を連れて人混みに出かけると知って、急遽誘拐作戦を決行する事にしたのだ。
シーロはこの誘拐作戦を手伝いをしながら、何とか隙を見つけてユリウス元宰相に報告を入れたんだそうだ。
『ヤツらは船でこの国を離れるつもりのようです』
カルーラの表情がサッと険しくなった。
この世界では船は最速の移動手段だ。
そして帝国の海域に入ったらこちらからはもう手が出せない。
二人を取り戻すなら船に乗せられる前しかない。そう思ったのだろう。
だが果たしてそうだろうか?
今から全力で帝国の工作員を追っても、彼らを見付けられるかどうかは微妙だ。
仮に見付けたとしても、トマス達を人質にでもされれば僕達には手が出せない。
しかし、船に乗せられた後なら別だ。
船には僕達の協力者――シーロが乗っている。
彼が二人を小舟か何かで逃がした後でなら、工作員達を一網打尽に出来る。
それに工作員達も一旦船が沖に出てしまえば油断するだろう。
そこが狙い目だ。
『ハヤテ』
ティトゥが僕を見上げた。
彼女も僕と同じことを考えたようだ。
『ヨロシクッテヨ』
僕達は大急ぎで作戦を立てた。
ここから先は時間との戦いだ。
ユリウス元宰相は呆れながら、カルーラはポカンと口を開けて僕達を見つめている。
『そんな事本当に出来るの?』
カルーラの疑問は最もだ。確かにチャンスは少ない。タイミング的にもシビアかもしれない。
『いや、そんな話じゃなくて』
『ハヤテなら出来ますわ』
おおう・・・ 相変わらずティトゥはなんでそんなに僕を信用してくれるんだろうね。
僕自身はこんなにも不安だというのに。
まあ今回も僕は、僕を信じるティトゥを信じる事にするよ。
『出来ましたぞ』
ユリウス元宰相はシーロへの指令書をお願いしていた。
どうやらそれが書けたようだ。
『チャンスは今夜限り。明日になれば船はどこに向かうかシーロにも分からんそうです』
目的地も分からないのか。
どうやらシーロは相手にそれほど信用されてはいないらしい。
襲撃は今夜一度切り。
まさかこのタイミングで初の夜間飛行をするはめになるとは思わなかったけど・・・
『ハヤテ』
ティトゥが不安そうに僕を見上げている。
彼女は僕が夜に飛びたがらないのを知っているからだ。
・・・以前から考えていた対策はある。きっと大丈夫なはずだ。
『カーチャ。オネガイ』
『何でしょうか、ハヤテ様』
僕はカーチャに頼んで、大至急夜間飛行のための準備を整えて貰う事にした。
次回「救出作戦」