その15 小叡智《エル・バレク》
ポルペツカの町に買い物に行ったトマスとアネタが謎の男達に攫われた。
その報告が届いたのはティトゥ達がお茶の時間をしている最中だった。
その時、なかなか戻ってこない二人に――というよりはトマスに、カルーラは明らかに機嫌を損ねていた。
『一緒にお茶の時間を過ごすって約束したのに。こんな事なら町まで付いて行けばよかった』
カルーラはブツブツと文句をこぼしながら、僕の翼の下でメイド少女カーチャが淹れたお茶を飲んでいる。
ティトゥ達は困った顔をしながらも、君子危うきに近寄らず。微妙に彼女から距離を置いて休憩時間を過ごしていた。
約束とか言うなら、カルーラだって僕との約束を絶賛ぶっちぎり中だからね。
本来君は今頃ボハーチェクに向かっているはずだから。
そう。カルーラはトマスと一緒に過ごしたいがためにここに残っているのだ。
なんでも彼女の弟はトマスとそっくりなんだそうだ。
そりゃあまた凄い偶然もあったもんだね。
最近カルーラの弟は、彼女が構おうとするとやんわり避けるようになっているという。
うん、それって仕方が無いよね。年頃の男の子ってそういうものだから。
で、ずっとそれが不満だった彼女は、弟によく似ていて、大人しく構い倒されてくれるトマスに夢中になっているんだそうな。
・・・トマスも気の毒に。
弟に似ているとか言われても、トマスにとってはカルーラは赤の他人だし。
カルーラの弟がするようには邪険には扱えないよね。
それともカルーラは美人だから、トマス的にはまんざらでもなかったりするのかな?
う~ん。背伸びしたい年頃に女性から子供扱いされるんだから、あまり嬉しくはないか。やっぱり。
とまあそんなわけで、カルーラは現在片思い?をこじらせて出発が遅れているのだった。なんだかなあ・・・
ポルペツカの町でトマスとアネタが謎の男達に攫われたという情報がもたらされたのは、丁度そんな時だった。
『どうしよう・・・ きっと私のせいだ』
カルーラの顔色は真っ青になって、今にも倒れそうだ。
ティトゥもどうして良いか分からずに立ち尽くしている。
一人冷静なユリウス元宰相が代官のオットーに振り返った。
『オットー。各開発村の騎士団に連絡して街道を見張らせろ。誰かネライ領に走らせて協力を要請するのだ』
『はっ、はい! おい! 誰かいないか?!』
ユリウス元宰相の指示を受けて、慌ててオットーが部下を連れてテントを飛び出して行った。
ティトゥの視線を受けてユリウス元宰相は説明をした。
『相手が何者であれ、おそらく最終的に二人の身柄はゾルタへと運ばれるでしょう。その際に使われる道は二つ。街道を東に向かって国境の砦を抜けて隣国に入るか、南のネライ領を抜けてボハーチェクの港町から船で隣国に向かうか』
なるほど。確かにユリウス元宰相の言う通りかもしれない。
トマスとアネタをどう利用するつもりなのかは分からないけど、二人がゾルタの貴族である以上、この誘拐の黒幕は隣国の誰かと考えた方が自然だろう。
逆に言えばそれ以外の誰が二人に利用価値を見出すのか、という話だ。
オルサーク男爵家はこの国で言えばティトゥの実家のマチェイ家みたいなものだ。
小者すぎて(失礼)特別な利用価値があるとはちょっと考えられない。
僕が思ったような事をティトゥも思ったのか、彼女の表情に理解の色が広がった。
『ワシが思うに――むっ。失礼。少し席を外しますぞ』
ユリウス元宰相はテントの外に誰かを見付けると席を離れた。
そのままテントの外に出て行ったという事は、何か急ぎの連絡でもあったんだろうか?
こうしてテントの中はティトゥとカルーラの二人が残される事になった。
カルーラはさっきからずっと力無くうなだれている。
ティトゥはそんなカルーラを見ていられなくなったのか、おずおずと声を掛けた。
『大丈夫ですわ。きっと二人はすぐに見つかりますわ』
カルーラは、あなたは分かっていない、と小さくかぶりを振った。
『・・・トマスとアネタはもう二度と戻って来ない。相手は多分帝国の工作員。きっと二人共殺されてしまう。もしかしたらもう既に・・・』
『帝国? どういう事ですの? カズダ様は一体何を知っているんですの?』
帝国に二人が殺されると聞かされて、ティトゥが驚きの声を上げた。
カルーラの言葉はただの悲観論とは思えない、事情を知る者のみが放つ独特の重みを感じさせた。
そもそもこの話のどこに帝国が絡んで来るというのだろうか。
先日の帝国との戦争で、トマスのオルサーク家が帝国軍と戦ったからその仕返しとか?
それなら手間をかけてわざわざ二人を攫う理由が無い。いきなり殺してしまえば済むだけの話だ。
『トマスはきっと勘違いされた。全部私のせい』
『・・・事情を話して頂けませんこと?』
カルーラは少しためらった後、ポツリポツリと話し始めた。
その内容はどう考えても、チェルヌィフ王朝にとっては決して外に漏らしてはいけないものだったんじゃないだろうか?
しかし、カルーラは僕達に求められるがまま、隠すことなく打ち明けてくれた。
あるいはそれは、彼女にとっては懺悔のような行為だったのかもしれない。
カルーラと彼女の弟キルリアは、小叡智。
小叡智とは叡智の苔の言葉を伝える巫女のような役割なんだそうだ。
チェルヌィフ王朝ではバレク・バケシュは神にも近い叡智を持つとされているらしい。
・・・神にも近い叡智ね。随分と盛られたもんだ。
同じ転生者としてはなんだかむず痒くなるけど、ひとまずそこは置いておこう。
なんでもエル・バレクとなった者には、バレク・バケシュから”ギフト”と呼ばれる異能が送られるんだそうだ。
カルーラの喋る日本語がそれにあたるらしい。
何それ、まるで魔法じゃん。
この世界って魔法が存在しないんじゃなかったわけ?
なぜバレク・バケシュがそんな魔法みたいな事が出来るのかは分からないけど、そこも言い出せば話が先に進まなくなる。ここはそういうものだと割り切って話を続ける事にしよう。
で、彼女達の前にも当然エル・バレクに選ばれた者達はいた。
――しかし先代のエル・バレクは、バレク・バケシュから知識を授かると、なんと国から逃げ出してしまったんだそうだ。
王朝にとっても前代未聞の大不祥事だったらしい。
王家は蜂の巣をつついたような上を下への大騒ぎとなった。
『彼は天才だったけど野心家でもあった。一生聖域に縛られる生き方が我慢出来なかった』
慌てた王家は八方手を尽くして彼を追った。
メンツの問題もあるだろうが、それよりも彼の持つエル・バレクとしての知識が外に流出する事の方を恐れたのだろう。
そんな追われた彼が逃げ込んだ先は、なんと敵国であるミュッリュニエミ帝国だった。
・・・いや、ある意味当然なのか?
大陸の強国であるチェルヌィフの王家から追われる者が逃げ込める先なんて、そうそうありはしないだろうし。
帝国の宰相は彼の持つ知識に目を付けて、秘密裏に王城の奥深くに匿った。
そこで彼はバレク・バケシュから授かった知識を形にする事を要求される事になる。
とはいえ彼の得た知識も完全な物ではなく、その多くは愚にもつかないガラクタだった。
まあ確かに、知識があってもそれを実際に形に出来るかどうかは別だよね。
こうして彼が生み出した一部の成功例――先進的な品々は、諸外国に輸出されて帝国の国庫を大いに潤したのであった。
その彼が作り出した物の中には、先日帝国との戦争で僕が破壊したドラゴンアーマー、”ジュラルミン”もあった。
そう。先代のエル・バレクである彼こそが、噂の帝国の天才錬金術師その人だったのだ。
僕はずっと帝国の天才錬金術師は転生者じゃないかと疑っていたけど、まさかバレク・バケシュの知識を借りたこっちの世界の人間だったとはね。
こんな形で正体を知る事になるとは思わなかったよ。
彼は外の世界で自分の得た知識を生かす事が出来て幸せだったんだろうか?
いや、違うな。
自分の才能に溺れて聖域という檻から逃げ出した彼は、結局、帝国という牢獄の中に飛び込んでしまったのだ。
自由を奪われた中、知識を搾り取るだけ搾り取られる生活に彼は絶望してしまったに違いない。
結局、自殺という形で命を終える事になったそうだ。
帝国の天才錬金術師としてバレク・バケシュから得た知識を曲がりなりにも形にした事からも、彼が天才であった事は間違いない。
ただし、彼には持って生まれた才能はあっても、エル・バレクとして若くして社会から切り離された世間知らずのボンボンだったのだ。
それが彼の不幸だったのだろう。
とにかく。天才錬金術師の自殺によって帝国は、たまたま手に入れた金の卵を産むガチョウを失ってしまった。
彼の死は帝国にどの程度のダメージを与えたのだろうか。
大した痛手ではなかったんだろうな。元々帝国は強国だった訳だし。
しかし今年になってその事情がガラリと変わってしまう。
帝国が満を持して行った南征が、僕達のせいで大失敗したからである。
帝国は多くの将兵と物資を失い、その軍事力を大きく落としてしまった。
この敗戦のショックから帝国皇帝は方針を転換。今後は軍縮路線に改め――たりはしなかった。
皇帝はむしろ失った戦力の補強を命じたようだ。
その一連の流れで、帝国はかつての天才錬金術師の存在を思い出したのである。
ひょっとしたら、彼の作ったドラゴンアーマーが一定の戦果を上げた事が、彼への再評価につながったのかもしれない。
先代のエル・バレクは偶然にも帝国に転がり込んで来た。
そして王朝の聖域には既に今代のエル・バレク――カルーラ姉弟が誕生している。
帝国はカルーラ姉弟に狙いを定めた。らしい。
王朝の諜者はそういう情報を掴んだんだそうだ。
カルーラは、この帝国の動きが今回の誘拐騒動に繋がったのではないか、と推測しているのだ。
カルーラの長い話は終わった。
『きっとどこかで私がトマスから姉さんと呼ばれているのを聞いて、トマスを私の弟だと勘違いしたんだと思う』
『そんな・・・ 帝国から狙われているのが分かっていたなら、どうしてご自身でこの国に来るなんて事をしたんですの?』
『それが叡智の苔様のご意思だったから』
バレク・バケシュがそう望んだから。そして彼女達にとって僕という存在はバレク・バケシュに近いと思われたから。
カルーラは危険を承知の上でこの国に来るしかなかったのだ。
なる程。彼女が影武者まで仕立てて極秘裏にコノ村にやって来たのは、そういう理由があったからなんだな。
そしてもし、攫われたトマスがカルーラの弟ではない――エル・バレクでない事が連中にバレたら、その途端、価値を失った二人は連中に口封じに殺されてしまうだろう。
『私が調子にのってしまったからトマスが狙われた。私が原因』
『そんな・・・』
目に後悔の涙を浮かべるカルーラ。
カルーラが悪いんじゃない。帝国が悪いんだ。
そんな言葉は今の彼女には何の慰めにもならないだろう。
僕とティトゥはカルーラに何と言葉を掛ければ良いか分からなかった。
その時、ユリウス元宰相がテントに戻って来た。
彼は少女達に漂う悲壮な雰囲気に少し戸惑った様子だった。しかし、至急の用件なのか、直ぐに気持ちを切り替えるとティトゥに報告をした。
『どうやらお二人を攫った相手は帝国の工作員だったようです。連中に協力しているチェルヌィフ商人のシーロからたった今連絡が入りました』
・・・はいっ?
連中に協力しているって、シーロ一体何をやってんの?!
次回「囚われの兄妹」