その13 勘違い
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カルーラがハヤテのテントから外に出ると、丁度メイド少女カーチャがお茶の道具を持って家に入る所だった。
「ナカジマ様は中にいる?」
「あっ! カズダ様!」
カーチャは、しまった! という表情を浮かべた。
カルーラはカーチャが、お茶菓子の”銘菓ナカジマ饅頭”を背後に隠したのを鋭く見逃さなかった。
「あ、あの。只今来客中でして。ご用でしたら私が呼んでまいりますから」
「私の用事はすぐに済む。気にしなくていい」
一緒に入ってお茶菓子を狙う気満々のカルーラを、何とか押しとどめようとするカーチャ。
この微妙な攻防が薄い壁の向こうに聞こえたのだろう。部屋の中からひょっこりとティトゥが顔を出した。
「何をしているんですのカーチャ。入って頂けばよろしいのですわ」
してやったりの笑みを浮かべるカルーラ。
そしてカーチャは、追加のお饅頭を用意してもらわなきゃ、と、小さく肩を落とすのだった。
ホクホク顔のカルーラは部屋に入ると――愕然とした表情を浮かべて立ち尽くした。
「? カズダ様、どうされたのですか?」
カルーラの視線の先には、幼い兄妹が並んでイスに座っていた。
先程コノ村に到着したばかりの、隣国オルサーク男爵家のトマスとアネタの兄妹である。
「あの、ナカジマ様、そちらの方は?」
「・・・似ている」
「えっ?」
カルーラはスルスルとトマスに近付くとジッと彼の顔を覗き込んだ。
慌てるティトゥとカーチャ。
「あ・・・あの、カズダ様?」
「私はカルーラ・カズダ。チェルヌィフ王朝のカズダの娘。あなたの名前は?」
「カズダ様ですか。私は隣国のオルサーク男爵家のトマス。こちらは妹のアネタです」
「は、初めましてカズダ様。アネタと申します」
アネタはカルーラの異様な迫力に怯えつつも、気丈に挨拶を返した。
「そう。トマス。あなたは私の弟によく似ている」
「そうですか。光栄です」
トマスの微笑みにカルーラは陥落してしまった。
カルーラはカーチャに振り返ると、トマスの横を指差した。
「私もここでお茶を頂きたい。用意して」
「は、はい!」
ポカンと口を開けて呆然としていたカーチャだったが、カルーラから声を掛けられて慌ててお茶の準備を始めるのだった。
「そう。トマスは”オルサークの竜軍師”と呼ばれているの。立派だわ」
「ハイ! それでお見合いの話がこのテーブル一杯くらい届いているの!」
「トマスはモテるのね。凄いわ」
「あ・・・あの、カズダ様。私の話はこれくらいでいいのでは・・・」
トマスを間に挟んで、アネタとカルーラはトマスの話題に花を咲かせている。
カルーラがトマスの事を聞きたがったためだ。
最初は兄にグイグイ迫るカルーラに少し怯えていたアネタだったが、大好きな兄の自慢話を続けるうちに今ではすっかり彼女に打ち解けていた。
二人の褒め殺しにどうにも居心地の悪い思いをするトマス。
そんなトマスに向かって、カルーラは小さくかぶりを振った。
「カルーラ姉さんと呼んで欲しい」
「ええっ?! いや、そういう訳には――」
「カルーラ・姉・さ・ん」
「か、カルーラ姉さん」
カルーラから真顔で見つめられ、やむなく消え入りそうな小声で返事をするトマス。
羞恥心から顔が真っ赤になっている。
そんな恥じらいの姿がこれまたツボに入ったのか、それとも弟によく似たトマスから「姉さん」と呼ばれた事が余程嬉しかったのか、カルーラは感極まってトマスの頭を抱えると、よしよしと撫でくりまわした。
アネタはそんな二人を見ているうちに、なぜか自分も嬉しくなってトマスに抱き着いた。
トマス、大モテモテである。
そんな三人をポカンと口を開けて見つめるティトゥとカーチャ。
「トマス。これ凄く美味しいから食べて」
「じ、自分で食べられますから」
「トマス兄様、美味しいよ。一緒に食べよう」
カルーラはお饅頭を手に取ると、トマスにあーんして食べさせようとしている。
アネタもニコニコ顔でお饅頭を頬張った。
「うん! やっぱりベアータの作るお菓子は凄く美味しい!」
「ほら、トマスも口を開けて」
「食べます、食べますから! あーん」
仕方なくお饅頭を食べさせてもらうトマス。
お饅頭を口にした途端、トマスは、「確かにベアータの作るお菓子は美味い」と、思わず心からの笑みを浮かべた。
そんなトマスの嬉しそうな顔を見てカルーラも嬉しくなる。
彼女の弟のキルリアは、最近大人びて来たのか、こうして構うと困った顔でやんわりと拒絶する事が増えていたのだ。
今日は久しぶりに心ゆくまで弟(によく似た少年)を構い倒す事が出来て、カルーラは心から満足していた。
家の外に出たカルーラがハヤテを見て、ハッとしたのはこういう理由があったからなのである。
つまり彼女は弟(によく似た少年)に夢中になって、ティトゥに暇を告げに行った事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
翌朝。トマスとアネタは馬車で出かけようとしていた。
「本当に私の部下を護衛に付けなくても大丈夫?」
「いえ、ウチの騎士団員もいますから」
トマスはいつまでも自分の手を離そうとしないカルーラに困った顔をしている。
トマス達兄妹は、当分の間コノ村で世話になる事が決まっている。
そのため、生活に必要な道具を調達するためにポルペツカの町に買い物に行く事にしたのである。
最近ではポルペツカの町にもボハーチェクの商人が多数出入りして、中には店を構える者も出始めている。
目下のポルペツカでは、それら新興の商会と元々ポルペツカに店を出していた商会との間の軋轢が問題となりつつあった。
人が増えればそれに比例して問題事も増える。ティトゥ達の気が休まる日は中々来そうになかった。
「わざわざこちらから出向かなくてもよろしいのですわ」
ティトゥの言葉も最もだ。普通、貴族家というのは使用人を店にやって、商人を屋敷に呼んで買い物をするものなのだ。
トマス達のように自分達から直接店に出向く事は無い。
それはトマス達の実家のオルサーク家でも変わらなかった。
「いえ、一度ポルペツカの町も見てみたいと思っていたので」
「だったら私も一緒に――」
「カルーラ姉さんはご自分の仕事があるでしょう?」
トマスはやんわりとカルーラの同行を拒否した。
失礼になるので口にこそ出さないものの、昨日から構い倒されてトマスも疲れを感じていたのだ。
「カルーラお姉さんは自分のお仕事をして下さい。トマス兄様には私が付いているから大丈夫」
「おいアネタ」
「・・・分かった。でもお茶の時間は一緒に過ごそう」
幼い兄妹にこうまで気を使われては、カルーラ姉さんとしては強くは言えなかった。
三人の様子を見ながらティトゥは(そういえばカズダ様は使節団の仕事はいいのかしら?)と頭に疑問符を浮かべていた。
もちろん良くはない。良くはないが、カルーラは弟よりも弟らしい?トマスと一緒に過ごせるチャンスをみすみす逃すつもりはなかった。
「ではナカジマ様、カルーラ姉さん、行って参ります」
「行って参ります」
二人は小さく頷くと「ああっ・・・」カルーラの悲しい声を背に受けながら馬車に乗り込んだ。
やがて馬車が村の外に消えると、カルーラは名残惜しそうにしながらもハヤテのテントに足を向けた。
彼女は昨夜「明日こそは村を出発する」とハヤテと約束していたが、もう一日だけ残っていてもいいか交渉する事にしたのだ。
今日一日いや、出来ればもう二日。いやいや三日。
カルーラの欲望は尽きる事はなかった。
ティトゥ達も一度家に戻って今日の分の仕事を手に持つと、ハヤテのテントに向かった。
こうしてコノ村の入り口は、ナカジマ騎士団を残して誰もいなくなった。
その騎士団員が目を離した隙に、村の外の岩陰から一人の男が素早く立ち上がった。
男の隠れていた岩は丁度村の入り口が見渡せる場所にあった。
そう。男はこの場所からコノ村を見張っていたのである。
ナカジマ騎士団に不信感すら抱かれていない所を見ると、どうやらかなり優れた隠行術の持ち主のようだ。
その鋭い視線からもただの村人ではない事が分かる。
もしここにカルーラの護衛がいたら、先日見かけた例の怪しい人影を思い出していたかもしれない。
男は急ぎ足でこの場を離れながら小さく呟いた。
「まさか姉だけではなく、本命の弟の方までこの国にやって来ていたとはな。王朝に潜入している部隊には悪いが、コイツは思わぬ大手柄が転がり込んで来たぜ」
鍛え抜かれた男の耳には先程のカルーラ達の会話が届いていたのである。
どうやら彼は会話の内容からトマスの事をカルーラの弟――キルリアだと勘違いしてしまったらしい。
男は離れた場所に繋いであった馬に跨ると、いずこかへと走り去って行った。
次回「誘拐」