その12 オルサーク家の兄妹
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ナカジマ領を東西に貫く街道。
その街道は現在拡張工事が進められ、整備されつつあった。
やがてはミロスラフ王国の経済を支える大動脈となるのだが、それはまだずっと先の話。
そんな開発が始まったばかりの街道を一台の馬車が走っていた。
目指すは海岸沿いに作られたコノ村。ナカジマ家の当主が住む村である。
「トマス兄様、また大きな荷車とすれ違ったわ」
窓の外を見て物珍しそうにしているのは、明るいオレンジ色の髪のまだ幼い少女。
隣国の貴族オルサーク家の長女アネタである。
妹に話しかけられたのは、こちらもまだ幼いと言っていい少年。
オルサーク家の三男、トマスである。
「ナカジマ領の発展は凄まじいものがあるな」
すれ違った荷車には資材が山と積まれていた。
ボハーチェクの港町からは開発の初期から、大手ジトニーク商会が。
更には遅れて、これまた大手のセイコラ商会が。
ナカジマ領の開発工事に物資と人材を惜しみなく投入していた。
この流れを目にして、今まで静観していた商人達も慌ててナカジマ領に殺到した。
金が動けば人も物も集まる。
春になって街道から雪も消え、ナカジマ領では開発工事が本格化し始めていた。
トマスとアネタは昨年の年末以来、久しぶりにナカジマ領を訪れていた。
とはいえ、以前は山越えで直接コノ村へたどり着いたので、こうして馬車で街道を通るのは初めてとなる。
最初は寂れた田舎領地にしか見えなかったナカジマ領だが、広く整えられた街道とあちこちで行われている工事とで、すぐに領地中が活気に満ち溢れている事が分かった。
竜 騎 士の二人を知るトマス達は、この賑やかさも彼らの治める領地としてとても相応しい、と感じていた。
そんな景色を馬車の窓から眺めていた二人に、御者の男が声を掛けた。
「さっきの道がポルペツカの町との分岐点だとすれば、しばらくすればコノ村が見えて来るはずです。ここいらで一度休憩を挟みましょう」
「分かった。お前に任せる」
アネタは、もうすぐ着くなら早く行けばいいのに、と不満そうな表情を浮かべた。
トマスは苦笑すると、「ホラ、ちゃんと掴んでいないとケガをするぞ」と妹を窘めた。
その途端、馬車は轍を外れてひと際大きく揺れると、街道を外れて近くの広場に停まったのだった。
トマス達の乗る馬車がコノ村に着いたのは正午を少し回った時刻だった。
ナカジマ騎士団はトマス達の事を覚えていたので、馬車は何の問題も無く村に通された。
「トマス、アネタ、お久しぶりですわ」
二人が到着したとの知らせを受けてティトゥがテントの外に二人を出迎えてくれた。
トマス達はティトゥの顔を見てパッと笑みを浮かべたが、ティトゥの鯱張った様子に何か違和感を覚えた。
この時の二人は喜びのあまり気が付かなかったが、ティトゥの態度を良く見ていれば、彼女が背後の老人の目を非常に気にしている事に気が付いたかもしれない。
何はともあれ、ティトゥがホストとして出迎えてくれているのだから、トマス達もそれに合わせなければならない。
トマスは(さっきの休憩の時に服装を整えておいて良かった)と安堵しながら慇懃に挨拶を返した。
「ナカジマ様におかれましても、ご壮健喜ばしく存じます。兄上もこちらに伺えずに残念だと申しておりました」
「お久しぶりでございます。ナカジマ様」
二人は礼儀正しくお辞儀をした。
正直言って当主のティトゥよりもよっぽど立派な振る舞いだった。
「お二人には後で時間を取ってゆっくりお話をしたいと思いますわ。先ずは旅の疲れを休めて頂戴」
ティトゥの言葉でメイド少女カーチャが二人の前に出た。
どうやら今回もカーチャがトマス兄妹の案内をするようである。
トマスとアネタは、どこか形式ばったティトゥの態度に違和感を覚えながらも、カーチャに案内されて家の中に入って行くのだった。
トマスとアネタの二人が家の中に消えると、周囲に弛緩した空気が流れた。
ティトゥは背後の老人――ユリウス元宰相に振り返った。
「お二人はずっとコノ村にいたのだから、こんな風に堅苦しい出迎えをしなくてもいいんじゃありませんの?」
「堅苦しいとはなんですか。幼いとはいえ相手は隣国の貴族です。礼を尽くすのが当然です」
ティトゥの言い訳はユリウスにピシャリと遮られた。
思わず不満顔になるティトゥ。
代官のオットーが慌てて二人の間に入った。
「人目がある場所では礼儀を示してもよろしいのでは?」
「人目って、ここにはナカジマ家の使用人くらいしかいないじゃないの」
ティトゥの言葉にナカジマ騎士団の者達が居心地が悪そうに身じろぎした。
「そういえばナカジマ騎士団は少し前までは王都騎士団でしたわね」
「――今はナカジマ騎士団で良かったですな」
王都に戻った時にご当主様の恥を言いふらされずに済みます。ユリウスは皮肉を込めてそう言った。
ナカジマ騎士団員はティトゥの視線を受けて、慌てて「とんでもない」とばかりに手を振った。
「お二人の話はオットーから聞かされております。積もる話もお有りでしょう。今日はゆっくり話されるのがよろしいかと」
「・・・そうさせてもらいますわ」
ティトゥはこの場を去る前にチラリと背後のテントに視線を向けたが、何も言わずにトマス達の待つ家に向かうのだった。
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僕はカルーラと二人でテントに残されていた。
残されているって言い方もおかしいか。元々ここは僕のテントな訳だし。
さっきナカジマ騎士団がやって来て、トマスとアネタの兄妹が乗った馬車が到着したと報告をした。
ティトゥはここで二人に会うつもりだったみたいだけど、ユリウス宰相に「礼儀にかなっていない!」と怒られて、渋々外に出迎えに向かったのだ。
僕は昨日、ティトゥに「チェルヌィフ王朝に行くつもりだ」と告げた。
色々と考えた上で、やはり一度バレク・バケシュに会っておくべきだと判断したのだ。
この場合、飛行機である僕があちらに出向くのが一番手っ取り早いだろう。
仮に何かあった時でも、僕なら飛んで逃げる事も出来る訳だし。
流石に僕の事情にティトゥを付き合わせる訳にはいかない。
そうでなくても春になって開発ラッシュのナカジマ領は大変なんだ。
更には先日ベンジャミンが言っていた河川工事の件もある。
こんな大変な時期にティトゥが領地から離れる事は出来ないだろう。
もしティトゥが領地を離れている間に、早急にティトゥの判断が必要な事態にでもなればどうする?
この世界には電話もなければメールもない。
ティトゥが帰るまで領地経営をストップさせておく、なんて事はさせられない。
僕だけならサッと行ってサッと帰って来る事が出来るからね。
・・・それもバレク・バケシュの話の内容次第だけど。
それでも余程の事が無い限り、あちらに行ってそのまま、なんて不義理を働くつもりは無い。
僕は日本人だけど、この国はこの世界での僕の母国みたいなものだ。
あちらでの用事が済めば絶対に帰って来るに決まっている。
僕は拙い言葉を駆使してティトゥにちゃんとそう伝えた。
彼女にも分かってもらえた。と思う。
その証拠に今朝の彼女はいつも通りだった。
これってちゃんと僕の考えが伝わったからだよね。
僕はそう信じてもいいんだよね? ティトゥ。
カルーラは黙り込んでしまった僕を訝しんでいるようだ。
「どうしたの? 飛行機さん」
「・・・いや、何でもない。それよりもさっき言ったように、僕はバレク・バケシュ様に会いに行く事に決めたから。それでどうしようか? カルーラには使節団代表の仕事があるんだよね」
カルーラはチェルヌィフ王朝の使節団の代表としてミロスラフ王国にやって来ている。
彼女の仕事が終わるまで僕はコノ村で待っていなきゃいけないんだろうか?
それってどれくらいかかるものなんだろう。
カルーラは僕を見上げて少し考えた。
「使節団代表の役目は儀礼的なものだから、別に私である必要は無いのよね。私も早くキルリアの所に帰れるならそっちの方がいいし。そうね、一度ボハーチェクに戻るから少し時間を頂戴。替え玉の子と話をしてくるわ。そうしたら私の役目は全部その子に任せて私はこっそりチェルヌィフに戻れると思うから」
元々使節団の代表の立場は、カルーラが外国に住む僕に会いに来るために国王が与えた口実だったんだそうだ。
だから代表の仕事は王城に出向いて祝いの品を送って祝辞を述べるだけ。つまり彼女でなければならない理由は特にないとの事だ。
「それよりも飛行機さんは本当にチェルヌィフまで飛べるの? 随分と遠いのよ?」
「流石に一日では無理だけどね。二日――いや、最低でも三日は欲しいかな」
昨年の年末、僕は一度ミュッリュニエミ帝国の王都まで往復した事がある。
その時には落下増槽も使ってギリギリといった感じだったから、流石にチェルヌィフの王都に二日でたどり着けるかどうかは微妙だ。
それに燃料を全て使い切った状態で向こうに着くのはマズい気もする。
僕はバレク・バケシュを完全に信用している訳じゃない。
いや、カルーラは僕を騙してはいないと思っているけどね。
とはいえ念のために、すぐに逃げ出せるだけの燃料は残しておくべきだろう。
「ふうん。たった三日でねえ」
カルーラは僕の言葉を信じていないようだ。
船が最速で、陸地では馬か徒歩くらいしか移動手段の無いこの世界では、三日で移動できる距離なんてたかが知れているんだろう。
勿論現代人なら飛行機がそれ以上の距離を飛ぶ事を知っている。
こうして日本語で会話をしていても、やはりカルーラはこちらの世界の人間なんだな。
僕はその事実に気付かされて少し複雑な気持ちになった。
「本当に三日で着くなら、私も乗せて行って欲しいんだけど」
「あ、と。ゴメン。それは出来ないんだ」
なぜ僕がカルーラの願いを断ったのかは分からない。
でも何となくティトゥを残して行くのに、カルーラを乗せて飛ぶのは、ティトゥに対する裏切りのような気がしたのだ。
「まあいいけど。私は飛行機さんがバレク・バケシュ様に会いに来てくれさえすれば、役目を果たした事になるし」
「それは大丈夫。僕もバレク・バケシュ様に聞きたい事があるから」
カルーラは「だったらいいわ。じゃあ当主様に、お暇するって挨拶してくるから」と言ってテントを出て行った。
一人になった僕は、ひょっとして早まったのかも、いや、向こうから声を掛けたこのチャンスを逃す手はないよな、などといつまでも考えていた。
こうして僕がくよくよと悩んでいる間に日が落ち、やがて夜になった。
家のドアが開くと、カルーラが出て来た。
・・・えっ?
なんでカルーラがまだコノ村にいるわけ?
ティトゥに挨拶をしてボハーチェクに戻ったんじゃなかったの?
随分とご機嫌な様子のカルーラは、ふと僕の方に振り返ると、いつもおっとりとした目をハッと見開いた。
「あ・・・ ゴメン。うっかり忘れていたわ」
僕はガクリと力が抜けた。
ちょっとカルーラ、それってどういう事?
次回「勘違い」