その11 ハヤテの決断
チェルヌィフ王朝使節団の代表、カルーラさんから聞かされた話は僕にとって驚きの連続だった。
僕は予想外の情報にすっかり混乱してしまった。
「ゴメン。少し頭を整理する時間をくれないかな・・・」
「そうね。良く考えてから返事を頂戴」
というかこの子にとって、僕は彼女が仕えるバレク・バケシュに近い存在なんだよね?
なんでこんなにフランクな言葉遣いなわけ?
バレク・バケシュから教わった日本語が不十分だったから・・・て、考えてみれば彼女にとって実戦――日本語で会話をするのは僕が初めてなのか。
だったら敬語はハードルが高いか。
敬語って日本人でも使い方を間違える事があるくらいだからね。
『話は終わりましたかな?』
『ええ。ひとまず』
僕達の会話が途切れたので、ユリウス元宰相がカルーラさんに声を掛けた。
『でしたら部屋に案内いたします。春とはいえテントの中はまだ冷えますからな』
『よろしく』
メイド少女カーチャがカルーラさんをテントの外に案内していった。
『ご当主様も』
『・・・ええ。分かりましたわ』
ユリウス元宰相に促されてティトゥもテントを出て行った。
彼女はホストとしてカルーラさんをもてなす役目があるんだろう。
ティトゥは僕の方を何度もチラチラと振り返っていた。
最後に残ったオットーも、今日は家の方で仕事をする事にしたようだ。
机の書類を小脇に抱えると、そのままテントを後にした。
こうしてテントの中には僕一人だけが残された。
正直言って僕は少しだけホッとしていた。
何か聞きたそうにしていたティトゥには悪いけど、一度ゆっくりと考える時間が欲しかったのだ。
もし今誰かにさっきの話を尋ねられていたら、口を滑らせて何を喋っていたか・・・
とにかく先ずは落ち着いて情報を整理しよう。
考えなきゃいけない事は山ほどある。
幸い時間はある。
落ち着け、僕。落ち着け――
しかし僕はどうしても胸のざわつきを抑える事が出来なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
部屋の中はどこか重苦しい空気が漂っていた。
その原因はティトゥにあった。
彼女はカルーラとハヤテの会話が気になって仕方が無かった。
”聖龍真言語”で交わされた二人の会話は、内容こそ全く分からないものの、ハヤテのうろたえた声色から、何か重要な話をしていた事だけはハッキリしていた。
もしここにユリウスがいなければ、ティトゥは衝動的にカルーラにその事を尋ねていたかもしれない。
しかし、ユリウスとカルーラが相変わらずあたりさわりのない社交辞令を交わしていたため、彼女は口を挟むきっかけを見つけられなかった。
ティトゥは何も言えずに、固く押し黙っていた。
ふと窓の外に目を向けると、春の青空が広がっている。
冬の間中、ずっと心待ちにしていた青空だ。
しかし今の彼女の目に映る空はどこか遠く、よそよそしい物に思えた。
厨房のベアータは、お茶を淹れるための湯を取りに来たメイド少女カーチャから話を聞いていた。
「どうりで、当主様の様子が少し変だと思っていたよ」
こう見えてもベアータはティトゥと同い年だ。そのせいもあって、二人は主従の立場を超えて仲良くしていた。
ベアータは昨夜からティトゥの様子が気になっていたのである。
「ハヤテ様とカズダ様が何を話していたのか分かればいいんですけど」
「そうだね。じゃあアタシがひとっ走りしてハヤテ様に聞いて来るよ」
「えっ? ちょっと待ってベアータさん!」
思い立ったら即実行。
元気娘のベアータは、カーチャに火の番を任せると厨房を飛び出して行ったのだった。
ハヤテは珍しく一人でテントの中で佇んでいた。
「ハヤテ様お邪魔します!」
ベアータはハヤテの近くに寄ると、早速先程の話を尋ねた。
「カズダ様と色々とお話されていたそうですが、何か面白いお話でも聞けましたか?」
あけすけに尋ねるベアータに、ハヤテも苦笑しているようだ。
いささか図々しいものの、それを不快に感じさせない不思議な人間的魅力がベアータにはあった。
それに、丁度誰かに話を聞いて欲しいとも思っていたのだろう。
ハヤテはベアータの意見も聞いてみる事にしたようだ。
ハヤテは言葉を選んでいくつか説明した上で、自分の考えをベアータに告げた。
「ちょ・・・ちょっと、急にそんな事を言われても」
ベアータはハヤテの言葉にショックを受けた様子だった。
彼女にしては珍しく歯切れの悪い返事を返した。
ハヤテはそんな彼女の反応を見ながら、自分の考えを纏めているようだ。
「あの、ええと、アタシ仕事も残っていますので」
ベアータはあたふたと返事を返すと慌ててテントを後にした。
そして彼女はそこで家から出て来たティトゥとバッタリ出くわす事になるのだった。
ティトゥは、明らかにいつもと違うベアータの様子に訝しげな表情を浮かべた。
「ベアータ。何かあったんですの?」
ベアータはビクリと身をすくめると、自分の背後――ハヤテのテントをチラリと振り返った。
彼女の後ろめたそうな表情に、ティトゥは何か良くない事が起こったのを察した。
「ハヤテのテントで何かあったんですの?」
「いえ、それは・・・その・・・」
ベアータはしばらく言い訳を探していた様子だったが、やがて観念すると、ポツリとティトゥに打ち明けた。
「あの・・・ ハヤテ様がチェルヌィフ王朝に行くとおっしゃったので」
◇◇◇◇◇◇◇◇
チェルヌィフ王朝には転生者がいる。
カルーラのもたらした情報は僕にとって衝撃だった。
僕は今すぐにでも会いに行きたい気持ちと、会って何を話すのかという不安な気持ちの板挟みにあっていた。
普通に考えれば転生者同士は協力するべきだ。
けど、相手がどんな人間かは分からない。
もしかしたら、この世界の人間の事なんて何とも思わないような悪人かもしれない。
もしバレク・バケシュがそんな人間なら、今の僕の力を知ればきっと良くない事に使おうとするだろう。
それに彼?彼女?に会った所で何がどうなるとも限らない。
バレク・バケシュが地球に帰る方法を知っているとは思えないからだ。
だったら別に会う意味は無いとも言えるだろう。
でも会ってみたい。
訳も分からず転生者した身としては、同じ境遇に遭っている人の話を聞いてみたい。
ひょっとしたら、ひょっとしたらだけど、互いの知識を合わせる事で元の世界に戻れるヒントが何か得られるかもしれない。
勿論それは極わずかな可能性に過ぎない。そんな事は分かっている。
しかし、今の僕にとってバレク・バケシュの存在は、縋りつかずにはいられない、天界から垂れて来た蜘蛛の糸のようなものだった。
罠の可能性もある。
でも、とにかく一度会ってみないと分からない。
いや、会ってみたい。
こうして僕の心は決まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ティトゥは血相を変えてハヤテのテントに飛び込んだ。
「ハヤテ! あなたさっきベアータに何て言ったんですの?!」
ハヤテはいつものように茫洋と佇んでいた。
ティトゥはそんなハヤテの様子に何となく理不尽な苛立ちを覚えた。
「”チェルヌィフ王朝に行く”って、本当ですの?!」
ハヤテは直ぐには返事を返さなかった。
彼女の剣幕に戸惑っているのか、言葉を選んでいるのか。
ティトゥは固唾をのんでハヤテの返事を待った。
彼女にとって、それは随分と長い時間に感じられた。
やがてハヤテはポツリと言った。
「・・・ウン」
ティトゥはショックのあまり目の前が真っ暗になった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
カルーラには二人の王朝騎士団員が護衛が付いていたが、彼らも自分達が護衛して来たのはただの使用人だと思っていた。
そもそも彼らは使節団の代表と話を交わした事すらほとんど無かった。
カルーラは味方にすら慎重に距離を置いていたのだ。
ちなみに現在、チェルヌィフ王朝使節団代表は長旅の疲れが出てオルドラーチェクの屋敷で寝込んでいる事になっている。
言うまでも無く、実際に部屋にこもっているのはカルーラの影武者である。
そして影武者達もカルーラの目的を知らされていなかった。
大胆な行動を取っているように見えて、意外とカルーラのセキュリティ意識は高かったのだ。
現在、カルーラに付いてコノ村にやって来た護衛達は、ナカジマ騎士団の詰め所で待機中だった。
そのうちの一人が何となく村の外に目をやると、村の外からこちらを窺っている男が目に留まった。
男の様子に怪しい物を感じた護衛はもっと良く確認しようと窓に近付いた。
「おい、どうした?」
「あ、いや、あそこにいる男が・・・ あれっ? さっきまで変なヤツがいたと思ったんだが」
仲間に声をかけられた騎士団員が少し目を離した隙に怪しい男は姿を消していた。
彼はぼんやりと引っかかるものを感じたが、わざわざナカジマ騎士団に報告するのもためらわれた。
「それより今朝の朝食も驚くほど美味かったよな。ここの騎士団はいつもあんな飯を食っているんだってよ」
「本当か?! てっきり使者のおこぼれで俺達にもご馳走が振る舞われているものだとばかり思っていたぞ?!」
仲間の言葉は彼にとって衝撃的だった。
それほどコノ村での食事は彼にカルチャーショックを与えていたのだ。
直後にそんな話をしたせいもあったのだろう。結局彼は誰にも今の怪しい男の事を言わないまま、忘れ去ってしまうのだった。
次回「オルサーク家の兄妹」