その10 キルリア・カズダ
「弟は言っていたわ。バレク・バケシュ様はこの世界で一番飛行機さんに近い存在だって」
この世界で一番僕に近い存在。
それが意味するものは一つしか思いつかない。
バレク・バケシュは僕と同じ転生者だ。
――この世界に僕以外の転生者がいる――
いつかはこんな日が来るかもしれないと覚悟はしていたつもりだった。
どうやらその日が遂に来たようである。
僕は頭の芯が痺れるような衝撃を受けていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
時間は巻き戻って先月。
その日カルーラは王城の裏、聖域と呼ばれる場所へと向かっていた。
聖域は王城の裏の大きな丘に作られた霊廟で、チェルヌィフ王朝でも極限られた者以外の立ち入りを禁じられている区域の中にある。
国王ですら例外なし、と聞けば、その厳しさが分かるというものだろう。
だが、歴代の国王の亡骸は、国王を輩出した部族へ戻された上で各部族の墓地に丁重に葬られている。
つまり聖域は言われているような王家の霊廟ではないのである。
なら聖域の奥には何が存在しているのだろうか?
そう。聖域とは王家の秘中の秘、叡智の苔が住まう施設だったのである。
先日、ミュッリュニエミ帝国から戻った諜者によって、とある情報がもたらされた。
半島に飛行タイプの”ネドマ”が現れたというものだ。
この知らせは王城内に大きな衝撃を与えた。
ネドマとは王朝の東の海の果ての大陸、”魔境”に住む異形の生物だ。
日頃は自分達の縄張り――魔境から外に出る事は無いが、何年かに一度、ネドモヴァーの節と呼ばれる魔境が活性化する時期に限って、海を渡ってこちらの大陸にまでやって来る。
と言っても、大陸と魔境の間には大海が広がっているため、渡ってくるのはどれも水生型――魚のタイプのネドマに限られた。
それでも漁船や商船にとっては大変危険なため、国王は叡智の苔からネドモヴァーの節の知らせを受けると、速やかに軍を動かして対応していたのだった。
幸いな事に今回発見された飛行タイプのネドマは、ハヤテと呼ばれるミロスラフ王国のドラゴンによって即座に始末された。
しかし、大陸にやって来た飛行タイプがこの一匹だけとは限らない。
死骸から何か情報を得る事が出来たかもしれないが、残念ながら発見現場は帝国軍の侵攻を受けて現在も混乱の続く小ゾルタだった。
この知らせを持って帰った諜者も流石に死骸は持ち帰れなかった。
この報告を聞いたカルーラの弟、キルリアは、至急叡智の苔の判断を仰ぐべく聖域へと向かった。
それが昨夜の事である。
カルーラは一晩たっても戻ってこない弟が心配で居ても立っても居られず、朝になるのを待ちかねてこうして聖域に足を運んだのだった。
聖域の入り口は巨大な洞窟にしか見えない。
特に装飾の類は無く、その表面は切り出したばかりのようにツルリとしている。
ハヤテ辺りが見れば、まるで戦時中の掩体壕(空襲から飛行機を守るためのシェルター)のようだ、と思ったかもしれない。
カルーラは白い息を吐きながら暗い洞窟の奥へと進んだ。
洞窟の突き当りには、これだけは彫刻がされた大きな両開きの扉があった。
彼女がその扉に手を伸ばしたその時、扉は中から開かれた。
「あれっ? カルーラ姉さん。迎えに来てくれたんだ」
扉を開けたのは10歳程の幼い少年だった。
髪は灰色がかった茶色で、見るからに利発そうな顔付きをしている。
カルーラは弟をそっと抱きしめた。
「こんなに冷えている。風邪をひいたらどうするの」
少年――キルリアは苦笑すると体から力を抜いて姉の好きにさせた。
姉はこうなったら梃子でも動かない事を知っていたからだ。
カルーラは弟を抱きしめたままジッと動かなかったが、ようやく満足したのかキルリアを解放――やっぱり抱き足りないと思ったのか、今度は後ろから抱き着いた。
「あの・・・カルーラ姉さん。僕まだ朝食を食べてないから、お腹が空いているんだけど」
「食堂に用意させている。一緒に食べよう」
「ええと、抱き着かれたままだと歩き辛いかな~、なんて」
最愛の弟にやんわり「離れて欲しいな」と言われて、カルーラはムッツリと押し黙った。
その態度は、「今の言葉は聞こえなかった事にする」と全身で訴えていた。
キルリアは背後の姉をチラリと見上げて、小さくため息をついた。
「じゃあ手を繋いで帰ろうよ」
「・・・うん」
カルーラは妥協すると、姉弟仲良く手を繋いで聖域を出るのだった。
温かい朝食を終えると、キルリアは真剣な表情で姉に告げた。
「カルーラ姉さん。僕はミロスラフまで行かないといけなくなった」
「ダメ」
即座にバッサリ切られて、キルリアは二の句が継げなかった。
「そんな危ない所に行かせる訳にはいかない」
「・・・姉さん聞いて。バレク・バケシュ様がそう言っているんだ」
バレク・バケシュの言葉。
そう言われてはカルーラも駄々をこねる訳にはいかなかった。
「本当に行かないとダメ? 姉弟よりも大事な事なの?」
「なんでここで比較対象に姉弟が出て来るのか分からないんだけど。カルーラ姉さん、バレク・バケシュ様がミロスラフのドラゴンと会う必要があると言ったんだよ」
カルーラとキルリア姉弟は小叡智――叡智の苔に選ばれた、巫女のような存在だ。
その仕事はバレク・バケシュの言葉を王家に伝える事である。
その存在は最重要に秘匿され、二人は小叡智に選ばれた時から実家のカズダ家にも戻らず、ずっと王城の奥で生活していた。
「バレク・バケシュ様がおっしゃるには、ミロスラフのドラゴンは飛行機といって――何というか、この世界で一番バレク・バケシュ様に近い存在なんだって」
「バレク・バケシュ様に?!」
カルーラも流石にこの言葉には驚く他なかった。
王朝ではバレク・バケシュは神にも近い叡智を持つと言われている。
叡智の苔――バレク・バケシュの名は伊達ではないのだ。
ミロスラフのドラゴンがバレク・バケシュに近い存在ならば、直接自分達が出向くのが筋である。
誰かを使いにやって呼び寄せるなどもっての外だ。決してそんな失礼があってはならない。
「でも、やっぱりキルリアが行くのは反対」
「カルーラ姉さん!」
「行くなら私が行く」
「えっ?!」
弟が心配だから。もちろんそれもある。
しかし、小叡智としての能力はキルリアの方が上回る、というよりもカルーラはキルリアに何かあった時の控えのような立場なのだ。
ならば、外に出るような危険な仕事は姉の自分が受け持つべきだろう。
覚悟を決めた表情を向けられて、キルリアは何も言い返す事が出来なくなった。
「それにキルリアがミロスラフに行ったら一人で寂しい思いをする事になる。そんなのはイヤ」
「・・・それって、僕の代わりに姉さんが行っても同じ事になるよね」
「!」
驚愕するカルーラ。
どうやら指摘されるまで気が付かなかったらしい。
どうも彼女は弟が絡むと途端にポンコツになってしまうようだ。
「どうしよう。いっそのこと二人で行く?」
その提案はカルーラにとって非常に魅力的だった。しかし弟の安全を考えると彼女はそうおいそれと頷く事は出来なかった。
「・・・しばらく考えさせて」
「いいけど、出来るだけ早めに決めてね」
その後一週間、カルーラは胃に穴が開くほど悩んだ末、結局一人でミロスラフに行く事を決意したのだった。
カルーラ断腸の思い、であった。
連絡を受けた国王は、カルーラのために「戦勝祝いの使節団の代表」という公の立場を用意し、十分な護衛と年恰好のよく似た影武者を付けた。
「確かに私に似ているかもしれないけど、目の色が違う・・・」
髪の色は色粉で染める事が出来ても、流石に瞳の色までは変えられない。
仕方なくカルーラは人前ではいつも目を閉じている事にした。
不自由で仕方が無いが、安全のためにはこれも仕方が無い。
こうしてカルーラはミロスラフ行きの船に乗り込むと、ドラゴン・ハヤテの下へと向かったのだった。
次回「ハヤテの決断」