その8 ドラゴンメニュー
『そうですか・・・ ハヤテ様にも分からないんですね』
『ソウ』
代官のオットーは眉間に皺を寄せながら僕の説明を聞いていた。
さっきチェルヌィフ王朝使節団の使用人の少女がナカジマ家を訪ねて来た。
彼女の正体は使節団の代表カルーラ・カズダその人だったのだ。
そんな人がどうしてここに?
しかし驚くのはまだ早かった。
なんと彼女は僕の母国語である日本語で話しかけて来たのだ。
彼女がわざわざお忍びでここに来た目的は何なのだろうか?
とにかく謎だらけの少女に僕は激しく混乱してしまった。
僕のテントを訪ねて来たオットーは、さっき彼女と何を話していたか尋ねて来た。
とはいえ僕も彼女が何を言っていたかサッパリ分からなかったのだ。
あ、いや、彼女の日本語が僕に通じなかったという訳じゃない。
むしろ発音といい、全く違和感を感じさせないネイティブな日本語だった。
最初は日本人転生者である事を疑ったくらいだ。
けど彼女は自分の言葉はバレ・・・なんとかから頂いた贈り物だと言っていた。
・・・ダメだ。こうして考えていても、何が何だか全然分からない。
『カズダ様はどなたかから”聖龍真言語”を教わった。という事はチェルヌィフ王朝にはハヤテ様のようなドラゴンがいるという事なんでしょうか?』
オットーの言いたい事は分かる。
可能性としてはゼロではない。というか僕もそれを疑った。
つまりはカルーラでは無く、バレなんとかの方が日本人転生者という可能性だ。
しかしそれにしては疑問が残る。
あまりにチェルヌィフ王朝に動きが無さすぎるのだ。
僕は帝国にいる(あるいはいた?)という天才錬金術師が地球から来た転生者ではないかと疑っている。
そしてこの国の僕。
僕達現代人にとって、科学的に劣ったこの世界は、ある意味過去の地球にタイムスリップしたのと近いものがある。
つまり知識無双の恰好の舞台であるという事だ。
実際に帝国の天才錬金術師はそんな行動を取っている。
僕だって言葉さえまともに通じれば、ちょっと思い付くだけでも試したい事がいくらでもあるのだ。
王朝の転生者が今まで何もしていないとは考えにくい。
なのに何の話も伝わって来ない。
それとも王朝は徹底して情報を秘匿しているんだろうか?
いや、便利な道具や未来の技術が生み出されているのに、その情報が国内にすら全く伝わっていないというのはあまりに不自然だ。
やはり王朝に転生者はいない――と思う。
けど、それだとカルーラが日本語を知っている事の説明がつかない。
・・・また堂々巡りだ。
やっぱり直接カルーラに聞くしかないか。
『カルーラ。イマ』
『カズダ様は今頃食事をされている頃でしょう』
そうか・・・ なら食後に話が出来ないか頼んでもらえないだろうか?
オットーも彼女の事が気になっていたんだろう。『分かりました。お伝えしておきます』と、二つ返事で連絡を請け負ってくれた。
だったら僕はそれまでに彼女に尋ねたい事を纏めておくべきだろう。
僕は気合を入れ直すと、考え得る限りのシミュレーションを重ねておく事にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「白身魚のムニエルになります」
小柄な料理人のベアータが来賓であるカルーラの前に皿を置いた。
カルーラは鼻息も荒く、魚を切り分けると口に運んだ。
ティトゥ達はカルーラの背後に走る雷を目の当たりにした。
「・・・これも信じられないくらいに美味しい」
「ありがとうございます」
カルーラは上品に、しかしみるみるうちに皿の料理を平らげた。
それはまるで食事の光景を早送りで見ているようだった。
彼女にとって幸せな時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
カルーラは空っぽになってしまった皿を名残惜しそうにじっと見つめている。
「あの・・・ こちらもお気に召したのでしたら、お替りをご用意いたしましょうか?」
あまりに悲しそうな表情に耐え兼ねたカーチャがおずおずとカルーラに尋ねた。
パッと嬉しそうな表情を浮かべて頷くカルーラ。
カーチャの戸惑いも当然だ。
彼女が”こちらも”と言ったように、カルーラは今まで出て来た全ての料理にお替りを頼んでいたからだ。
「よろしいのですか? 料理はまだまだ続きます――あ、いや失礼」
老婆心で口を挟んだユリウス元宰相だったが、カルーラの愕然とした表情を見て慌てて口をつぐんだ。
ちなみにティトゥは、自分からユリウスの注意が逸れたのをいいことに素早く料理を口に運んでいる。
こういった場のマナーを苦手とする彼女は、時折チェックをするようにユリウスが向ける視線にプレッシャーを感じていたのだ。
再びベアータがムニエルを持って部屋に現れると、カルーラは余程待ちきれないのか目で皿を追っている。
ベアータは食い入るように見つめられて少し居心地が悪そうにしながら、テーブルに皿を置いた。
カルーラは嬉しそうに再び食事に取り掛かった。
みるみるうちに片付く料理。
まるでさっきと同じ動画を繰り返して再生しているような光景だった。
皿の上の料理は瞬く間にカルーラのお腹の中に消えて行った。
「ドラゴンメニューは凄い。こんな料理食べたことが無い」
カルーラには食事前に、今日の料理はハヤテが発案してナカジマ家の料理人が完成させた「ドラゴンメニュー」と呼ばれるものだ、と説明を受けていた。
斬新な料理と謎の見た目に最初は戸惑ったカルーラだったが、それも最初の一口を口に入れるまで。
今では次の料理が運ばれてくるのを首を長くして待ち焦がれるようになっていた。
「鳥の紙包み焼きとなります」
テーブルに今度は肉料理が運ばれて来る。カルーラの至福の時間はまだまだ続くのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
僕はテントの中でずっと作戦を練っていた。
さっきの感じから、カルーラは僕をハメようとかそういった悪感情は持ってないように思えた。
聞けば案外素直に答えてくれそうな気がしたのだ。
・・・僕が可愛い女の子に弱いとかそういう理由じゃないからね。
いやまあ確かにカルーラはティトゥにないエキゾチックな魅力があるけど。
日頃は少しぶっきらぼうな不思議ちゃん。でも、日本語だとお喋りでフランクな女の子。
これって、”僕だけ知っている本当の彼女”みたいで、刺さる人には刺さるよね。
現実だと案外戸惑うけど、二次元だったら絶対人気が出るタイプのキャラだと思うよ。
いやいや、僕は違うよ。僕はティトゥのドラゴンだから。
浮気とかそういう気持ちは全然ないから。
――どうもこの時の僕は、日ごろ使わない方向に頭を使い過ぎたせいでちょっと変なスイッチが入ってしまっていたようだ。
そんなアレな状態だったせいか、僕は家からオットーが出て来るのを見てすっかり慌ててしまった。
食事の時間は終わってしまったみたいだ。まだ十分に対策が練れていないのにどうしよう。こうなればぶっつけ本番しかないのか? いやいや、でもでも・・・
密かに焦る僕を尻目にオットーは申し訳なさそうに告げた。
『カズダ様は今日はこちらに来られそうにありません』
ん? どういう事?
オットーは僕に頼まれた通り、ちゃんとカルーラに伝えてくれたそうだ。
そしてカルーラも、『むしろ願っても無い』と頷いたんだそうだ。
ここまでは何の問題も無かったし、むしろ順調だった。
そして夕食が始まった。
美味しい食事にカルーラはついつい食べ過ぎてしまったらしい。
いや、ついついなどという可愛いレベルじゃなかった。
彼女はベアータの用意したドラゴンメニューにいたく感銘を受けて、全ての料理にお替りをしたんだそうだ。
つまり二人前を食べたという事だ。
僕はどっちかといえば華奢なカルーラの姿を思い浮かべた。
よくあのお腹にそんなに入ったな。
カルーラは今もはち切れそうなお腹を抱えて苦しみに悶えているらしい。
だったら食べなきゃ良かったのにね。
彼女はフウフウと苦しい息の下、『今日はもう一歩も動けそうにないからハヤテ様に謝っておいて欲しい』とオットーに頼んだんだそうだ。
・・・ええ~っ。
なにそれ。とんだ肩すかしなんだけど。
『あの・・・ 申し訳ありませんでした』
いやいや、オットーが謝るような事じゃないから。
カルーラは明日こそは僕と話をすると言っていたらしい。
明日の朝食も食べ過ぎないといいけどね。
そんなこんなでオットーは僕に連絡を終えると家に戻って行った。
まあ一晩ゆっくり考える時間が出来たと考えればいい、のか?
僕は何とも言えない気持ちを抱えたまま明日の朝を待つのだった。
次回「爆弾発言」