その6 故郷の言葉
『村にチェルヌィフ王朝からの使者が参っております!』
『『チェルヌィフ王朝から?!』』
テントにやって来たナカジマ騎士団の言葉に、ティトゥとオットーが同時に驚きの声を上げた。
騎士団員が言うには、オルドラーチェク家の馬車がやって来たので何事かと思ったら、乗っていたのはチェルヌィフ王朝使節団の使用人だったんだそうだ。
馬車は多分、オルドラーチェクさんから貸してもらったんだろうね。
僕は先日、ボハーチェクの港町で見た使節団代表とオルドラーチェクさんの姿を思い出した。
チェルヌィフ王朝といえばついさっきまで、僕のテントにはチェルヌィフ商人のシーロが顔を出していた。
ていうか随分久しぶりだったよ。
シーロは旅先で仕入れた話を色々としてくれた後、仕事の依頼を受けているからと言って慌ただしく去って行った。
騎士団員からの報告があったのは、なんとなくシーロの勢いにあてられてしまっていたティトゥ達が、ようやく気を取り直して目の前の仕事に戻った矢先の事だったのだ。
代官のオットーがティトゥに目配せをする。ティトゥは一つ頷いた。
『直ぐに会いますわ。ここに案内して頂戴』
『はっ!』
ナカジマ騎士団員は一つ返事をすると、キビキビとした動きでテントから出て行った。
『例のチェルヌィフ王朝の組織の関係者でしょうか?』
オットーにはティトゥから簡単な説明がされている。
勿論、オットーは例の怪しげな組織については何も知らなかった。
まあ、モニカさんが言うにはランピーニ王家ですら何も掴んでいないそうだからね。マチェイの家令に過ぎなかったオットーが知らないのも当たり前といえば当たり前か。
『会ってみれば分かりますわ』
ティトゥはどこか胡散臭そうにしている。
実は僕達はついさっきシーロにも話を聞いていた。
チェルヌィフの商人であるシーロなら何か聞いた事があるかもしれない、と思って尋ねてみたのだ。
しかしシーロは苦笑いをしただけで、特に何も知らない、と答えたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
シーロは少し考えた後、逆に僕達に聞いて来た。
『ええと、皆さん、”ネドモヴァーの節”はご存じで?』
ネドモヴァーの節。どこかで聞いた事があるような、無いような・・・
僕とティトゥが首を傾げる中、オットーが答えた。
『チェルヌィフ王朝で行われる祭事のようなものだと聞いた事がある。確か海の安全を祈願するためのものだったか』
『まあ似たようなものですね。実際は軍隊が出張って来るようなシロモノで、とても祭りなんて呼べたものじゃないんですが』
ネドモヴァーの節は何年かおきに不定期に行われる、ある種の軍事行動なんだそうだ。
目的はさっきオットーが言ったように海の安全を守るためのもの。
丁度去年も秋から新年にかけて行われていたんだそうだ。
王朝と敵対している帝国が半島に軍を動かす事が出来たのも、このネドモヴァーの節で王朝が国境から軍を下げたのが原因らしい。
そう考えるとシーロが言うように、お祭りなんてのん気なもんじゃないよね。
ちなみにネドモヴァーの節が始まると街道のあちこちが封鎖されるし、東の港は使えなくなるしで、商人としては商売上がったりなんだそうだ。
『そのネドモヴァーの節を仕切っている組織があると聞いた事があります。おそらくご当主様がおっしゃっているのはそれの事じゃないでしょうか』
その組織――仮に「ネドモヴァーの節開催委員会」としよう。
ネドモヴァーの節開催委員会が、「今年はいついつからいついつまでネドモヴァーの節を執り行います」と発表すると、王朝では嫌でも軍を動かさなければならなくなるそうだ。
『国王でも逆らえないのか?!』
オットーは驚いているけど、そんなに意外な事かな? 地球の歴史では割とよく聞く話だと思うけど。
特に中世キリスト教圏内では、教会の権威が国王のそれを上回っていた、なんて話はさして珍しくもなかったし。
確か「カノッサの屈辱」だったっけ? 教会に破門された国王がカノッサの城門で雪の中素足で断食して許しを願った、という有名な話があったよね。
この大陸は中世ヨーロッパ風の世界観でありながら、実は宗教が完全に廃れてしまっている。
全ては今から三百年程前、当時この大陸を支配していた大ゾルタ帝国が、既存の宗教を破壊しつくしてしまった事に起因するらしい。
とはいえ人間の心から完全に宗教を消し去る事は出来なかった。
大ゾルタ帝国が滅んだ今は、あちこちで土着の信仰が慎ましく復活しつつあるそうだ。
確かティトゥの実家のマチェイにも小さな教会が建っていたはずである。
まあそんな訳で完全な政教分離――というよりも宗教の力が大幅に削られたこの大陸では、国政の中心を担う王家が国の最高権力者なのが当たり前なのだ。
その王家が逆らえない権威が存在するなど、オットーの常識では考えられないのだろう。
『商人にとってはネドモヴァーの節なんてものは傍迷惑な話でしかないんですよ。まあ、それで利権を得ているものもいるでしょうから、今更止める事も出来ないんでしょうなあ。そんな訳で、私のような真面目な商人には一生縁のない唾棄すべき習慣なんですわ』
シーロの反応はドライというか、唯物論的というか。何というか、ある意味達観しているね。
まあ商人らしいといえばらしい考え方とも言えるのかもしれない。
『お前が真面目な商人ね・・・』
『酷いですなオットー様。ハヤテ様は信じてくれていますよね?』
『ヨロシクッテヨ』
『・・・ええと、それはどっちの意味なんでしょうか?』
そんな感じで、シーロは謎の組織はネドモヴァーの節開催委員会だと信じ込んでいる様子だった。
シーロがそう言うって事は、大半のチェルヌィフ人がそう考えていると思っても間違いないだろう。
しかし僕は、チェルヌィフ王朝のような商人の国で、こんな宗教チックな習慣が今でもまかり通っている事が不思議で仕方が無かったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ナカジマ騎士団に案内されて来たのは灰色の髪の少女だった。
どこかフワフワとした浮世離れした独特な雰囲気を持った子だ。
まあ世間ずれしていないという意味ならティトゥも負けてないんだけど。
『使節団の代表の女性のかたわらに控えていた使用人ですわね』
ティトゥが小さく呟いた。
確かに少女の服装はあの時見た使用人の恰好そのものだった。
――ティトゥにもそう見えるのか。
僕は少女の見事ななりすましに驚きを感じていた。
『初めましてナカジマ家ご当主様。本日は我が主の書簡を携えて参りました』
少女は少しぶっきらぼうにそう告げると、どこか眠そうなおっとりとした目でチラリと僕を見上げた。
やはり間違いない、この子だ。
僕は確信した。
だとすると、今日はわざわざ使用人のふりをしてここにやって来た事になる。
一体何が狙いなんだ?
オットーが彼女から書簡を受け取ると蜜蝋をあらためた上でティトゥに手渡した。
『ご苦労様でした。別室で休んで下さいな』
少女はペコリと頭を下げるとメイド少女カーチャに案内されてテントから出て行った。
少女の姿がテントから消えると、ティトゥは書簡の封を切った。
『これは・・・ どういう事ですの?』
手紙を読み終えたティトゥは訝し気な表情を浮かべた。
ティトゥはオットーに手紙を渡すと背後の僕を見上げた。
え~と、何?
手紙を読み終えたオットーも、僕を見上げて言った。
『この手紙には、長々と丁寧な挨拶が書かれているだけです』
『手紙の最後には、この手紙を持って行った者をハヤテに会わせてやって欲しい、と書かれていましたわ』
・・・なるほど。そういう事か。
つまり最後の一文のみが本題というわけだ。
何が本当の狙いか知らないけど、虎穴に入らずんば虎子を得ず。
いいだろう。お望み通り会って話をしてあげようじゃないか。
『本当に大丈夫なんですの?』
ティトゥは、訳が分からない、といった顔をしたが、僕を止めるような事は無かった。
ここで止められなくて良かった。
わざわざ”使節団の代表が身分を偽ってまで直接僕に会いに来た”んだ。ちゃんと会って話をしないとね。
そう。さっきの少女のあの視線。
忘れもしないあの感覚。あれはあの日、ボハーチェクの港で僕を見上げていた、使節団代表の少女の視線そのものだったのだ。
ティトゥに呼ばれてさっきの少女が再び僕のテントにやって来た。
『この手紙には、あなたをハヤテに会わせてあげて欲しいと書かれていましたわ』
『早速望みを叶えて頂き感謝します』
ティトゥの言葉に少女は小さく頷くと、僕を見上げた。
『ゴキゲンヨウ』
『! 本当に人間の言葉を喋るのね!』
僕の挨拶に驚いたのか、少女は眠そうな目を少し見開いた。
『・・・』
『・・・』
あの。僕と話したい事があったんじゃないんでしょうか?
『・・・ハヤテ様は人間の言葉があまり話せない様子』
少女は一人で納得している。
いやまあ確かにあなたのおっしゃる通りですが、僕が話さなかったのは、君が話しかけて来るのを待っていたからなんだけど?
ティトゥ達も同じことを思ったのか、どこか微妙な表情を浮かべている。
『だったらあなたの言葉で話して頂いて構わない』
この子何を言ってるの?
「いや、あなたの言葉で構わないって・・・ 君、僕の喋る日本語が分かるわけ?」
「ニホンゴって言うの、これ。初めて知ったわ」
『『『えっ?!』』』
突然少女の口から聞き慣れない言葉が出た事に驚くティトゥ達。
けど僕の受けたショックは彼女達の比ではなかった。
少女の口から流暢に流れ出たその言葉――それは・・・
「あ、あの・・・ゴメン。ええと、もう一度喋ってもらってもいいかな?」
「あなたって自分の使う言葉だと案外良く喋るのね。いいわ。これでどうかしら、飛行機さん」
!!
間違いない! 彼女が喋っているのは僕の故郷の言葉だ!
僕は一年ぶりに耳にする日本語に、すっかり混乱してしまった。
次回「カルーラ・カズダ」