その5 土産話
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ベンベンベン
軽い音を立てて薄いドアがノックされた。
「入れ」
ユリウス元宰相は目を通していた書類から顔を上げた。
かつての宰相の執務室にしてはあまりにも粗末な部屋だった。
それもそのはず。現在彼が身を寄せているナカジマ家は、何を好き好んでか海沿いの小さな漁村に居を構えているのである。
「お久しぶりです、ユリウス様」
胡散臭い笑顔を見せながら入って来たのはまだ若い男。
チェルヌィフ商人のシーロであった。
「根回しご苦労だった。無事、当主殿には列侯の称号が送られたようだ」
「いえいえ、実際に動いて下さったのはペラゲーヤ先代皇后陛下ですから。しかし、本当にあれで良かったんですかね」
「・・・構わん。この国にも新たな血が必要な時期が来ているのだろう」
列侯の称号。それが後の上士位の家系となったのは間違いがない。
しかし、ユリウスはティトゥ達にはあえて言わなかった事があるのだ。
それは長いミロスラフ王国の歴史の中、かつて列侯の家系から国王が即位した例があった――という事実である。
その家には以前、臣籍降嫁した王家の者が入っていたために特に大きな問題にはならなかった。
だが、慎重に家系図を手繰れば分かる事だが、実はその時の国王は王家との直接の血のつながりは無かったのだ。
つまり彼がミロスラフ国王として即位した事で、ミロスラフ王国は「列侯であれば王位を継承出来る」という前例を作ってしまったのである。
「このまま領地の発展が進めば、将来ナカジマ家はこの国を支える程の莫大な富を生み出す領地となるだろう。そうなれば必ず王家との軋轢を生む。その日のためにも、こちらに十分な大義名分があるという既成事実を今から準備しておかねばならんのだ」
現在のナカジマ領は湿地帯の周囲のやせた土地しか持たない貧乏領地だ。
しかし、湿地帯の開発さえ終われば、大湿地帯は国内有数の大穀倉地帯となる事だろう。
それらの土地から生み出される作物、そして今後造られるボハーチェクに匹敵する港町。
更には今まで全く手つかずだったペツカ山脈から、もしも鉱山でも見つかろうものなら、なおの事この領地の重要度が跳ね上がるのは間違いない。
このまま順調に開発が進めば、遠くない未来、ナカジマ領の存在がこの国の隆盛を左右する事になるのは、間違いないと思われた。
いち貴族家が持つにはあまりにも強大な力だ。
王家は絶対に、ナカジマ領を取り上げざるを得なくなるだろう。
その時、あのドラゴンが黙って王家の横暴を見逃すだろうか?
ユリウスはそんな未来を恐れていた。
「まあワシが生きている間に、そこまで領地の開発が進むとも思えんがな」
「何をお気の弱い事を。閣下らしくもない」
シーロの言葉はいくらか社交辞令を含んでいるものの、二人は間近であのデタラメな竜 騎 士を見ている。
彼らは、「ひょっとしたら竜 騎 士ならそんな未来を前倒しにしてしまうかも」という予感すら感じていた。
「それにしても、お前がコノ村に来るのも随分と久しぶりではないか。またどこで悪さを働いていたのだ?」
「酷いですなユリウス様、私のような善良な商人を捕まえて。いえね。今回はその商人の仕事、というかちょっとしたしがらみがありまして。その件で是非ユリウス様のお耳に入れたい土産話も持って参りました」
「土産話か・・・ 良いだろう。聞かせてもらおうか」
ユリウスはシーロに来客用のテーブルにつくように目で促すと、デスクから立ち上がった。
シーロはこの国に根を張り巡らせているチェルヌィフ商人のネットワークに所属している。
今回、シーロはその代理人から連絡を受けて、彼らの仕事を手伝っていたと言うのだ。
「なんでも最近になってこの国に入り込んだモグリのチェルヌィフ商人がいるらしくて――って少し前までは私もそうだったんですがね――まあともかく、そいつがちょーっとおいたが過ぎたようなんですよ」
チェルヌィフ商人ネットワークが掴んだ情報によると、どうやらそのモグリの商人はミュッリュニエミ帝国の情報部と繋がって、帝国の工作員がこの国に密かに潜入するための手引きを行っていたようなのだ。
「そんなヤツを野放しにしておくと私のような善良なチェルヌィフ商人が迷惑を被りますからね。物理的に退場して頂く必要があった訳でして」
最近ネットワークに加入したシーロは周囲に面が割れていない。
それに、しがらみも無く自由に動けるシーロのような立場はネットワークにとっても使い勝手が良いらしく、今回、協力者として彼に白羽の矢が立ったのだった。
「ふん。店も構えず口八丁で巷間を渡り歩くお前のような者が善良な商人とは笑わせる。だがこの時期に帝国の工作員とは確かに面白くないな」
昨年末の帝国軍の南征時であれば特に不思議はない。
軍の進行に先だって相手国を内部からかく乱する、ないしは破壊工作を行う、というのは戦の常套手段だ。
しかし帝国は、少なくともユリウスが知る範囲では、そのような行動を取らなかった。
帝国皇帝ヴラスチミルは、そのようなさもしい策を弄さずとも、圧倒的な大軍でミロスラフ王国如きひねりつぶせる、と考えていたからである。
それがなぜ軍を引いた今頃になってから新たな動きを見せたのか。
ユリウスはその点を訝しんでいた。
「この件、領主様にもお伝えした方がよろしいでしょうか?」
「ふむ・・・ いや、必要な時が来ればワシの方からお伝えしよう。――少し待て」
ユリウスは机から鍵を取り出して棚を開けた。
彼はそこから金をいくらか取り出し、テーブルの上に置いた。
「当座の活動資金だ。今の話に関する追加の情報が欲しい。工作員の人数、目的、チェルヌィフ商人との繋がり、何でもいい」
「アザース! ユリウス様ならそうおっしゃると思っていました!」
シーロはホクホク顔で金を受け取ると大事に懐に仕舞った。
「実はそうくると思って既に手はずは整えているんですよ。連絡はいつもの方法で」
そう言うと、いそいそと立ち上がるシーロ。
このまま直ぐに旅立つつもりのようである。
ユリウスは呆れ顔でこの落ち着きのないチェルヌィフ商人を引き留めた。
「まあ待て。当主殿に顔くらい見せて行け。オットーも外の話を聞きたいだろうからな」
「あっと、そうでした。じゃあちょっくら行って来ますわ」
シーロは足取りも軽く執務室を後にした。
懐が重くなるほどに足取りが軽くなる。そんな典型的なチェルヌィフ商人の姿に、ユリウスは小さく肩をすくめるのだった。
シーロがティトゥ達との話を終え、コノ村を出た時には既に日は西に傾いていた。
急いで歩けば日が残っているうちにポルペツカの町までたどり着けるだろう。
シーロは荷物を背負い直すと、足を踏み出した。
「おやっ? あれは・・・」
シーロは南から街道を上って来る馬車に気が付いて足を止めた。
街道でもちょっと見かけない高級な馬車だ。
貴族のものか、あるいは余程裕福な商人が所有するものに違いない。
よくよく目を凝らすと馬車の側面には家紋が刻まれている。貴族――それも領主のものだ。
「南から、という事はネライ家の馬車か? いや、あの家紋には見覚えがあるぞ。確かオルドラーチェク家の家紋じゃなかったか?」
オルドラーチェク家はこの国最大の港町であるボハーチェクを擁する領地である。
あの家紋はボハーチェクの港町で何度か見かけた事があった。
シーロがぼんやりと見守る中、馬車はコノ村の入り口で止まった。
思わぬ来客に、門番をしている騎士団員が戸惑っている。
「オルドラーチェク家がナカジマ家に一体何の用があって来たんだ?」
しばらくすると馬車はゆっくりと村の中に消えて行った。
非常に興味を引かれる状況だったが、残念ながら今から村に引き返している時間が惜しい。
シーロは後ろ髪を引かれる思いでこの場を後にするのだった。
次回「故郷の言葉」