その4 これはこれで僕の日常
アダム特務官から妙に気になる不穏な頼み事をされようと、それはそれとして僕達は領地の業務を疎かには出来ない。
といっても僕自身は、僕のテントの中で忙しく働くみんなを見守っている事しか出来ないんだけどね。
う~ん。せめて手だけでもあれば書類仕事くらいは手伝えるんだろうけどなあ。
体からニョキリと人間の手の生えた四式戦闘機。怖っ! 軽くホラーだわ、それ!
人知れず戦慄している僕をメイド少女カーチャがジト目で見上げている。
あれはきっと『また何か変な事を考えてますね』とか思っている目だな。
おっ。僕が察したことをカーチャも察したようだ。
フフン。そっちが僕の考えを察するように、僕もカーチャの考えている事くらいお見通しなのだよ。
今度は『こっちの考えを察したつもりでいますね。デリカシーに欠けます』とか思っている目だね。
何をおっしゃる。僕だって一方的に考えを読まれてばかりじゃないんだよ。
『・・・あなた達暇そうですわね』
書類の山に埋もれたティトゥに恨めしそうに睨まれて、僕とカーチャは慌てて居住まいを正すのだった。
『河川工事の必要があります』
テントに入って早々、とある男がティトゥ達にそうのたまった。
久々登場の聖国の土木学者ベンジャミンである。
彼は最近、村に戻る時間すら惜しんで、忙しく湿地帯を調査研究していた。
『河川工事とは?』
ナカジマ領の代官オットーが眉間に皺を寄せた。
まあ急に言われても訳が分からないよね。
ベンジャミンは机に資料を広げた。どうやら例の焼け野原の地図のようだ。
『現在ハヤテ作戦で焼け跡になった場所には、複数の池と何本かの川が流れています』
ふむふむ。最初は全体的にぐしゃぐしゃだった焼け跡にも、土地の低い場所に自然に川と池が生まれていた。
今では現場の判断で、あちこちに排水路を作っては川に水を流しているようである。
そういった事情もあって、現在焼け跡に流れる川はどんどん大きくなっていっているんだそうだ。
ベンジャミンが言うには、最近、その川の水量が急激に増えているらしい。
『そうか! 雪解け水か!』
オットーがハッと目を見開いた。
このペツカ湿地はペツカ山脈の裾から広がっている。
春になって山に積もった雪が溶けると何処に行くか? 当然湿地帯に流れ込むのである。
『それもあります。しかしそれだけでない可能性が出て来ました』
『それってどういう事ですの?』
ベンジャミンが言うには、川の流れが安定した事で、焼け跡に作られた土手の向こう側、湿地帯の方からもどんどん水が流れ込んで来るようになっているんだそうだ。
『それは・・・ 悪い事なんですの?』
『良い面と悪い面があります』
良い面は湿地帯の水位が下がる事だ。
今までは全体的に淀んでいた水の流れが、下流に水の流れが出来た事でどんどんはけている状態なんだそうだ。
そうなると今度は湿地帯の中でも土地の低い場所に川が出来、更に流れが加速する。こうして湿地帯全体の水位が下がる可能性が出てきたという。
『それって、今は手つかずの湿地帯の開発が、楽になるって事じゃないんですの?』
『その通りです』
思わぬ焼け跡効果にティトゥ達の表情が明るくなった。
なる程。確かにこれは良い面だ。
けど悪い面もあるんだよね?
『はい。水害と水質汚染の問題があります』
現在湿地帯から流れて来ている水の量はさほど多くはない。
しかし、このまま気温が上がって雪解け水が増えると、多くの水が下流に流れ込む事になるだろう。
そうなれば川はより大きくなり、今後大雨でも降ればたちまち溢れてしまう事にもなる。つまりは水害の恐れがあるのだそうだ。
実は現在焼け跡にはいくつもの仮設住宅が建てられて、作業員の人達はそこで寝泊まりしている。
新街道と呼ばれる山までの道路を造るために集められた人達だ。
ちなみに工事を受注したのは、ベンジャミンを連れて来たあの人の良さそうな商人のお爺ちゃんだ。
名前はえ~と、なんて言ったっけ。確かセイコラ商会だったかな?
お爺ちゃん自らが現場に乗り込んで、まだ雪が残っているにもかかわらず、早速大張り切りで工事にとりかかっていたよ。
見た目によらず豪快な人だったんだね。
おっと話が横にそれちゃったな。
そんな訳で、現在焼け跡にはポツンポツンと仮設住宅やテントが立ち並ぶようになっていた。
中でも水場の近くは、生活に何かと便利な事もあって、人気のスポットだったりするそうだ。
つまり現在、焼け跡の川の周辺には、吹けば飛ぶような粗末な作りの住宅が建てられ、大勢の作業員が住んでいる、という事になる。
もしこんな状態で川が溢れたりしたら、どれほどの被害になるか。ちょっと考えただけでも分かるというものだろう。
『早急にセイコラを呼んで相談しよう』
『問題はそれだけではありません』
今はまだ良いが、夏になると湿地帯には毒虫や瘴気ガスが発生するようになる。
このまま川の流れが拡大すると、湿地帯からそういったものに汚染された水が下流に流れる可能性があるのだそうだ。
そうなると作業員達の間に疫病が蔓延する危険すらあるだろう。
『大変ですわ!』
『ええ。さらにせっかくこうしてハヤテ作戦で広大な焼け野原を確保していても、川の氾濫に加えて上流からの汚染水まで流れ込めば、元の木阿弥となる可能性すらあります』
『対応策はあるんだろうな?』
ベンジャミンは別の資料を広げた。
『そこで河川工事です。現在複数流れている川の一部を整備して大きな川を作ります。つまり一息に海まで流してしまうのです』
どうやらベンジャミンは突貫工事で川を広げて、現在湿地帯に溜まった水を排水するつもりのようだ。
湿地帯全体の水位が下がれば、夏場に湿地帯から流れ込む水量を抑える事になる。そう考えているらしい。
何ともダイナミックな対応策だね。
『水量の豊富な今の内に水の流れさえ作っておけば、湿地帯に出来る水の淀みも最小限で済むでしょう。つまりは瘴気の発生を抑える効果も期待出来ます』
『そんな風に上手くいくかしら?』
ティトゥは不安そうだが、一応は専門家の見立てだ。
ここはヘタに素人の僕達が口出しするよりも、信頼して任せてしまった方がいいんじゃないだろうか?
オットーは少しの間黙って考え込んでいたが、直ぐに顔を上げた。
『先ずはセイコラを呼ぼう。彼にも説明する必要がある。ベンジャミンはこの資料の写しを作って欲しい』
『ではどこか適当な部屋をお借りします』
オットーはカーチャに命じて部屋に案内させた。
次いでオットーは部下に指示を出してセイコラさんを呼びに行かせた。
『時間との戦いになるでしょう。新街道工事は一旦取り止めにしてこちらに力を注いだ方が良いと思います』
『オットーがそう判断したのならお任せしますわ』
夏までという明確なタイムリミットがある訳だからね。
取り掛かるのなら一日でも早い方がいいだろう。
いささか泥縄的な気もするけど、なにせ前例の無い湿地帯の開発工事だ。
その場その場で臨機応変にやっていくしかないだろう。
『オットー。ワシに用事があるのか』
『はい。状況が変わりました』
オットーの部下に連れられて元宰相のユリウスさんがやって来た。
ユリウスさんは元々この国の宰相として、河川工事も指示しているはずだ。
その知識と経験を貸してもらわない手はないよね。
『ベンジャミンは中規模な川を五本ほど作らせるつもりのようです』
『多いな。将来下流に港町を作る事を考えると――』
『ハヤテ様が以前言っていましたが――』
話し合うオットー達を横目に、ティトゥはため息をつくとイスに深く身を沈めた。
『はあ。これなら帝国との戦争のためにハヤテに乗って飛び回っていた時の方が、まだ気が楽でしたわ』
ティトゥ。君、なかなか不謹慎な事を言うね。
まああの時と今とでは別の気疲れがあって、君はこっちの方が苦手なのは見ていても分かるけどね。
『そういえばモニカさんはどこに行っているのかしら?』
そういや最近時々姿を見せないね。といっても僕はこのテントから動かないから、村のどこかで何かしていても分からないんだけど。
いくら僕が四式戦闘機の限界を超えて高性能になったからといって、レーダーが付いたり衛星写真が撮れるようになったわけじゃないからね。
あっ、でもそれっていいよね。GPSとか付いてくれたら本当に楽なんだけどなあ。
それでもってヘルメットのゴーグルにその情報を投影したりして。
遂に四式戦闘機もアビオニクス(航空電子機器)時代に突入か?! 胸熱だな!
『ハヤテ。あなた何を言ってますの?』
おっと、僕の妄想が言葉になって漏れていたみたいだ。
謎の言葉の羅列にティトゥが胡散臭いものを見るような目で僕を見てる。
いかんいかん。自重しろ僕。
まあそんなこんなで、これはこれで僕の日常という事で。
大変な事はあるけど、みんなで頑張って少しでも領地をより良い形に発展させようとしている。
帝国軍との戦争とか、チェルヌィフ王朝の謎の組織とか、そういう物騒なのはノーセンキューで。
こうやってみんなの仕事を見守って、時々ティトゥやカーチャを乗せてどこかに飛んで。この時の僕はそんな生活がずっと続けば良いと思っていたのだ。
次回「土産話」