プロローグ 秘中の秘
お待たせしました。
第八章の更新を始めます。
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ミロスラフ王国王城。
ここでは現在、新たな国王となったカミルバルトによる綱紀粛正の嵐が吹き荒れていた。
前王権で主要な立場についていた者はその多くが罷免され、残った者も明日は我が身と寄る辺のない不安を抱えたまま日々を送っていた。
もちろん、聡明なカミルバルト国王が、手に入れた権力をいたずらに振るっているなどというはずはない。
そのような行為は巡り巡って政務の停滞という形で自分に跳ね返って来る。そんな事が分からないほどカミルバルトは愚かな王ではないからだ。
当然やむを得ない理由があるからこそ行っているのだが・・・
そんな息苦しさ漂う王城の廊下を、立派な髭の男が足早に通り過ぎていく。
カミルバルト王権下で新たに下士位に引き立てられた、アダム・イタガキ特務官である。
ちなみにイタガキというこの世界の人々には耳慣れない家名は、ナカジマ家のドラゴン・ハヤテによる命名である。
忙しい時間の隙間を縫って、アダムはナカジマ領に一度報告に行っていた。
その際彼は、近々下士位となって新たに家を起こす事になったので、何か良い家名は無いかとハヤテに相談したのだった。
『そうなんだ、おめでとう。そうだね・・・じゃあ”板垣”で』
ハヤテは前々からアダム隊長の立派な髭を見る度に、教科書の写真で見た自由民権運動の主導者・板垣退助を思い浮かべていたのだ。
「イタガキですか。あの、よろしければ理由を聞かせて貰っても?」
「ヒゲ」
「ドラゴンはお髭の事をイタガキと言うんですの?」
自分から聞いておきながら妙に警戒するアダムだったが、ハヤテから板垣退助という立派な髭を持つ偉人がいたと説明されて、最終的にはイタガキという家名に決めたのだった。
というより、アダムはそんなに不安なら何故ハヤテに意見を聞いたのだろうか?
「いえね。本来なら、いち騎士団班長で終わるはずだった私が、ハヤテ殿に関わった事であれよあれよという間に出世して、今度は正式な下士位の貴族ですよ。どうせ子々孫々にまで残る家名なら、これは是非ハヤテ殿に名前をつけて頂かないと。そう思いましてね」
「アダム・イタガキ。アダム・イタガキ。なんだか不思議な響きですわ」
ティトゥは何度かその名前を呟くと、ふと彼女のメイド、カーチャに振り向いた。
「この際だからカーチャの家名もハヤテに考えて貰いません事?」
「うええっ?! 私ですか?!」
主の思いもよらない言葉に、カーチャは年頃の少女にあるまじき変声を漏らした。
カーチャはあたふたとしながら、それでも何となく期待を込めた視線をハヤテに送った。
『じゃあ”残念メイド”で』
「カーチャ・ザンネンメイドですのね」
「・・・ハヤテ様、言葉の意味を伺ってもよろしいでしょうか?」
何かを察してジト目で睨むカーチャにハヤテは「サヨウデゴザイマスカ」「あっ! やっぱり悪口だったんですね! 酷いです!」誤魔化そうとして誤魔化し切れなかったのだった。
正式にイタガキ家の当主となったアダムが、カミルバルト国王に任じられたのは特務官という聞き慣れない役職だった。
初めての任務を与えられると聞き、アダムは国王の待つ執務室へと向かっていた。
「アダム・イタガキ特務官だ。国王陛下がお呼びと聞き、参上した」
「しばしお待ちを「構わん、入れ!」
護衛の親衛隊に名前を告げたアダムだったが、その声が聞こえていたカミルバルト国王によって部屋に招き入れられた。
執務室に入ったアダムに国王は早速要件を切り出した。
「これを見ろ」
「はっ。失礼します。――こ、これは・・・」
それは何者かによる密告状だった。
問題はそこに書かれている名前が大手上士位の先代当主という所だ。
「この情報は誰から?」
「さてな。まあ大体の見当は付くが。問題は誰が送ったかではない。その情報が正しいかどうかだ」
カミルバルト国王の目は「正しい」と告げていた。
「・・・また、ですか」
「・・・ああ。本当にキリがない」
アダムの手元の密告状。そこに書かれていた内容は、王家の所有する諜者によって既にカミルバルト国王の知る所であった。
問題はそれを密告して来た者がいたという事実だ。
「諜報部から情報が洩れている。全く。王城はどこまで腐っているんだか」
「今度は諜報部に大鉈を振るいますか?」
「馬鹿言え。流石に今、諜報部の活動を止める訳にはいかん。手を下すにしても他が落ち着いてからだ」
かつて多くの人間に求められていたカミルバルト国王。
しかし、実際に王位に付いたカミルバルト国王の治世は予想外に難航していた。
一度臣籍降下していたカミルバルトは派閥というものを持っていない。というよりも兄王に恭順の意を示すために、極力政争に関わらないようにしていた。
そんな中での突然の王位継承である。
国王という大きな権力を持つカミルバルトの周囲は、ポッカリと巨大な権力の空白地帯となっている。
王城に巣くう貴族達が、そこに一斉に群がったのだ。
既存の権益を有する者達は自らの利益を守るために。反主流だった者達は次こそは自分達が権力の中枢に巣くうべく。彼らは一歩でも早く、僅かでも前に、他者に先んじる事に血眼になった。
今回のような密告状や政敵に対する誹謗中傷等々。彼らは政敵を蹴落とすためにありとあらゆる手段を使い、その方法を選ばなかった。
もちろん王城には政争に明け暮れる貴族以外にも、数多くの者達が真面目に働いている。
しかしそんな彼らですら、陰謀に巻き込まれ、利用され、もはや誰を信じて良いか分からない混沌とした状況になっていた。
行き過ぎた政争が発覚する度に、カミルバルト国王は粛清と引き締めを行ったが、それでも加熱する権力闘争に歯止めをかける事は出来なかった。
問題はそれだけではなかった。
領地を持つ貴族の大部分はカミルバルト国王の治世を忌避していたのだ。
こちらに関しては少し振り返って事情を説明せねばなるまい。
先日の帝国による南征。その報を受けて、王都の空気は最悪と言っても良かった。
隣国ゾルタをも飲み込んだ圧倒的な帝国軍。それに対して何一つ手を打たないミロスラフ王家。
先だっての姫 竜 騎 士への不当な仕打ちが、民の王家に対する感情の悪化を更に後押ししていた。
王都の民は暴動一歩手前まで不満と怒りをため込んでいた。
そんな中、カミル将軍が騎士団を率いて颯爽と国境に向かい、圧倒的な帝国軍の大軍を蹴散らしてみせた。
その戦場には姫 竜 騎 士の姿もあったという。
この知らせに、王都は大きな歓声に包まれた。
誰もがカミル将軍こそがミロスラフを救う英雄であると確信した瞬間である。
そこにさらに驚くべき知らせがもたらされる。
既に国王は崩御しており、その後を継いだのがカミル将軍だというのだ。
カミルバルト国王の誕生。
我らの英雄が国王に。
王都の民は老若男女問わず新国王の誕生に心から喝采を送った。
今やカミルバルト国王の人気は王都を飛び越え、国中に大きなうねりを起こしていた。
カミルバルト国王こそは真の英雄だ。
きっと建国の英雄の生まれ変わりに違いない。
英雄王カミルバルト万歳。ミロスラフ王家万歳。
今までの不満だらけの王家への反発もあったのだろう。
だがその声はあまりに大きくなりすぎた。
支配階級である貴族達が警戒せざるを得なくなる程に。
現王家に対する期待は実像を超えて膨らみ続け、今やカミルバルト国王はまるで国民の救世主のような扱いになりつつあった。
領地を治める貴族にとって、高まり過ぎた民衆の声は脅威だった。
そして彼らがその声を警戒して締め付けを厳しくすればする程、民衆の国王人気に拍車がかかった。
現在のミロスラフ王国は、国王人気を中心とした平民階級と、彼らを警戒する貴族階級とで真っ二つに割れようとしていた。
もしこの時、王城に未だユリウス宰相が残っていたら、間違いなく反カミルバルト国王派の筆頭として担ぎ上げられていた事だろう。
実はカミルバルト国王はその即位にあたり、大きな傷がある。
それは前国王が平時に残していた遺言状の存在である。
遺言状は現在王家が管理し、未だに公開はされていない。
そのためそこには、カミルバルトが国王になるためには不都合な内容が書かれているのでは、と推測されていた。
そもそもカミルバルトは臣籍降下をした時に既に継承権を放棄している。
今更国王の座に就く正当性はないのだ。
領主達はカミルバルト国王に王位継承の正当性が欠ける事を根拠に、反ミロスラフ王家派として纏まろうとしていた。
カミルバルト国王は、王城内に権力闘争に明け暮れる貴族達、外に加熱する平民人気と、それを警戒して反国王派として纏まりつつある領主貴族達、と、多くの問題を抱えているのだ。
そのため未だにヨナターンから妻子を王城に呼び寄せる事すら出来ずにいた。
アダムはカミルバルト国王に密告状を返した。
カミルバルト国王は密告状を丸めると暖炉の火に放り込んだ。
「こんな訳だから、しばらくの間内務の者は使えない。諜報部に穴がある以上どこから外に情報が洩れるか分からん」
諜報部の役目は何もスパイのような裏の仕事だけではない。政務に必要な情報を集めたり、各部署間の連絡の取りまとめ役でもあるのだ。
要は直接国王の手足となって働く、中央情報局のようなものと考えればいいかもしれない。
カミルバルト国王は鋭い眼光でアダムを睨んだ。
「騎士団の中から最大限に信用のおける部下は何人集められる」
「・・・現状では四人しか心当たりはありません。砦から呼び戻して良いなら後五人」
「分かった。今日中にその四人を引き抜いてお前の部下にしろ。残りの五人も近日中に呼び寄せろ。お前のチームの仕事は要人の護衛とその見張りだ」
穴のある諜報部が使えない。そして要人の護衛と見張り。
厳しい任務の予感にアダムの表情が険しくなった。
「護衛相手はチェルヌィフ王朝の貴人だ」
チェルヌィフ王朝の貴人。
カミルバルト国王がここまで警戒する以上、並みの貴族であるはずはない。
王家、ないしはそれに連なる者か。
カミルバルト国王は剛毅果断な彼にしては珍しく躊躇するようなそぶりを見せたが、「他言無用」と前置きをした上で話を続けた。
「今回の相手はおそらく王族を超える立場の者だ。そのつもりでいろ」
「王族を超える?! そんな事が――」
「ある。チェルヌィフ王朝はこの国とは異なり、王家の一族が国の政務を行っているが、その王家の一族を超える意思決定機関がある。叡智の苔と呼ばれる者達だ。これは王朝内ですら中枢に近い一部の者達しか知らない事実だ」
カミルバルト国王の声は極限までにひそめられ、近付いて良く耳を澄まさなければ聞き逃してしまいそうだった。
「バレク・バケシュが何者なのか、あるいはどんな組織なのか、俺にも全く分からない。決して外には洩れない王朝の秘中の秘だからだ。今回、向こうの王城から、そのバレク・バケシュと関係があると思われる者がある目的でこの国に訪れる事になったとの連絡があった。表向きは先日の帝国軍との戦いの勝利を祝う使節となっているがな」
激しい緊張にアダムの喉がゴクリと鳴った。
「――そのお方の真の目的とは?」
「分からん。それを調べるのもお前の役目だ。ただ相手はドラゴンとの面会を希望しているようだ」
ドラゴン。この国でその言葉が示すのはただ一人しかいない。
「相手の目的はハヤテとの面会。お前の仕事はこの面会を無事に成功させる事と、相手の目的を探る事だ」
次回「雪解け」