閑話7-3 宰相閣下の現在
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ここは半年前まではネライ分家領地だったペツカ地方。
現在は小上士ナカジマ家が治めるナカジマ領となっている。
王城を去り、元宰相となったこのワシ、ユリウス・ノーシスは、このナカジマ家に食客として身を寄せていた。
「まだこんな書類仕事をしておるのか」
ワシの前で書類の山に埋もれているのは、ナカジマ領代官のオットー。
ナカジマ家の女当主は領地経営に関してはずぶの素人だ。まあそれを知っていながらもあえて領地を下賜するように仕組んだのは、当時宰相だったワシなのだが。
それがまさか巡り廻って自分が手を貸す羽目になるとは。運命とはなんとも皮肉なものではなかろうか。
「しかし、”新街道”は今後の主要道となります。そのためどうしても外せない手続きが多くて」
新街道とは、現在ナカジマ領が手を付けているペツカ山脈までの新道の事だ。
いずれこの領地の港町が発展したあかつきには、現在の街道を含めた巨大な流通網が形成される事だろう。
まるで痴人の語る白昼夢のような話だが、それがただの妄想ですませられない事を既にワシは十分に承知している。
ワシはオットーの机の書類を取り上げると、大雑把にいくつかの束により分けた。
「この束の案件は全て商人に丸投げしろ。残りは全て部下の仕事として分配すればいい」
「そんな乱暴な! それにこれほどの規模の工事を任せれば、その商人の利権がどれほどのものになるか!」
ワシは慌てふためくオットーをジロリと睨んだ。
オットーはワシの眼光にひるんだ様子だったが、自分の意見を下げるつもりはないようだ。
良い気骨だ。ワシの息子もこの男くらい一本芯が通っていれば、安心して宰相の座を任せる事が出来たのだが・・・
「オットー。代官としてお前には致命的な欠点がある」
「・・・分かっています。能力が不足している所です」
「違う。自分一人で仕事を抱え込む所だ」
オットーが未熟なのは仕方が無い。というよりはむしろ当然だ。
今まで領地の経営をした事が無かったからだ。
だが領地の経営というのは町や村の運営とはレベルが違う。
ある意味一国を預かるのに等しい裁量を持つのだ。
国を運営する者が、全ての仕事を自分で抱え込む必要は無い。
それどころかむしろ害悪ですらある。
もしその者が政務を執り行えない状態になったら、その途端に国が破綻してしまうからだ。
「しかし一部の商人の利権を増すような危険は――」
「そのためにお前がいるのではないか。ワシは商人共の自由にさせろと言っているのではない。商人の上に立ってヤツらの首に首輪を付ければそれで良いのだ」
そもそも実際の工事に必要なあらゆる建材・資材の調達をするのは商人達なのだ。ならば工事自体も任せて、自分達はそれを監視する立場にいればそれでいい。
不具合が発生すれば、それはその都度新たに条例を作って取り締まればいいのだ。
「そんな事・・・ 後で作った条例を過去に訴求させて従わせるなど、商人達が納得するでしょうか?」
「納得させるのだ。そのための統治者であり領地騎士団だ。あまりに理不尽が過ぎると領地から商人が逃げ出してしまうから、さじ加減は大切だがな」
そもそも行き過ぎた商人を諫めるために作る条例なのだから、使わずにどうする。
あまり勝手が過ぎると許さない。そう示す事で、商人達の自重を促すことも出来るだろう。
オットーは気持ちの上では納得出来ない部分はありながらも、ワシの言葉に一理あるとは認めたようだ。
すでに自分一人では処理しきれない仕事量を抱えている。そのくらいの自覚はあったのだろう。
「こっちの書類はお前の部下に任せよう。確かポルペツカから来た新人がいただろう」
「そうですね。では、そのようにお願いします」
ワシの額に青筋が浮かんだ。
オットーはワシの表情を見て、自分の過ちに気が付いたようだ。
「この馬鹿モンが!! 統治者は人事権と法令作成の決定権だけは、絶対に他人に許すなと言っただろうが!!」
オットーは青ざめると、脂汗を浮かべながらペコペコと繰り返し頭を下げ続けるのだった。
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ワシがこのナカジマ領で受けた衝撃。
それを一言で言い表すのは難しいだろう。
先ず目を引いたのは、いち領地が行っているとは思えない程の開発の規模であった。
街道の再整備、そして農地の開発。
ここ数年の不作で経済の冷え込んだ我が国にあって、ナカジマ領は開発ラッシュに沸き返っていた。
ワシがナカジマ家に身を寄せて真っ先に尋ねたのは、これらの開発を支える資金源についてであった。
「こちらが今年の開発予算、そしてこれがナカジマ家の財産の目録となります」
「・・・なん、だ? この馬鹿げた数字は」
ワシは驚きを飛び越えて目の前の数字が信じられなかった。
それは地方領主が使用して良い金額を超えていたのだ。
「全体の資金はネライ本家を超えているのではないか?」
「こちらがこの度の戦で使った金額の収支となります」
「なっ! まだあるのか?! 見せろ!」
これだけの金のみならず、さらに軍費に別の予算を組んでいるだと?!
ナカジマ家は汲めば金が湧き出す井戸でも持っているのか?!
話を聞いて分かった事だが、金が湧き出す井戸は確かに存在した。
それはランピーニ聖国という名の井戸であった。
ナカジマ家は――というよりは竜 騎 士の二人は、ランピーニ王家に太いパイプを持っていたのだ。
「確かにこの夏、聖国の王女が海賊に攫われた際に、マリエッタ第八王女殿下が自ら討伐隊を指揮して無事に海賊から救い出した、とは聞いていたが・・・ まさかその一件にナカジマ家の当主が関わっていたとは」
「私も初めて聞かされた時には驚きました」
ワシはしれっと答えるオットーを怒鳴り付けたい衝動に駆られた。
しかし冷静に考えれば、この男も破天荒な当主の被害者に違いない。
ワシは言葉を飲み込んで曖昧な返事を返すに留めた。
それだけでも十分に型破りな話なのだが、さらになんと、ナカジマ家は一部とはいえあの大湿地帯の干拓を成功させていたのだ。
王家が何十年にも渡ってつぎ込んだ人員と金の全てをことごとく飲み込んだあの大湿地帯を、である。
ワシはコノ村の北に広がる焼け野原を見せられ、顎が外れる程の大口を開けてしまった。
これら全ての中心にいるのは、例のドラゴンだという。
ワシが宰相として国を預かっていた当時、ワシにとってドラゴンは単なる”面倒な相手”としか感じていなかった。
あの時のワシはミロスラフ王国を遅滞なく運営する事が全てであり、ドラゴンは理解不能な邪魔な存在でしかなかったのだ。
それがまさかこれ程デタラメな存在だったとは。
ドラゴン――名をハヤテと言うらしい――は、人語を解する高い知能を有する、と報告書にはあった。
しかし、この村で初めて会話を交わしたハヤテは、ワシにはほぼ人間同様の理解力を有しているように思えた。
いや、むしろ中身は人間なのではと錯覚した程だった。
それほどハヤテの価値観は人間のそれと酷似していたのだ。
なる程これならば、ナカジマ領に起こった数々の出来事も理解出来ないわけではない。
例えていうならば、ナカジマ家には人間を遥かに超えたドラゴンの体と力を持った部下がいるようなものなのだ。
その優位性がどれほどのものかは、あえて考えるまでも無いだろう。
そしてその事実を認めた時、ワシは今までの自分がいかに際どい綱渡りをしていたかを思い知らされ、密かに戦慄を覚えた。
ハヤテは人の心に近いものを持つ。つまりそれは今まで彼と彼の主を冷遇したミロスラフ王家に絶対に良い感情を抱いているはずがない、という事実を示すものだからである。
もちろんワシは国を守るために必要と考えて行った。その決定の一切に私利私欲が無かったと胸を張って宣言する事も出来る。
だがハヤテの視点から見れば、春の戦での武勲が過少に評価されたばかりか、王都の戦勝式典には呼ばれたものの参加も許されず、主は国内きってのクズ領地を押し付けられた、という事でしかない。
これではハヤテが怒りを覚えたとしてもやむを得ないだろう。
ましてや彼には激情に突き動かされるままに行動に移しても、誰にも止められない程の桁外れの力があるのだ。
その事に気が付いた時、ワシは残りの人生をナカジマ家に捧げることに決めた。
カミルバルト国王陛下がナカジマ家をどのように遇するかは不明だが、これ以上ナカジマ家に、というよりもハヤテがこの国に不満を抱え込むような事があってはならない。
もし、ハヤテの我慢が限界を超えるような事でもあれば、確実にかつてないほどの災禍がこの国を蹂躙するだろう。
ミロスラフ王国の安泰のためには、絶対にハヤテの機嫌をそこねてはいけないのだ。
それに禍福は表裏一体。王国にとって危険なハヤテは、逆に使えば大いなる力ともなる。
それは、開発景気に沸き返るこのナカジマ領の現状が証明してくれている。
ハヤテを巨大な力を持つ人材と考えて使いこなせばいいのである。
かつて前例の無い桁外れの力ではあるのだが。
ハヤテは日頃は大人しくテントの中で翼を休めている。
誰かに話しかけられれば返事をするが、自分から誰かに話しかけるような事はほとんど無い。
まるで幼子のように間の抜けた言葉を返すこともあれば、驚くほど高い教養と豊富な知識量を垣間見せる事もある。
それはまるで俗世のしがらみに縛られない隠者のようでもあるし、ずっと象牙の塔で研究に人生を捧げて来た賢者のようでもある。
要は浮世離れしているという事だ。
まあドラゴンなのだから、人間の価値観からズレているのも当然なのかもしれないが。
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「ロゴマークですか?」
ハヤテの言葉に代官のオットーが首を傾げている。
「ソウ。ミロスラフ。チョサクケン、ナイ」
ハヤテの言葉は片言の単語だけのため、彼の話を理解するのは中々に骨が折れる。
この場に当主殿がいれば良いのだが、ワシとオットーだけでは複雑な会話は手に余る事が多いのだ。
「ちょさくけん、が何を意味しているのかは分かりませんが、つまり今後ナカジマ領で生み出される独創的な商品に似せた悪質なコピー品が出回らないように、正規品には決まったマークを付けることにするんですね?」
「ロゴマーク」
「ああ、それをロゴマークと言うんですか」
ハヤテは時々こうしてアドバイスを出す事がある。
新しい概念、というか、言われてハッと気が付くものも多く、ワシがハヤテが高い教養を身に着けていると考える所以でもある。
「ナカジマ家の家紋を使うという訳にもいかないでしょうね。分かりました。部下と協議してみます」
「雪かきが終わりましたわ!」
テントの入り口を大きく開け放って、ピンクの髪の若い娘が息せき切って入って来た。
ナカジマ家の当主であるティトゥ・ナカジマ殿だ。
「あの、本当に行くんですか?」
「ここの所ずっとハヤテは飛んでいませんでした。パートナーとしては、せっかく雪が止んで青空が見えている時くらいは飛ばせてやりたいんですわ」
『いや、僕は別にいいんだけど。元々日本では引きこもりだったし』
ハヤテは聖龍真言語というドラゴンのみが使う言語で喋る事がある。
今の言葉の内容は分からなかったが、その語感からどうやらハヤテは当主殿ほどは今日の飛行に乗り気ではないようだ。
「ハヤテも飛びたいと言っていますわ!」
『全然そんな事言ってないから。君が書類仕事をサボりたいだけだから。毎日雪で外に出られずに仕事続きなもんだから、たまの晴れ間に羽を伸ばそうとしているだけだから』
本当に当主殿の言うように、ハヤテは飛びたがっているのだろうか?
ワシの目には、妹に庭で遊ぼうと誘われて、面倒くさがっている兄のようにしか見えないのだが・・・
当主殿の指示で男達がハヤテを押してテントの外に運び出した。
それを見て代官のオットーが大きなため息をついた。
破天荒な主に振り回される常識人の家臣。
ワシは今のオットーの姿にある種の既視感を覚えた。
オットーの姿はまだワシの若い頃、先々代の国王に振り回されてばかりだったあの頃を思い起こさせるものだったのだ。
思えばあの頃は、王のしでかしに振り回される度に、いつもこうしてやりきれないため息をついていたものだった。
その時、外からハヤテのうなり声と野次馬達の上げる歓声が聞こえて来た。
ワシは力無く書類の山に戻るオットーの煤けた背中を見ながら、(せめてオットーが一人前になるまで、見守ってやらねばいかんな)と、固く心に誓うのだった。