閑話7-1 「大陸の歴史・新暦四百年~五百年」より抜粋
「大陸の歴史・新暦四百年~五百年」より抜粋
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◇帝国南征戦争
「帝国南征戦争」――これは新暦400年代の中盤に起こった「ペニソラ半島」での戦争の事である。
当時のペニソラ半島は、北に「小ゾルタ」こと「神に導かれし白銀の地ゾルタ王朝」(以降は小ゾルタと記す)。南に「ミロスラフ王国」の二つの国が存在していた。
ミロスラフ王国のさらに南方にはいくつかの貿易都市が存在し、互いに協力し合う「都市国家連合」を形成していたが、その実態はただの寄り合いであり、国家としての体を成していなかったためにここでは省く事にする。
大陸とペニソラ半島を繋ぐ位置に存在した「ミュッリュニエミ帝国」の皇帝は長年半島の統一を悲願としていた。
帝国歴79年11月。帝国皇帝ヴラスチミル(当時42歳)は五万の兵をもって半島に進軍した。
軍を率いるのはボリス・ウルバン将軍。
ウルバン将軍は国内外の多くの戦や反乱鎮圧で名をはせた、皇帝からの信任の厚い優秀な将である。
彼はこの時47歳。正に将として脂の乗り切った時期にあった。
ウルバン将軍はこの大遠征軍を率いるにあたり、皇帝に一つの要求をしたと言われている。
それが後に帝国のオーパーツと呼ばれる「ドラゴンアーマー」の使用許可である。
現存している当時のドラゴンアーマーから、これらはアルミニウム合金の一種「ジュラルミン」で作られていた事が判明している。
これは実に驚くべきことである。
なぜなら、まだ材料工学の基礎すら確立していないこの時代に、帝国では溶融塩電解によるアルミニウムの製錬方法が確立していた事になるからである
◇コラム・帝国の天才錬金術師エルバレク
この時期ミュッリュニエミ帝国には数多くの先進的な発明が見られる。
それらの多くは「エルバレク」(姓不明・男)が発明、開発したと伝えられている。
エルバレクの出生は謎に包まれているが、帝国の「天才錬金術師」として当時の複数の記録に残されている。
彼は帝国に多くの新発明をもたらしたが、その才能が他に利用されるのを恐れた当時の宰相により常に監視下に置かれ、一切の行動の自由は無かったと言われている。
エルバレクは最後は自殺による死を迎えたとされている。
彼は自由を得るためには自ら命を断つしか無かったのである。
◇ウルバン将軍の南征軍
ウルバン将軍は皇帝から譲り受けたドラゴンアーマーを帝国正規軍に装備させ、「白銀竜兵団」を編成。集中運用するという奇策を取った。
このウルバン将軍の目論見は見事に当たり、11月の初めに帝国を発ったウルバン南征軍は、小ゾルタとの国境に到達すると一日で砦を抜き、その月の終わりには小ゾルタの王都「バチークジンカ」を取り囲んだ。
この電撃戦を支えたのが白銀竜兵団であった。
翌12月の頭には小ゾルタ王家を裏切った貴族の内応もあり、ウルバン南征軍はバチークジンカを落とす事に成功する。
ここまで破竹の勢いで進撃して来たウルバン南征軍だったが、ここで予定外の足止めを食ってしまう。
五万の帝国兵が王都の略奪に夢中になり、ウルバン将軍は彼らの綱紀を正すために思わぬ時間を取られてしまったのである。
ウルバン将軍は兵士の手綱を引くと同時に、小ゾルタ中から物資の調達も進めた。
ウルバン南征軍が王都を出たのは暮れも押し迫った12月の終わり。既に新年までは後一週間しか残っていなかった。
◇ファーストドラゴン・ハヤテ
後に「ファーストドラゴン」と呼ばれる事になるドラゴン・「ハヤテ」が記録に登場したのはこの年の春の事である。
ハヤテを巡る多くの謎の内、最大のものは、「彼はどこから来て、どこに行ったのか?」というものである。
ハヤテはこの年、突然記録に現れて数多くの事を成し遂げている。
不思議な事にそれ以前の正式な記録に彼は一切登場していない。
いきなりこの大陸に現れたとしか考えられないのだ。
どこからともなく現れて短期間に数多くの事を成し遂げたファーストドラゴン。昔からハヤテにロマンを感じる者達によって、幾つもの定説・異説が唱えられ、常にその時代の芝居や小説の題材にもなっている。
ここではこの年の記録の中からハヤテが書かれた部分のみを取り上げる事にする。
最初に残る記録はミロスラフ王国のものになる。
この年の春、小ゾルタは船で兵士を直接敵国に送り込むという奇策で、ミロスラフ王国の内陸部にまで攻め込んだ。
この戦いで決定的な役割を果たしたのがハヤテだと言われている。
なお、王国の公式な記録では、一部戦果を残したのみ、とされているため、ハヤテの活躍は戦後に大袈裟に語り継がれたものではないか、との説もある。
次にハヤテの記録が残るのはクリオーネ島のランピーニ聖国においてである。
聖国王家の記録には、ハヤテは聖国の第八王女マリエッタに協力し、カルシーク海から海賊を根絶して莫大な報奨金を得た、とある。
この事実をもって、ハヤテはこの時期までは聖国に所属しており、春の戦いではミロスラフ王国に貸し出されたのではないか、という説を唱える者も多い。
次の記録は再びミロスラフ王国のものになる。
この年の秋、ミロスラフ王国ではナカジマ家という女領主が誕生している。
初代当主はティトゥ・ナカジマ。元々彼女はマチェイという王都の近くの農村地帯を治める貴族の娘だった。
彼女はハヤテと契約を結び、人類初の竜 騎 士となった事で有名である。
この時彼女はまだ18歳(当時の計算で19歳)の娘だった。
ハヤテは彼女に協力して、後の大穀倉地帯となるペツカ地方の開発に大きく貢献したとされている。
そのためか今でもこの土地ではドラゴンの名を冠する地名や建築物が数多く存在する。
◇南征軍とハヤテとの戦い
ウルバン南征軍がミロスラフ王国の国境を目指して進軍を始めたその日に、ドラゴン・ハヤテはこれを攻撃したとミロスラフ王国の記録にも帝国側の記録にも残っている。
しかしこの前日の帝国の公式記録には、帝都での戦勝発表式典の最中に巨大な鳥のようなものから攻撃を受け、凱旋門に飾る予定だった皇帝の像が破壊された、との記述がある。
これをハヤテが行ったかどうかで昔から議論が絶えない。
それは、帝国の帝都を襲った翌日に、遠く離れたウルバン南征軍を襲う事は可能かどうか、という問題でもある。
現実的に考えればドラゴンの飛翔能力をもってしても難しい距離と言えるだろう。
そのため、実はハヤテは複数のドラゴンの総称なのではないか、という極端な推論すら存在する。
この戦いの中、ハヤテはあちこちで目撃されている。
その記録があまりに広範囲に及んでいるため、一匹のドラゴンの行動として考えるのは無理があり過ぎると言うのである。
定説では、その多くは猛禽類などの大型の鳥を見間違えたか、日付の記憶あるいは記録間違い、ないしはハヤテの人気にあやかった創作ではないか、とされている。
この時点では帝国はハヤテの事をミロスラフ王国のドラゴンだとは知らなかった。
そのためこの時期の公式な記録には「謎の大きな鳥」だの「空を飛ぶ巨大な怪物」だのと記されている。
中にはハヤテが兵士を襲って貪り食った、などという記述もあるが、ドラゴンが肉を好まない事は知られている。
これはそういった知識の無い時代に、当時の人間の思い込みで書かれた記述と考えても問題ないだろう。
ハヤテら竜 騎 士の執拗な攻撃と、それに協力したピスカロヴァー伯爵領の地方当主による夜襲にウルバン南征軍は大いに苦しめられた。
本来五日ほどで到達する予定だった国境に、出発してから一週間たっても到着出来なかった事からもウルバン南征軍の苦労が分かるというものだろう。
牛の歩みとなってしまったウルバン南征軍は物資が不足し、兵士達はテントを焼かれ、寒空の下で薄めた粥を食べて寒さを耐え忍んでいたという。
◇ミロスラフ国王の崩御
翌年。ミロスラフ歴109年の三日にミロスラフ王国の国王「ノルベルサンド」(当時29歳)が崩御する。
ノルベルサンドの在位期間はたったの八年間に過ぎなかった。
突然の国王の崩御。
本来であれば大きな混乱が起こる所だが、ノルベルサンドは政治に興味の無い愚王として知られていた。
そのため政務は平時に引き続いて宰相「ユリウス・ノーシス」が執り行った。
王都の民が自分達の国王の死を知った時には、ノルベルサンドが死んでから半月以上も経っていたと言われる。
この日、後に次の国王となる「カミルバルト・ヨナターン」(当時27歳)は、自らウルバン南征軍を迎え撃つべく軍を纏めて国境の砦に向かった。
この援軍はギリギリのタイミングで開戦に間に合い、砦は喜びと興奮に沸き返ったという。
◇コラム・ミロスラフ国王の父
国王ノルベルサンドの父となる先王は、色々なしでかしを起こした国王として数々のエピソードを残している。
当時開発の目途が全く立たなかったペツカ地方の開発に大金を投じて国庫を傾かせたり、大量の女性と付き合った事を認めてお家騒動の種をまいてみたりと、彼の在位中には王城は常に右往左往させられていた。
そんな彼の最後のしでかしは、国中が建国百年に沸く記念すべき元日の朝に突然の心臓発作でこの世を去った事である。
当時の記録にも「あまりにも間の悪い突然の訃報に、国民達は何とも言えない微妙な気分となった。祝賀式典のために用意された料理は全て片付けられ、商人達は山と積まれた酒樽の在庫に頭を抱えたのである」と記されている。
◇カミルバルト国王の新年戦争
新年も明けて六日。その日は朝から快晴であったと記録に残されている。
この日、ミロスラフ王国の国境の砦では、後に「カミルバルト国王の新年戦争」と呼ばれる戦いが始まろうとしていた。
ウルバン南征軍・公称五万(実際は四万だったとも三万しかいなかったとも言われている)。
対するはミロスラフ王国軍・三千八百。
その戦力差はおよそ十倍。
数の上では圧倒的に王国軍が不利であった。
戦いはウルバン南征軍が白銀竜兵団を前面に押し出したところから始まった。
これは小ゾルタで何度も勝利を得たウルバン南征軍必勝のスタイルだった。
ただしここには小ゾルタには無い、特別な存在がいた。
ファーストドラゴン・ハヤテである。
記録によると、ハヤテは開戦後瞬く間に白銀竜兵団を滅ぼした、とある。
最近の研究では白銀竜兵団の兵力は五百とも七百ともされているため、いくらドラゴンの能力をもってしてもそれらを短時間で壊滅させたとは考え辛い。
現在ではハヤテが討ち取った兵士は一部で、残りの者は彼に恐れをなして、装備を棄てて逃げ出したのではないか、と見られている。
ドラゴンの存在をろくに知らない帝国兵にとっては、ハヤテの姿は恐ろしいものに見えたに違いない。
昔の迷信深い人間にとっては彼は化け物にも悪魔にも思えたのかもしれない。
実際に当時従軍した帝国兵の回顧録にも、ハヤテを恐れる兵士達の様子がありありと記されている。
ウルバン南征軍は雪崩を打ったように壊走した。
王国軍のカミルバルト(当時の記述では「カミル将軍」とされている事が多い)はこの機を逃さず、全軍による追撃を命じた。
カミルバルト本人が先頭に立って兵を率いたこの追撃戦は、小ゾルタの奥深くにまで及んだ。
だが、これ以上の深追いは危険が多いだけで得るものが無いとして、全軍翌日には砦に戻って来ている。
この戦いでウルバン南征軍は全軍の約20%にあたる約八千の被害を出したとされている。
対してミロスラフ王国軍の被害は約四百。
ミロスラフ王国軍の圧倒的な大勝利であった。
この戦いの後、ウルバン南征軍は帝国皇帝ヴラスチミルの命令で帝国本土に引き上げる事になるのだった。
◇帝国南征戦争・その他
帝国南征戦争は、開幕当初の快進撃からは予想もつかない劇的な最後を迎えた事で、多くの人の心を掴む魅力的なテーマとして、昔から盛んに研究が行われている。
ここでは中でも有名な説をいくつか紹介したい。
〇ランピーニ聖国・黒幕説
この戦いの背後で糸を引いていたのがクリオーネ島のランピーニ聖国だという説である。
根強い人気を誇るこの説は、前述のクリオーネ島ドラゴン起源説もあって未だに強く支持されている。
帝国の力が弱って得をするのは、ペニソラ半島の次に狙われる聖国である事もこの説の説得力を増す要因となっている。
〇チェルヌィフ王朝・黒幕説
こちらも先程の説に並んで昔から人気のある説である。
もちろんこの説の根拠は、当時王朝と帝国が国境を接して互いに敵対していたからである。
この後ドラゴン・ハヤテが王朝を訪れ、王家の部族に関わっている事がこの説を裏付けているとも言える。
〇カミルバルト国王・陰謀説
カミルバルト国王が兄王を蹴落とし、国王の座に就くために帝国を利用したとする説である。
ドラゴン・ハヤテの戦力があったとはいえ、たった一匹のドラゴンが五万のウルバン南征軍を壊走させたのは出来過ぎというのがこの説の根拠となる。
カミルバルト国王とウルバン将軍が協力して一芝居打ったとも、カミルバルト国王が皇帝ヴラスチミルにミロスラフ王国を売り渡す事を条件に協力を要請したとも言われている。
どちらの場合も証拠となる書簡等は両国から一切発見されていない。
〇ナカジマ家・巻き込まれ説
もしウルバン南征軍がミロスラフ王国の砦を抜いていたら、直接王都に向かうのではなく、西に大回りしてナカジマ領を目指す可能性があったとする説である。
根拠としては当時のナカジマ領は開発のための物資が集められていた事と、西の街道には砦が存在しなかったため、防衛力に難があった事である。
そのためナカジマ家としてはどうしてもウルバン南征軍を国境の砦で食い止めなければならず、ハヤテは竜 騎 士のナカジマ家当主に頼まれて無謀な戦いに挑んだ結果、運良く勝利出来たというものである。
根拠としては十分なものの、たまたま勝てたという部分に引っかかりを感じるのか、ドラゴン・ハヤテを信奉する者からは特に支持されない説である。
本日は3月19日。今日が何の日だか知っていますか?
実はこの作品の第一回目の更新日。つまり「四式戦闘機はお嬢様を乗せ異世界の空を飛ぶ」の誕生日なんです。
知っている訳ないって? そうですよね(笑)。