エピローグ 日常、そして・・・
今回で第七章が終了します。
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夜。帝国軍の陣地から二人の兵士が抜けだした。
「急げ。こっちだ」
月明かりがあるとはいえ、地面には黒々と草木の影が落ちている
よほど夜目が鍛えられているのか、そんな中を二人は危なげなく全力疾走している。
その能力から彼らが腕利きの諜者である事が分かる。
ランピーニ聖国に限らず、周辺国は帝国軍の中にそれぞれ諜者を潜り込ませていた。
彼らはチェルヌィフ王朝の送り込んだ諜者であった。
彼らがたどり着いたのは昼間、ハヤテが謎虫と呼んだ生き物が落下した場所だった。
帝国軍は他の謎虫の襲撃を警戒し、この場所を調べる事もせずに急いで通過したのである。
「ここだ。間違いない」
「頭か胴体を探せ。いや待て、見つけた。頭だ」
「こっちは胴体を見つけた。手分けして探そう」
男達は大型ナイフを手に、謎虫の体を切り開いていった。
「あった! 魔核だ! やはりコイツはネドマだったんだ!」
叫んだのは胴体を調べた男の方だった。
ネドマ。その言葉を耳にした男の背がおぞましさにブルリと震えた。
「だが空を飛ぶネドマなど聞いたことが無いぞ」
「これを見ろ。間違いなく魔核だ。魔核がある事こそコイツがネドマである証拠だ」
男は手にした直径10cm程の塊を月明かりに透かした。
赤く濁った水晶のようにも見える。
これが男の言う魔核なのだろうか。
「魔核は魔境の生物の体内にしか存在しない器官だ。コイツは”ネドモヴァーの節”で海を渡って大陸にたどり着いた魔境の生物、ネドマに違いない。そしてそのネドマを一撃で屠るドラゴン・ハヤテの力――」
「・・・至急叡智の苔様にお伝えしなくては」
彼らは帝国軍で謎の化け物と呼ばれている存在がミロスラフ王国のドラゴンである事を――それもハヤテという名である事も知っているようだ。
武力に驕り、ミロスラフを小国と侮り、自分達の力を過信した結果敗北したミュッリュニエミ帝国。
そんな帝国に比べ、チェルヌィフ王朝は情報の持つ力というものを良く知っているようだ。
男は魔核を石の上に置き、ナイフの握りを叩きつけた。
魔核は粉々に砕け散った。
「これでいい。王朝に戻ろう」
この夜、二人の帝国兵が姿を消した。しかし彼らの失踪が注目を集める事は無かった。
今や帝国軍からは毎日のように脱走兵が出ていたからである。
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憂鬱だった戦争も終わり、戦後処理が忙しい中にも僕の日常が戻って来た。
『オットーはここにいるか?!』
僕のテントに元気なお爺ちゃん――ユリウス元宰相が入って来た。
ユリウス元宰相の声にオットーの背筋がビシッと伸びる。
現在ユリウス元宰相はナカジマ家の食客。というかオットー達の教育係のような仕事をしてもらっているのだ。
『ここにいま――』『ナカジマ領への着任時に周辺の領地に挨拶を送っているだろう。何を付け届けにしたか教えろ!』
若干食い気味にユリウス元宰相に詰め寄られて、オットーの挙動が怪しくなった。
『付け届けですか? ・・・挨拶の書状は送りましたが、そのような物は送っておりませんが?』
『やっぱりか! 馬鹿者が! 今からでも遅くない、何か気の利いたものはないのか?!』
今日の先生の課題は貴族領主同士の袖の下のアレコレらしい。
魚心あれば水心。この世は銭や。銭で買えへんもんはないんやで。
ユリウス元宰相の言葉にオットーは困った顔になった。
ナカジマ領代官のピンチに領主のティトゥが助け船を出した。
『それなら聖国のカサンドラ様から頂いた陶器がありますわ。でもどれが良いものか私達には分かりませんの』
聖国のカサンドラという言葉にユリウス元宰相の眉がピクリと跳ねた。
しかしユリウス元宰相はその話は後回しにする事にしたようだ。彼は何も言わずにオットーに向き直った。
『オットー、案内しろ。ワシが鑑定してやる』
『お願いします。こちらへ』
こうして二人は僕のテントを出て行った。
『何でこんな場所にしまっているのだ!』
あ、またオットーが怒鳴られているね。ご愁傷様。
二人はすぐに戻って来た。もう見て来たのか。いっぱいあったと思ったけど案外早かったね。
『早かったですわね』
ティトゥの言葉にユリウス元宰相はかぶりを振った。
『高価過ぎて使えません。あんなものを贈れば逆に痛くもない腹を探られるはめになるでしょう』
そうでしょうね、とばかりに頷くメイドのモニカさん。
あなた知ってたなら最初に教えてあげなさいよ。
まあ確かに。あまり高額過ぎる贈り物を貰ったら、喜ぶよりも先にどんな裏があるのか不安になるのが人情ってもんだよね。
『当主殿、ああいう高価な品はそれにふさわしい場所にしまっておくものです。塩漬け魚の樽の上に置いて良いものではありませんぞ』
ユリウス元宰相はティトゥに対してもこうして何かと小言を言ってくる。
そのためティトゥは若干この人を煙たく思っているみたいだ。
何というか、お転婆姫様と口うるさい爺やみたいな関係?
ちなみにメイド少女カーチャは、自分の代わりにティトゥに言ってくれる人が出来て頼もしく思っている様子だ。
『空いている家がないから仕方がないですわ』
『あの中の陶器ひとつで家くらい建ちますぞ!』
ティトゥは漁村での暮らしがあまり苦でないのか、建築のリソースは開拓村の方に回している。
何ともタフなお嬢様だ。
貴族のお嬢様ってもっと蝶よ花よと育てられて、上げ膳据え膳の生活でないとダメなのかと思っていたよ。
『そんな生活は息苦しいだけですわ』
『そんな事を言っていてはいけません。あなたはこのナカジマ家の当主なんですよ。それにふさわしい生活が必要です。あなたの恥はあなただけの恥ではないのです。親兄弟一族だけでなくこの領地の者達全てが軽んじられるのです』
ユリウス元宰相の有難いお小言を、横を向いて聞こえないふりをするティトゥ。君は子供か。
『人間の格式なんてドラゴンには関係ないですわ。そんなものに気を配る暇があるなら私はハヤテと心を通わせる時間に使いますわ』
僕の名前が出たことで思わず僕の方を見るユリウス元宰相。
どうもこの人は僕の事を苦手にしているみたいなんだよね。
僕が謎生物過ぎて距離感を測りかねているのかもしれない。
こういう所は何となくティトゥパパを思い出すね。
『お主からも自分の主に言ってくれんか?』
『サヨウデゴザイマスカ』
僕の返事に困った顔をするユリウス元宰相。
『ご当主様! あっ、ユリウス様!』
『どうしたんですのベアータ』
テントの中に小柄な元気っ子ベアータが入って来た。
まあ元気っ子て年齢でもないんだけどね。
これでティトゥと同い年っていうんだから何だかな。
ちなみにユリウス元宰相はベアータの料理を割と気に入っている様子だ。『ここの料理人は腕前はともかく、味は王城の料理を超えている』って褒めていたしね。
けど、本当にこの人がカミル将軍の言ってたように、僕達を警戒して裏であれこれ手を回していた人なんだろうか?
話に聞くほど腹黒い人には見えないんだけど。
立場は人を作る、と聞くけど、ひょっとしてこの人もそのパターンだったのかもしれない。
カミル将軍のパパはかなりのしでかし国王だったみたいだから、そんな人を上司に持って頑なになっていたのかもしれないね。
『ご当主様! ハヤテ様から教わった新しいメイカを作ってみました! どうぞお召し上がりください!』
『これは・・・面白い形ですわね』
このお菓子は”銘菓ひよ子”をモチーフにした創作お菓子だ。
この世界ではまだ卵が安定供給されていないので、皮の部分はパンみたいな生地になっている。
そのせいか元のひよ子より若干大きめになってるようだ。
『ユリウス様もどうぞ!』
『ふむ。素朴な形だが、愛嬌があるな。食べやすいのもいい』
長年王城で一流コックの作る料理を食べ慣れているユリウス元宰相にも好評のようだ。
”ナカジマ領地元の銘菓シリーズ”の候補に入れてもいいかもしれない。
そうだな。これは”銘菓ナカジマひよ子”と命名しよう。そこ、そのまんまとか言わないように。
『いいですね! メイカ・ナカジマ・ヒヨコ!』
僕の提案にベアータはガッツポーズを取った。
こうやって独創的な(いやまあ元の世界のお菓子のパクリなんだけど)銘菓を次々と生み出し、いずれはナカジマ領をお菓子の里として国中にその名をとどろかせる。それが僕とベアータの目標なのだ。
『あなた達そんな事を企んでいたんですのね』
ティトゥは”銘菓ナカジマひよ子”を頬張りながら、盛り上がる僕達を呆れ顔で見ていた。
この次の日からナカジマ領には雪が降り続いた。
そしてすっかり雪に覆われてしまうのだった。
流石にこの雪が消えるまで僕の飛行はお休みである。
本当に戦争が終わったのはギリギリのタイミングだったんだね。あぶないあぶない。
こうして僕は雪に閉じ込められたコノ村で、この異世界に来て初めての長期休暇を迎えるのだった。
第六章からほぼ連続で長期間お付き合い頂きありがとうございました。
今回で231話となります。200話到達の読み切りを書いたのがついこの間なのに、もう30話も書いているんですね。
これもみなさんの応援が私の執筆を後押ししてくれたからに他なりません。
本当にいつもありがとうございます。こんな長い作品、自分一人の力だけではとても続けられませんから。
まだブックマークと評価をされていない方がいらしたら、今からでも遅くありませんのでよろしくお願いします。
この後は何話か閑話を挟んで第八章を始めたいと思います。
この作品をいつも読んで頂きありがとうございます。