その22 王城を去る者
◇◇◇◇◇◇◇◇
ミロスラフ王国王城。
今朝、国境の砦から早馬が到着した。なんとミロスラフ王国軍が帝国軍を撃退したという。
カミル将軍の勝利は、暗く淀んだ王城の空気を瞬く間に吹き飛ばした。
噂はあっという間に王城内を駆け巡り、みな「流石はカミル将軍!」と、将軍の才気と実力を褒めそやした。
そんな久しぶりに明るい雰囲気に包まれる王城の中、一人ユリウス宰相は自分の執務室で残務処理を続けていた。
もう書類も残り少なくなった時、執務室にノックの音が響いた。
コンコンコン
「入れ」
仕事の手を休めずに無造作に声を掛けるユリウス宰相。
ドアが開くと胡散臭い笑顔を顔に貼り付けた男が入って来た。
ユリウス宰相の知らない男である。
「誰だお前は? 見かけない顔だが」
「お初にお目にかかります。チェルヌィフのしがない商人、シーロと申します」
シーロと名乗る男の説明によると、彼はチェルヌィフ商人の伝手を辿って皇后ペラゲーヤに謁見する段取りを付け、今日ようやく面会がかなった所なのだという。
ユリウス宰相はシーロの話を聞き、鼻で笑い飛ばした。
「それは残念だったな。せめて後半年早ければ旨味もあったろうに」
「ごもっともです」
皇后ペラゲーヤはチェルヌィフ王家の遠縁にあたる有力貴族の生まれだ。
彼女がこの国の国王の下に嫁ぐ際、チェルヌィフ商人のネットワークと密かにつながりを持った。
密かに、とはいうものの、もちろんその事をユリウス宰相は知っている。
相手も知られている事を前提に動いているのだ。要は化かし合いである。
どうやらこのシーロという男は最近そこに加わった新顔らしい。
しかし、国王ノルベルサンドが崩御した現在、王国におけるペラゲーヤ皇后の権限は失われたに等しい。
葬儀が終われば国に帰るか、政務から切り離されて離宮に入るかのどちらかを選ぶ事になるだろう。
つまりシーロはすっかり出遅れてしまったのである。
「今の立場を得るためにいくら使った? 気の毒な事だな。いや、ここに来たという事は、ワシに顔つなぎをして少しでも損失を取り戻そうと考えたのか? 小賢しいが、考えとしては悪くない。だが、残念ながらそれも時期を逃したな。お前はとことんツキの無いヤツだよ」
ユリウス宰相は今の残務処理が終われば王城を去る事になっていた。
そのための手続きは既に終わっている。
カミル将軍が新国王になれば王城に彼の居場所は無くなるからだ。
正確に言えば、このまま宰相としてここに残れば、新規勢力となるカミル将軍に対抗する旧勢力の中心としての立場に担ぎ上げられてしまうのが分かっている。そうならないために、ユリウス宰相は自分から王城を去る事にしたのである。
国の安定を理想とするユリウス宰相にとって、自分が国を割る原因となるなどもっての外であった。
「勿体ないですな。宰相閣下のお力あってのミロスラフ王国でしょうに」
「ワシとていつまでも命があるなどと己惚れている訳ではないわ。後事を託す者の育成は済ませておる。今後は部下共がワシに代わって新しい国王陛下の下で十分に役目を果たすだろうよ」
部下の一人一人はユリウス宰相の実務能力に届かない。
しかし、組織として動く事で十分に宰相を超える働きが可能だ。ユリウス宰相がそのように育て上げたのである。
もちろん長期的な展望や判断力においてはユリウス宰相に代わる人材はいない。
しかし、今後それは国王となったカミル将軍自らが行うであろう。
今までユリウス宰相が行っていたのは、前国王にその能力がないと思われていたからである。
そういう意味でもユリウス宰相の居場所はもうこの王城にはないのである。
「宰相の座はワシの息子が継ぐ事になる。あれは与えられた仕事なら十分にこなせる男だ。カミル将軍にはワシよりもむしろ使い勝手が良いだろうよ。」
「それで宰相閣下は今後どうされるおつもりなのですか?」
「さてな。実はよもやこれほど急に引退する事になるとは思ってもいなかったのだ。子供達もとうに独り立ちして妻にも先立たれている。そうだ。お前がどこか住みよい場所でも知っているなら世話してもらっても良いぞ?」
ユリウス宰相としては特に期待して聞いた訳では無い。
さしものユリウス宰相も、長年尽くした王城を去るに際して少し孤独な気分になっていた。
そんな時、この図々しいがどこか愛嬌があって憎めない男との会話に心がほだされてしまったのだ。
シーロはユリウス元宰相の言葉に、待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「実は私の方から宰相閣下にそのお話をしたいと思っていたのです。これは僥倖。よもや閣下の方から水を向けて頂けるとは」
「なにっ? どういう事だ?」
警戒するユリウス元宰相。
シーロが懐から取り出したのはペラゲーヤ皇后からユリウス宰相に宛てた書状だった。
そこには宰相の能力がこのまま野に埋もれるのを惜しむ気持ちと、新たな土地で辣腕を振るう事を望む思いが綴られていた。そして最後にシーロに任せるので良くして欲しいと書かれていた。
要は、シーロが宰相の新たな働き先を紹介してくれるのであなたはそこに行って下さい、と書かれていたのだ。
ユリウス宰相の視線は皇后の書状とシーロの顔の間を何度も往復した。
「・・・ワシをチェルヌィフにスカウトするつもりか? 王城を去るとは言ったが、この歳でいまさら他国に仕えるつもりはないぞ?」
シーロは小さく肩をすくめてかぶりを振った。
「それも良い考えです。しかし、自分の祖国の事をあまり悪く言いたくはありませんが、あの国はちと気候が厳しいのですよ。お年を召された閣下がお住まいになられるのは大変でしょう。それに私は閣下の能力を活かすにはもっと別の場所が相応しいと考えていますので」
「チェルヌィフではない? いいだろう。聞こう」
シーロの提案した相応しい場所とはユリウス宰相の予想もしない場所だった。
「なっ・・・ ナカジマ領だと?!」
「はい。閣下の能力が最も活かせる場所はあそこ以外にありません」
胸を張って堂々と言い切るシーロ。
ユリウス宰相はこの胡散臭い男の真意が掴めず、ポカンと口を開けて呆ける事しか出来なかった。
「実のところ、私は皇后様にお会いして、何かしらナカジマ家にお力添えを頂けないか頼むつもりだったのです。しかしそれもこのようなご時世となって、かなわなくなりました。あの方も私を気の毒に思われたのでしょう。せめてもと閣下を私に推薦して下さったのです」
なる程。この男は元々ナカジマ家に何かしらの口添えを頼むために、皇后様に面会を申し出ていたのか。
ユリウス宰相はやはりそれでもシーロの考えを図りかねていた。
「それでお前に何の得がある? 商人としてのお前の利はどこにある?」
シーロの行動はナカジマ家の家臣としては何らおかしくない。しかし、チェルヌィフ商人としては理解し難い。
そこに彼が得る利益が見えないからである。
「失礼ながら閣下は竜 騎 士のお二方をご存じないご様子。私も最初はあの方達に命を救われた事がきっかけで、ナカジマ領を訪れました。もちろん今でも恩を返すつもりはございます。しかし実際にナカジマ領を見、あの方達のなされた事、築き上げた物、それらを目の当たりにした事で私の中に、あの方達の思い描く未来を手伝いたい、そんな強い思いが浮かんだのです。一言で言うならば――」
ここでシーロは少し言葉を探した。
「あの方達はぶっ飛んでいる。これに尽きますな」
ユリウス宰相にとってシーロの説明は納得出来るものではなかった。
しかし、ナカジマ家の当主がこの男を強く魅了しているという事は理解出来た。
「・・・お前の言う事はワシには分からん。しかし、ワシの事を気にかけて下さった皇后様のお心を無下にする事は出来ん」
そう言うとユリウス宰相は机の上に残った最後の書類にサインをした。
これで残務処理は全て終了である。
「どうせここを去る身だ。一度くらいお前に騙されてやる。案内するがいい」
「アザース。勿体ないお言葉」
ユリウス宰相の言葉に慇懃に腰を折るシーロ。アザースという聞き慣れない言葉にユリウス宰相は眉をひそめたが、特に追及する事は無かった。
ユリウス宰相は部下を呼んでシーロの部屋を用意するように告げるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
残務処理が終わったからといってすぐに王城を発つ事は出来ない。
結局ユリウス元宰相がシーロに連れられて王城を出たのは、それから二日後の事だった。
元宰相となったユリウスが馬車に揺られてナカジマ家の屋敷?のあるコノ村に到着したのは、それからさらに五日後の事である。
ユリウス元宰相が各開拓村の様子を事細かに視察していたからである。
「想像していたよりも遥かに開発が進んでいる。・・・どういう事だ?」
確かにナカジマ家には最初に王家から幾ばくかの運営資金を渡している。
しかしユリウス元宰相の見積もりでは、とてもではないがあの額ではこの規模の開発は不可能なはずなのだ。
一ヶ所の開拓村に集中して投資しているというのならまだ分かる。しかし、八か所全てが同じように開発が進んでいたのだ。
しかも開拓村で出会った土木学者のベンジャミンという男が言うには、ナカジマ家では現在、海側の湿地帯の開発にも手を付けているという。
さらにナカジマ領を走る街道は、まだ工事中とはいえ、いずれ国内のどの街道よりも広く整うことが目に見えていた。
どうやら開発に並行して街道の拡張と整備も行っているらしい。
開発ラッシュに沸くナカジマ領を視察しながらユリウス元宰相はずっと首をかしげていた。
ナカジマ家のこの豊富な開発資金は一体どこから出たのだろうか?
ユリウス元宰相達を乗せた馬車は海辺の漁村を目指していた。
「おい、なぜ真っ直ぐに行く。さっきの村で町はこっちだと聞いたぞ」
窓の外を指差すユリウス元宰相。
彼の指差す方向にはポルペツカの町に向かう街道があった。
ユリウス元宰相の疑問にシーロが答えた。
「もう昼も回りましたからね。今日はご当主様にご挨拶をして、ポルペツカの町を見に行くのはまた後日にしましょうや」
「・・・そうか。お前に任せる」
シーロの口調はすっかり砕けている。元々図々しい男なのだ。
ユリウス元宰相もシーロの好きにさせていた。今の彼は公人ではないからだ。
とはいえ彼は今でも上士位の貴族なので、ユリウス卿と呼ばれる地位にはあるのだが。
やがて彼らを乗せた馬車は小さな漁村に到着した。
シーロが村の入り口で騎士団の男達とやり取りをしている間、ユリウス元宰相はなぜ自分がこんな場所に連れて来られたのか理解出来ずに不思議そうな顔をしていた。
当主に会うと言われたので、当主の治める町に案内されるものだとばかり思っていたのだ。
迂闊にもユリウス元宰相はこのペツカ地方にはポルペツカしか町がないという事を失念していたのだ。
やがて馬車が動き出し、村に入るとすぐに止まった。
それほど小さな村なのだ。
シーロは行儀悪く窓から上半身を乗り出すと、大きな声で叫んだ。
「ご当主様! お客人をお連れしましたよ!」
嬉しそうなシーロの視線の先。そこには外でハヤテをブラッシングしているティトゥの姿があった。
「ええと、どなたですの?」
どうやらティトゥは宰相の顔を覚えていなかったようだ。
ユリウス元宰相は、そんな事よりもなぜナカジマ家の当主がこんな漁村にいるのか理解出来ずに混乱するのだった。
次回「もう一つの可能性」