その2 行軍始まる
いよいよ帝国軍が動き始めた。
眼下に見える街道を南下する帝国軍の群れ。
帝国軍、と言うと何となく統一された軍服で一糸乱れぬ行軍をしている姿を想像してしまいそうになるが、現実の帝国軍は雑多な服装の人間の寄せ集めでしかない。
ぶっちゃけ大勢の人がゾロゾロと街道を歩いているようにしか見えない。
冬場のせいかマントを羽織っている人が多いので、そこに統一感を感じるくらいだ。
まだまだ生産力が低いこの世界では、統一された装備を持つ万単位の軍隊など夢のまた夢なのだろう。
とはいえ数は力だ。
これだけの人数が一斉に掛かれば止められる者はいないだろう。
ましてや相手は武装した侵略軍なのだ。
決して兵装だけで侮ってはいけない。
『遂に動き始めたんですわね・・・』
いつまでも途切れない人の流れに、ティトゥがゴクリと喉を鳴らした。
ちなみにこれほど街道を埋め尽くしておきながら、最後尾はまだ王都の周りのキャンプから出ていない。
さすが五万人と言われる南征軍だ。
確か東京ドームの観客数が五万五千人だったっけ。
昔一度だけ友達に誘われて巨人戦を見に行った事があるけど、試合終了後には水道橋駅までズラリと人の流れが続いていて驚いた記憶がある。
東京ドームの観客であれだけの長さになるんだから、武器も荷物も持った帝国兵の隊列はさらに長いものになっているに違いない。
僕は一度列の先頭まで飛んで、全体を確認してからオルサークへと飛んだ。
『帝国軍が動き始めましたか。分かりました、すぐに出ます』
屋敷の外まで騎士団と共に僕を出迎えに出ていたオルサーク家三男のトマスは、ティトゥから帝国軍の話を聞くとすぐ部下に馬を出すように指示を出した。
ていうか、君も前線に出るつもりなの?
『さすがに戦いには参加しませんよ。しかし、オルサークから指示を出していては間に合いませんから』
自分の年齢は分かっています、と苦笑するトマス。
いやいや、前線に出るだけでも大したものだって。本当にこの子は大人びているよね。
トマスは簡単に引継ぎを済ませると部下が引いてきた馬に跨った。
このまま馬をとばして前線の部隊と合流するんだそうだ。
ランピーニ聖国のマリエッタ王女もそうだったけど、この世界の子供は精神の成長が早すぎじゃない?
ティトゥは屋敷に案内されていった。オルサーク家の長男相手にメイドのモニカさんを交えて打ち合わせをする予定である。
僕はティトゥが戻り次第、一度コノ村に戻る事になっている。
代官のオットー達に帝国軍の動きを伝えるという目的もあるのだが、実は今回の本命はそちらじゃない。
料理人のベアータを拾いに行くのが目的なのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
屋敷の応接間。臨時作戦本部と化したこの部屋で、オルサーク家の長男マクミランがティトゥと打ち合わせを行っていた。
「部隊の配備は済んでいます。トマスが向かうウルバ村を拠点としてココとココ。そしてココの計三か所に部隊を分散・配備させています」
マクミランが指し示す地図上の位置を、ティトゥはメモ代わりの端切れに書き込んでいく。
「しかし、最初から部隊をこんな風に分散させては、実際に戦いが始まってしまった時に連絡が――あ、いえ、何でもありません」
マクミランは末の弟のトマスから「ナカジマ様がやると言ったら、それはやれる事だから、こちらが疑問をさしはさむだけ無駄な行為だ」と聞かされていた。
今のは言葉の途中でそれを思い出したのである。
「諜者からの連絡はありませんの?」
「ご指示通り無理はするなと伝えてありますので。しかし、行軍が進んで部隊間の距離が開けばあるいは」
マクミランは帝国軍からの兵糧の要求に応える際に、兵糧を積んだ荷車を運搬する人工に諜者を紛れ込ませていた。
とはいえこれは彼の独創的なアイデアという訳ではなく、多かれ少なかれ大抵の領主がやっている事である。
帝国軍がゾルタの貴族である彼らに帝国軍の内情を教えるはずもない。
TVのニュースも新聞も無いこの世界では、情報を知りたければこうして自分の手で得るしかないのである。
ハヤテは空の上から一方的に相手の情報を得る事が出来る。しかしこれでは全体を外から見た情報しか得られない。
そしてハヤテは帝国軍の内部情報を強く望んでいた。
素人のハヤテにとって、外から見ただけでは軍隊の弱点などは良く分からないからである。
しかし本来であれば、リアルタイムに相手の部隊の位置やその編成が分かるだけでも、この世界の感覚では破格な程の優位性なのだ。
であるにもかかわらず、ハヤテは徹底的に相手の情報を丸裸にするまで納得しない。
もちろんこれはさっき言った通り、ハヤテが素人であるがゆえに、情報を集める事で心の不安を埋めようとしているだけに過ぎない。
しかし、事情を知らないマクミランなどの目には、戦いに対してどこまでもどん欲な姿と映り、そんなハヤテの恐ろしさに背筋を凍らせる事となっていた。
ドラゴンを敵に回してはいけない。
戦いが始まる前から既にマクミランはハヤテを畏怖していた。
「これから一度ナカジマ領に戻りますが、今日中に攻撃を仕掛けますわ」
「分かりました。他家への連絡と調整はお任せ下さい」
ここでティトゥはモニカの方を見た。
「私はもう少しここでマクミラン様のお手伝いをいたします」
「そうですか。よろしくお願いしますわ」
ティトゥは、今マクミラン様の笑みが引きつった気がしたけど気のせいかしら? と、少し首を傾げながら部屋を後にするのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そんなこんなで僕達はコノ村へと戻って来た。
『帝国軍が動き始めましたわ!』
『・・・遂に始まりましたか』
僕のテントからティトゥを出迎えに出ていた代官のオットーが厳しい顔になった。
周囲で二人の話を聞いているナカジマ家の使用人達が不安げに顔を見合わせている。
『今から攻撃に向かいますわ! ベアータを呼んで頂戴!』
『わ、分かりました!』
慌てて駆け出すメイド少女のカーチャ。
僕はこの間に散布増槽を翼の下に懸架した。
丁度そのタイミングで建物からベアータが飛び出して来た。
狭い村もこんな時には便利だね。
『お待たせしました! それで火壺はいくつ持って行きますか?!』
『そうですわね。念のため五つ持って行きましょう』
ベアータが準備をしている間にティトゥはカーチャに頼んで髪を纏めてもらっている。
『出来ました』
『どう、ハヤテ。似合っているかしら』
おおっ。髪を上げたティトゥも新鮮でいいじゃないか。
なんというか清楚な美人って感じがして大人びて見えるよ。
『タイヘン、コノマシュウ、ゾンジマス』
『だったらいいんですわ』
僕の褒め言葉が嬉しかったのか鼻高々なティトゥ。
そんな事をやっている間にベアータの支度が終わったようだ。
『では攻撃に向かいますわ!』
いつものようにティトゥが乗り込み、その膝の上にベアータが座る。
僕はエンジンをかけると、みんなに手を振られながらコノ村を飛び立つのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
帝国軍はのんびりと街道を南下していた。
ゾルタの貴族は完全に帝国軍の軍門に下った訳では無いが、まさかこの五万の大軍に玉砕覚悟で挑んでくるほど愛国心の強い領主がいるとも思えない。
彼らは念のために周囲を警戒する騎馬隊に守られながらも、ゆっくりとミロスラフ王国を目指して南下していた。
「ミロスラフ王国はどのくらいの距離になるんだ?」
「確か五日程で国境の砦に着くとか言ってたな」
隊列の割と先頭近く。兵糧を積んだ荷車のそばを歩く二人がそんな会話をしていた。
「国境の砦か。けど我らが”白銀竜兵団”にかかればイチコロだろうよ」
帝国軍の誇る”白銀竜兵団”。
今やその名は、敵からは恐怖の象徴として、味方からは絶対の守護神として、兵達の口の端に上がるようになっていた。
「当然よ。それよりミロスラフはゾルタより金持ちだったらいいよな。俺はゾルタの王都ではあまり稼げなかったからなあ」
「お前は女ばかり狙ってたからだろうが。ミロスラフは春の戦いでゾルタに勝ったらしいからな。心配しなくてもきっと王都には金も美女もうなっているさ」
「そりゃいい。王都では若い女はみんな騎士団のヤツらに取られちまったからな。俺達にはブサイクか母ちゃんみたいな年の女ばかりだったからな。次は俺達もいい目をみたいもんだぜ」
別の兵も混ざり、下卑た笑い声を上げる男達。
そのうちの一人がふと不思議そうな顔をして空を見渡した。
「なあ、何か変な音が聞こえないか? 虫の羽音のような・・・」
その時男の目には、帝国軍の後方から猛禽のように翼を広げ、こちらに襲い掛かって来る巨大な何かの姿が映った。
「なっ! 何だアレは!」
巨大な影のたてるうなり声は、今や誰の耳にも明らかだった。
こちらに襲い掛かって来るその巨大な影に、腰を抜かしてへたり込む者も出ている。
グオオオオオオッ
「ひいいいいっ!」
一瞬のうちに巨大な影が頭上を過ぎると、彼らの上に異臭を放つしぶきが叩きつけられた。
「臭え! 何だこりゃ! 鼻が曲がりそうだぜ!」
「オエッ! 腐った水か? まさか今のヤツのションベンじゃないだろうな」
大騒ぎをする帝国兵達。あちこちで匂いを嗅いだり逃げ出そうとしたりと大混乱を起こしている。
「うろたえるな! 列に戻れ!」
遠くで騎士団の怒号が飛ぶが、とてもこの混乱を収める事は出来そうにない。
そんな帝国軍に先程の巨体が翼を翻し、再び襲い掛かって来た。
「また来たぞ! 逃げろ!」
一斉に辺りに散らばる兵士達。先程同様に巨大な翼は彼らの頭上を越え、今度は小さな何かを落として行った。
それは火の付いた小さな壺だった。
壺は兵糧を積んだ荷車のすぐそばに落ちて――割れた。
その瞬間、目がくらむほどの爆発が起こった。
爆炎は一瞬のうちに荷車を包み込み、さらに炎は流れる水のような速さで広がり、周囲の帝国兵達に襲い掛かったのだった。
次回「FA」