その30 チェルヌィフ商人ネットワーク
夜中、僕のテントにチェルヌィフ商人のシーロがやって来た。
相変わらず胡散臭い態度を崩さない男だ。何か彼なりのこだわりでもあるんだろうか?
『お久しぶりですハヤテ様』
確かに久しぶりだね。最近どうしてたの?
シーロはナカジマ領に腰を据える事無くあちこちブラブラしては、僕達に貴重な情報を伝えてくれるのだ。
『最近はオルドラーチェク領に行ってました。あそこのボハーチェクって港町で人と会う約束がありましたので。ついさっきコノ村に戻って来た所なんですよ』
ボハーチェクの港町は、僕の樽増槽を作ってくれたジトニークがいる町だ。
僕も何度も足を運んだ事がある。実際は飛んで行ったんだけどね。あくまでも慣用句的な表現で。
『本当はご当主様にもお目にかかってお話したかったんですが、今から出ないといけないんで』
今度のシーロの目的地はこの国の王都なんだそうだ。
なんとも忙しい男だね。
『ま、忙しくしていられるうちが華ってね。そんな訳でボハーチェクで仕入れた情報を先に誰かに伝えておこうと思いまして。こんな夜更けにご当主様の所に行く訳にもいかないし、俺は代官のオットー様に嫌われてますからね。で、こうしてハヤテ様の所に来たって訳なんですよ』
オットーは別に君の事を嫌ってはないと思うけど?
むしろ有難いと思ってるはずだよ。実際に以前そんな事を言ってたから。
まあ『仕事が出来る事は認めるけど、人間としては好きになれない』みたいな感じなのかもしれないけど。
『流石はハヤテ様。そいつはいい言い回しだ。俺も他所で使ってもよろしいですかい?』
僕の言葉に変に感心するシーロ。そんなに珍しい言い回しだったかな? 良く聞く言葉だと思うけど。まあ君が気に入ったのなら使えばいいよ。
『アザース。さて俺が仕入れた情報でしたかね』
ちなみにアザースはこのナカジマ領で地味に広まりつつある言葉だ。発端は僕。
僕が使ってた言葉を料理人のベアータが面白がってマネしてたら使う人達が増えちゃったんだよね。
どうやらシーロはボハーチェクの港町で、ミロスラフ王国内のチェルヌィフ商人ネットワーク的な組織にアクセスしたらしい。
『というか向こうから俺に声をかけてきたんですがね』
シーロが言うにはチェルヌィフ商人の間でもこのナカジマ領は話題になっているんだそうだ。
『とはいえヤツらはナカジマ領にパイプが無い。そこで俺に白羽の矢が立ったって寸法なんでさ』
白羽の矢が立った、って言っているものの、実はシーロは最初からそこを狙って動いていたようだ。
『そりゃそうでしょうよ。今後俺が何の商売をするにしろ、モグリってのはヤバい。この国にもいくらだって同胞は入り込んでますからね。そっちに筋を通しとかないと後が怖い』
本来であれば、大手商会の傘下に入って、そこから然るべき筋に連絡が行くそうだ。しかし、体一つでこの国にやって来たシーロにはその頼るべき商会が存在しないそうだ。
『いやまあ、心当たりが全く無い訳じゃあないんですがね。とはいえ、普通にやったらどうやったって、中抜きされたりそいつらの手柄にされるだけなのが目に見えてますから。直接連絡が取れるならそっちの方が絶対にお得だ』
どうやらシーロはナカジマ家との繋がりを安売りする気はないようだ。
むしろ最大限活かそうとしている。
もちろん大手商会の傘下に入って彼らの指示に従った方が彼の身は安全だろう。
しかしシーロはティトゥと僕に命を救われた借りを返すためには、それでは足りないと踏んだのだ。
直接取引はハイリスクだがその分ハイリターンだ。それを知っててシーロは敢えてその道を選んだんだろう。
『・・・まあいいじゃないですか、俺の話は。それで情報の話ですがね――』
シーロはモゴモゴと言葉を濁した。でも、僕の四式戦アイは、暗闇の中で彼の耳が赤くなっているのを見逃さなかったけどね。
「なん・・・だって? 皇帝はそんな事のためにこの戦争を起こしたっていうのか?」
『? どうしたんですか? ハヤテ様』
シーロの話を聞いて僕は自分の耳を疑った。
今回、ティトゥを始めとして多くの人を悩み苦しめている帝国軍の南征だが、その目的は帝国皇帝の個人的な虚栄心を満たすためだというのだ。
シーロによると来年は帝国建国100周年なんだそうだ。
といってもこれも噓っぱちで、本当は70年とかそのくらいだそうだ。要は記録が曖昧な所を良いようにごまかして、『ウチは100年の歴史がある国なんだぞ』と言ってるだけなんだとか。
で、今の皇帝の前の皇帝は、生前ずっとこの半島を制圧するのが夢だったらしい。
なんて迷惑な。
その前皇帝は何年か前に死んでいて、今の皇帝は『父の悲願を自分が達成』する事で前皇帝を超えようとしているんだとかなんとか。
ところがこれも怪しい話で、どうも前皇帝は息子である彼の事を嫌ってたらしく、生前は色々と難癖を付けては息子の即位を邪魔しようとしていたらしい。
要はウザい父親の成し得なかった偉業を果たす事で、『ざまあ』をやりたいがために皇帝は今回の南征を開始したんだそうだ。
・・・まあ本当は他にも色々と事情があるんだろうけど、皇帝の根幹にはその気持ちがあるのは間違いないらしく、帝国の中でも今回の出兵に批判的な声は多かったらしい。
その急先鋒だったベズジェク宰相が急死した――毒殺の噂あり――事で皇帝を止められる者がいなくなり、とうとう今回の出兵へと至ったんだそうだ。
なんだその話。
ただの親子の不仲で僕達がこんな苦労をしたり、ゾルタの人達が殺されたりしたって訳?
冗談じゃないぞ。
しかし、憤りを感じているのは僕だけで、シーロはさほど気にしている様子はないみたいだ。
チェルヌィフ王朝出身のシーロにとっては所詮は他人事――という訳でもなく、国王のような英雄なら私事で戦争を起こすのは当たり前だと思っているみたいだ。
言われてみればきっかけはともかく、戦争によって自国を豊かにする行為はこの時代の国王にとってはある種の義務みたいなものなのかもしれない。
・・・いや、やっぱり納得いかない。
僕の脳裏には昼間見たゾルタの王都の姿が浮かんでいた。
この寒空の下、家から焼け出された人達は凍えながら夜を過ごしているのだ。
そんな彼らの姿を思えば、こんな戦争を起こした皇帝の決断を認める事は僕には出来ない。
『ハヤテ様?』
おっと、いけない。急に黙り込んだ僕をシーロが訝し気な表情で見ていた。
『それでですね。今後ヤツらに協力する代償として、さっきの情報に加えて面白い物を頂いたんですよ。で、そいつを活かす為にも大至急この国の王都に向かわないといけなくなった訳でして』
そう言うとシーロは懐から取り出した書状をヒラヒラと振って見せた。
なるほどね。ここで彼が最初に言ってた『今から王都に向かう』って話と繋がる訳か。
『そういう事です』
シーロはその他にも帝国軍に関して知り得た情報を言うだけ言うとテントを去って行った。
宣言通り今から王都に向かうんだろう。
しかし彼はチェルヌィフ商人ネットワークに所属したくせに、その事を僕らにバラした上にこんなに情報を漏らしていって大丈夫なんだろうか?
いつか酷い事にならないといいけど・・・
僕はシーロのもたらした情報をゆっくりと整理しながらも、頭の片隅では帝国皇帝に対する怒りが沸々と湧き上がって来るのを抑えきれなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。最近特に冷え込む朝の寒さに難儀しながら、メイド少女カーチャが井戸まで水を汲みに歩いていた。
以前はこの時間になると、アノ村から手伝いに来た者たちが手伝いの仕事を探しては手持ち無沙汰にウロウロしていたものだが、最近では彼らはナカジマ家の仕事が始まる時間に合わせてやって来るようになっていた。
代わって焼け跡で働くポルペツカから来た作業員が、村の井戸を利用している。
実はカーチャが水汲みに行くと、少しでもナカジマ家に恩を返したい者が率先して手伝ってくれるので、カーチャは最近自分で重い桶を持った覚えが無いのだった。
バババババ
そんな朝の静けさを破ってハヤテの立てる轟音が鳴り響いた。
「ちょ・・・ ハヤテ様どうしたんですか?!」
テントからゆっくりと姿を現したハヤテの姿にカーチャは驚いて駆け寄った。
「テイコク。トブ」
相変わらず伝わり辛いハヤテの片言の言葉にカーチャは混乱した。
「帝国・・・ 帝国まで飛ぶっていうんですか? でも一体なんで?」
「一体どうしたんですの?!」
長い髪をとかしている最中だったのだろう、ティトゥがモッサリした頭で家から飛び出して来た。
「テイコク。トブ」
「帝国? 帝国軍の事ではないですわよね? 今日からは帝国軍の動きを注意しなければと、昨日相談した所じゃないですの」
「・・・」
珍しく不満をあらわにして聞き分けないハヤテに、ティトゥもカーチャ同様に戸惑いが隠せなかった。
次回「エピローグ 国王崩御」