その29 南征再開の予兆
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オルサーク家次男パトリクは、彼の兄マクミランからの呼び出しを受けて屋敷の応接室を目指していた。
「何だい兄貴、俺に用事って?!」
パトリクはノックも無く乱暴にドアを開け放った。
別に急な呼び出しに怒っている訳ではない。単に粗暴な性格なのだ。
現在屋敷の応接室は臨時作戦本部と化していた。
部屋にいるのは三人の男女。
彼の兄マクミランと弟のトマス。そして知らないメイドの女だった。
ちなみにさっきまでこの部屋にいたティトゥは、今はハヤテに乗って王都の帝国軍の監視に飛び立っていた。
「あなたがパトリク様ですか?」
「ああん? 誰だお前。メイドが口を挟んでんじゃねえよ」
横合いからメイドに口を挟まれてムッとするパトリク。
トマスが顔色を変えてあわあわとうろたえている。
「聞くところによると、ナカジマ騎士団とオルサーク騎士団による合同騎士団の編成に異を唱えていらっしゃるそうで」
「・・・それがどうした。当たり前だろうが。ここは俺達の国だ、余所者の下には付けねえ」
自分の視線を受けても意に介さず、柔らかな態度を崩さないメイドに警戒心を刺激されるパトリク。
「そうですか。指揮官であられるトマス様の指示であってもダメなのでしょうか?」
「・・・確かにトマスは父さんから騎士団の指揮を預かっている。だからトマスに従うのは構わねえ。だが、俺はナカジマ家には従えねえ」
「分かりました。では、あなたはこの作戦から離れてもらいます」
「「「なっ!」」」
柔らかな態度のメイド――モニカの宣言に言葉を失くすオルサーク三兄弟。
「トマス様、パトリク様は留守部隊への編入をお願いします。パトリク様の部下の振り分けはそちらにお任せします」
「待て! それはどういう事だ! 俺は騎士団の副長だぞ!」
一方的な人事に怒りをあらわにするパトリク。
しかし彼の怒りはモニカの涼しい顔に冷や汗の玉一粒浮かべる事は出来なかった。
「作戦に従えない者は必要ありません。軍事行動において上官に対する面従腹背は最も警戒するべき所。ましてや今回の作戦は一人の身勝手な行いが全体を窮地に陥れる危険性が高い。――要は私達にわがままな人間は必要無いのですよ」
「て・・・テメエ!」
メイドに面と向かってわがままと言われ、パトリクは額に青筋を浮かべた。
思わず平手で打とうと手を上げた彼だったが、上げた右腕に抱かれるように飛び込んだモニカに固まってしまった。
「止めましたか。意外と賢明ですね」
「もう止せパトリク! その人はナカジマ様の所のメイドだ!」
弟を止めようと立ち上がったマクミランだったが、それにしてはパトリクが不自然に体を硬直させている事に疑問を覚えた。
「お前・・・ 俺を殺すつもりだったのか?」
パトリクがゴクリと喉を鳴らすと、その喉元に突き付けられた細身のナイフが目に入った。
ナイフの刃は不自然に変色している。神経系の毒が塗られているのだ。
「私はメイドですよ。人を殺し屋みたいに言わないで欲しいものです」
この毒は、傷口から入れば人間の神経を冒して麻痺させる。
手足から入れば手足が麻痺し、喉から入れば喉が麻痺して声が出せなくなるのだ。
「言う事を聞かない相手には叩いて分からせる。そちらの流儀に従ったまでです」
モニカを黙らせようと先に手を上げたパトリクの事を言っているのは明白だ。
モニカはトマスからパトリクの人となりを聞いて、こうなる事を予想して事前に備えていたのだ。
モニカは別に剣士でもなければ武道の達人でもない。これは彼女の言葉通り、叩いて分からせるある種のパフォーマンスだったのだ。
モニカの予想通りパトリクは牙を折られた獣のように大人しくなった。
「トマス様よろしくお願いします」
「・・・分かった」
トマスはすっかりモニカに呑まれた兄の姿に、かつての自分の姿を重ねて深く同情した。
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僕はティトゥを乗せてゾルタの王都バチークジンカまで偵察飛行を行っていた。
オルサークの屋敷に残して来たモニカさんは大丈夫だろうか?
というか、モニカさん相手にオルサークの人達は大丈夫だろうか。
『ハヤテ?』
おっと、飛び過ぎてしまったみたいだ。
僕は機首を巡らせると今度は別の角度から王都の上空に侵入した。
王都は酷い有様で、半分近くの家が火事で焼け落ちている。
これから雪でも降れば、家を焼き出された人達は凍えて命を落とす事になるかもしれない。
この高さから見てもあちこちで身を寄せ合っている人達の姿が見える。
僕は痛ましさと自分の無力さに歯噛みする思いだった。
・・・ダメだ。今は偵察に集中しないと。
帝国軍の動きは特に変わりない様子だ。しかし、代官のオットーの予想だと、帝国軍は近日中に動く可能性が高いとの事だ。
『毎年新年を過ぎるとこの辺りでは雪が積もりますから』
最近たまに空からチラホラと降るようになった雪だが、年が明けると本格的に積もりだすんだそうだ。
もちろん多少の雪くらいでは帝国軍の行軍に影響はないだろう。けど、兵士の士気を考えると、指揮官としては街道に雪が積もる前に国境を抜いておきたいと考えるだろう、との事だ。
まあ確かに。
兵士としても雪の降り積もる中、屋根のある王都から出てミロスラフ王国まで行けと言われたら流石にテンションが下がるよね。
国境さえ抜いていれば仮に雪が積もり出しても、『もうじき王都ミロスラフだ! 暖かい家と温かい食い物があるぞ!』とかいう具合にハッパをかけられそうだしね。
『騎馬隊が動いてますわ!』
ティトゥに指差されて僕は帝国軍の一角を注視した。
本当だ。昨日まであの辺には沢山の馬が繋がれていたはずだ。
それがいないという事は、騎馬隊がどこかに移動したという事になる。
帝国軍――に限らず、この世界の軍隊の主力は歩兵のようだ。
専属の軍人が騎士団しか存在せず、兵士は各村々から徴兵された、いわば数合わせの素人なのはミロスラフ王国でもミュッリュニエミ帝国でも変わらないのだろう。
そんな中、騎馬隊は確実に職業軍人で構成されている。馬はコストのかかる生き物だからそれも当然だ。
その騎馬隊がいないとなれば、各部隊への連絡に使われているか、あるいは・・・
『南の街道に少数の騎馬隊がいますわ』
南の街道。ミロスラフ王国へ向かう街道だ。
やはり偵察部隊に使われているんだな。そして彼らが安全と先の地形を確認した所で本隊が出発する。
そう。遂に帝国軍が動き始めたんだ。
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帝国軍本隊の陣幕ではウルバン将軍が報告を待っていた。
ウルバン将軍は、堅実な用兵で常に味方を勝利に導いて来た優秀な将軍と知られている。
私心無く、賄賂も受け取らず、下にも理解を示すその公正明大な姿勢から、一般の兵からの支持も厚いと言われている。
しかし、そんな周囲の評価と裏腹に本人は自分の事をさほど高く評価してはいなかった。
堅実な用兵は単に発想力が乏しいだけだし、公正明大な姿勢も自分に兵を引きつける魅力が乏しい事を補うための方便――愛想をつかされないように振る舞っているだけ、に過ぎないと知っているからだ。
つまりウルバン将軍は”英雄”ではなく”秀才”だったのだ。
とはいえ、それでも彼が結果を積み重ねてここまで上り詰めた事には変わりはない。
その妥協を許さぬたゆまぬ努力と、自己を律する厳しい精神とが、彼を十分以上に非凡な将にしていると言っても差し障りはないだろう。
ウルバン将軍は灰色の雲の立ち込める空を見上げた。
思っていたよりも王都バチークジンカでの戦後処理に時間を取られてしまった。
本来であればもう王都を出ていてもいい頃合いだった。
実は周囲が思っているよりも帝国軍には余裕は無かった。それは食糧の問題もあったし、部隊全体に蔓延する厭戦気分の問題もあった。
帝国軍は勝ち過ぎてしまったのである。
五万の帝国軍とはいえ、そのほとんどは農村から徴兵された、今まで槍さえ持った事の無い者達である。
そしてその総兵数に比べ騎士団の数が圧倒的に少な過ぎたのだ。
皇帝は、軍自体の戦闘力を高めるよりも”帝国軍五万”という圧倒的な響きが持つ宣伝力の方を重視したのである。
ウルバン将軍はこの数だけはやたら立派な凡百な軍を任されるにあたって、皇帝に一つだけ懇願をした。
それはかつて帝国に存在した天才錬金術師が遺した、”ドラゴンアーマー”を使わせてもらいたいというものであった。
ドラゴンアーマーは軽く強靭ではあるものの、制作にやたら手間がかかるためにコストと釣り合わない、とベズジェク宰相に判断され、結局お蔵入りになっていた装備である。
ウルバン将軍は騎士団の中からエリート達を選りすぐり、ドラゴンアーマーだけの部隊”白銀竜兵団”を編成した。
ウルバン将軍らしからぬこの奇抜な発想は見事に当たった。”白銀竜兵団”はゾルタの部隊を相手に当たるを幸いに薙ぎ払い、敵の心が十分に折れた所を最後は五万の数の力で包み込んだ。
こうなれば帝国軍が練度の低い雑兵の集まりだろうが関係はない。
ただひたすら数の暴力で押しつぶすだけである。
こうしてゾルタの王都バチークジンカまでをも陥落させた帝国軍だが、ここで騎士団を”白銀竜兵団”に集めた事による部隊の指揮官不足が彼らを苦しめる事になった。
平民の兵をコントロールする者の不足である。
彼らは自分達に十分に監視の目が行き届かない事を良い事に、命令を無視していつまでも王都を荒らし回った。
彼らは処罰があれば一時的には大人しくなるものの、すぐに誰かが勝手を始め出し、それに触発された別の者がまた略奪を始め出した。そしてそれを騎士団が取り締まる。帝国軍はその悪循環に陥ったのだった。
結局、大量の処罰者を晒し首にしたところでようやく帝国軍は落ち着きを取り戻した。
しかしこの一件のゴタゴタで雪が降り積もるまでの貴重な時間を消費した上に、軍に厭戦ムードが立ち込めてしまう事態になってしまったのだった。
――しかし、ようやくその調整も終わった。後はミロスラフ王国へと向かうだけだ。
ウルバン将軍は灰色の空を見上げて独り言ちた。
この大任を果たし、国に戻ったら将軍職を息子に継がせて引退しよう。
そのための根回しは既にしてある。
それにこれだけの功績があれば皇帝陛下から気候の良い豊かな領地を頂ける事だろう。
そこでゆっくりと釣りでもして余生を過ごしたいものだ。
ウルバン将軍は周囲が思っている程、愛国心がある訳でも無欲な訳でもなかった。
ただそれを周囲に見せないように振る舞っていただけなのだ。
そんな彼の頭上をこの日何度目かの大きな翼が通り過ぎて行った。
それは後に帝国軍に悲劇をもたらす原因となる、いわば彼らにとっては呪われた翼だったのだが、自らの幸せな未来に心を飛ばすウルバン将軍がその事に気付く事は無かった。
次回「チェルヌィフ商人ネットワーク」